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72 回目の新春を迎えて

野田寛

特定非営利活動(NPO)法人
沖縄県難聴福祉を考える会
附属診療所「補聴相談のひろば」
野田 寛(琉球大学名誉教授)

小生、当地沖縄に参りまして35 年が過ぎ、 人生の半分以上を当地にお世話になっているこ とになります。

35 才時、重症の肝疾患(細胆管性鬱滞性黄 疸)にて6 ケ月間入院治療を受け、恩師斉藤英 雄教授より「南国でゆっくり静養せよ」と、琉 球大学保健学部附属病院に、医学部発足までの 2 年間の地馴しをと派遣されました。

当時、当地に耳鼻咽喉科医は11 名、勤務医 は中部病院の新垣裕弘先生のみ、従って患者さ んが殺到、静養どころか、予約が半年先まで一 杯となる状況でしたが、これが逆療法となった のか、自己免疫疾患で一生治らないと宣告され た肝疾患も完治、病前以上の体力に回復したこ とは、沖縄に来たお陰と、大変感謝致して居り ます。

医学部創設が遅れ、引き続き医学部耳鼻咽喉 科を担当することになり、2003 年の停年迄お 世話になりました。

この間、小生の専門の「扁桃病巣感染症の研 究」は、世界の欧文論文を収集、各section に 分類しているExcerpta Medica から、「小生の 研究論文を、関連数科に及ぶので、どのsection に分類すべきか?新しいsection とすべき か?その名称は?定期刊行雑誌等当社で引き受 ける」など、一定の評価を受けることが出来ま した。

当地の「風疹児」に、人工内耳を導入するに 当っては、当初は医療機器認可前で個人輸入の ため(厚生省の了解の上)、1 台約350 万円も するので、当時通商産業省に居られた仲井眞弘 多氏(現県知事)の御尽力で日本自転車振興会 よりの補助金(教室の外郭団体・社団法人・特 定公益増進法人“琉球耳鼻咽喉科学研究振興 会”が受皿)で行うことが出来ました。風疹児 は、すでに口話修得時期を過ぎて居り、充分活 用させられませんでしたが、後天性聾や、先天 性聾でも4 才迄に埋め込みますと、健聴人・児 と区別出来ない程になり、大成功であったと、 皆々様の御協力に感謝致して居ります。

この人工内耳適応は、“補聴器が活用出来な い”ことから始りますので、補聴器適合に取組 み出して、我国の「補聴器適合システム」が確 立して居らず、日本の耳鼻咽喉科医が充分に指 導性を発揮して来なかったことと責任を感じ、 このシステムを確立する運動を16 年前より取 組んで居り(法律改正、補聴器相談医制度など 一部達成)、これが小生の最後の課題で、難問 題なので今後更に10 〜 20 年を要すると覚悟し て居ります。

ところで、宮古島の「博愛の碑」を訪れた方 が多いと思います。当時遭難した商船は小生の 留学していたハンブルグ籍の船で、上野村が村 起しでドイツ村を立ち上げる時に、小生がハン ブルグ大にいたことがあり、ドイツの学会に行 くことを総合事務局の知人を通し伝え聞いた当 時の村長さんより、資料を探して来て欲しい旨 依頼があり、留学当時の研究助手、病棟婦長な どの手助けにより、ハンブルグ市資料館の地下 7 階に資料が保存されていることがわかり、ド イツ村商船の建造につながりました。2001 年 の第72 回ドイツ耳鼻咽喉科学会で、日本人として8 人目の名誉会員にして戴き、その祝賀の 席で、サミット時に“Schroeder 首相(当時) がどうして宮古島を訪れたか知っているか”と 会長らに問いましたところ、“お前がそうした のではないか!?”と皆知っているようなの で、小生の方がビックリしました。

ドイツの学会は、非常に建設的な学会で、医 学・医療の進歩を如何に実社会・生活に反映、 応用して行くかも討議され、実に実質的学会 で、遂々出席したくなります。小生の取組んで いる補聴器問題も、専門医の指導下にあり、 “年に一度の補聴器チェックが法律になってい る”など、見習うべきことが多く、我国の補聴 器問題もこれを参考にシステム造りに取組んで 行くつもりです。