沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 1月号

こって牛(丑)としての抱負

成富研二

琉球大学医学部医科遺伝学分野
成富 研二

私は昭和24 年の丑年生まれである。私が鹿 児島大学小児科の医局員であったおよそ30 年 前、宮田晃一郎助教授(現鹿大小児科名誉教 授)も丑年であった。私は、宮田先生は地道に しっかり一歩を刻む「こって牛」タイプ、私は 猪突猛進する「バッファロー」タイプと分類し て妙に自分で納得していた。が、その私も今年 とうとう還暦を迎え、かなり以前から宮田先生 に習って「こって牛」タイプと変態している。 学生にも「継続は力なり」こつこつと勉強を積 み重ねることが大切である。「継続力には遺伝 因子より環境因子がより強く連関する」「1 日1 ページ、1 年では365 ページ」などと講義して いるのである。

私は琉球大学医学部に赴任して今年で25 年 目を迎える。故郷の佐賀県鳥栖市で18 年、鹿 児島市で18 年過ごした。35 歳の時、常日ごろ 「風は南から」と訓示されていた恩師の故寺脇 保教授(号は南風)から琉球大学行きを勧めら れ、平山清武教授と大鶴正満初代医学部長の直 接の説得もあり琉大行きを決めた。沖縄に赴任 した当初は、この周期でいけば沖縄も18 年か と思ったが、とうに18 年は過ぎてしまい25 年 目を迎えている。

琉球大学では、14 年間平山清武教授の小児 科学教室で助教授としてお世話になり、主に小 児遺伝医学を担当した。1999 年に琉球大学医 学部附属沖縄・アジア医学研究センター教授と して転出し、2003 年から改組により医学部医 科遺伝学分野として、遺伝医学の基礎研究を本 格的に開始している。

小児科時代には琉球大学遺伝性疾患データベ ース(UR-DBMS)を開発し、その後遺伝性疾 患診断用のソフトウェア(Syndrome Finder) へと発展させることができた。これは現在も継 続して全国に向け公開している。医科遺伝学分 野になってからは、要准教授や柳助教とともに 分子遺伝学研究に力を注ぎ、注意欠陥・多動性 疾患でのFGD1 遺伝子の関与や、Opitz C 症候 群の責任遺伝子であるCD96 を発見することが でき新聞で報道された。また全国コンソーシア ム組織で多くの責任遺伝子研究に参加し実績を あげている。今後は沖縄特有疾患での責任遺伝 子の解明や、遺伝子検査システムの開発による成果の地域還元に力を注ぎたいと考えている。

昨年11 月からは琉球大学附属図書館長を拝 命することとなった。琉球大学は最も新設の国 立大学医学部であるため、医学部分館に雑誌の バックナンバーが少なく、文献検索に必要以上 の時間をとられる不便さが以前からあり論文効 率に不利に作用していた。しかし数年前からは 図書館でのOnline 検索が導入され、研究室に いながら最新論文を収集することができるよう になり、非常に改善されたと喜んでいた。とこ ろが、それも束の間、出版社によるOnline パ ッケージ契約の値上げや大学運営交付金削減の 煽りをうけ、充実を計るどころか、必要不可欠 であるにもかかわらず購読契約を中止せざるを 得ない雑誌がでてきてたという新たな問題を抱 えることになってしまっている。私が留学した City of Hope 研究所(Los Angeles)では、 必要とする文献はほとんど在庫があり、ないも のも無料で取り寄せてくれ、なおかつコピーも 無料であった。その訳を訊くと図書館に対する 多額の寄付金の存在があった。琉球大学医学部 は開学以来28 年たち既に多数の卒業生を排出 している。多くの先発医学部がそうであったよ うに、琉球大学はこれから本格的に琉大発の研 究成果を発信していく段階に来ている。私は図 書館機能の充実はそのための最重要基盤整備の 1 つであると信じている。「こって牛」のごとく その実現に力を致したいと思う。