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老眼の効用
或いは詩の楽しみ

宮里不二雄

ふじ胃腸科医院 宮里 不二雄

本年2 月をもって満75 才となり、正式に後 期高齢者と認定されました。年間50 万円余の 保険料を負担しながら厚労省によって「無用 者」の烙印を押される身とはなりましたが、自 分ではまだまだ気力、体力とも充分のつもりで あり、この上は健寿を貫き通して政府に一矢報 いたい想いが日々強くなっております。然し老 いの兆しは如何ともし難く数年来老人性難聴の 進行に悩され身障福祉法の「六級障碍」のレベ ルに近づきつつあります。幸いにも「歯」は丈 夫で、いまだにう歯は一本もなく、歯科医より 80 〜 20(80 歳残存歯20 本)は太鼓判とおだ てられ三ヶ月毎にせっせとスケーリングに通っ ております。老眼は40 才代後半より自覚あり、 生来の近視と相殺される事もなく遠近両用レン ズを数年毎に更新し乍ら今日に至っておりま す。老眼で困る事は読書、特に夜間や小活字読 書による眼の疲れです。夏期はプロ野球のナイ ター中継を見乍らの「ながら読み」が楽しみの 一つであり「ジャイアンツ」や「タイガース」 の敗けゲームではついついビールの量が増える 筋金入りの「ドラファン」でもあります。眼の 疲れないテレビ、ビールの「ながら読み」を求 めて辿りついたのが詩でした。

お母さん泣くのはよして下さい

あぁ、お母さん泣くのはよして下さい
そんな惨ましい声はあげないで下さい
一生孤独を求めながら得られないで
さりとてなりはひのすべも覚えず
真実 阿呆のままのこのみすぼらしい私の姿

それでもお母さん 泣くのはよして下さい
私には私の生き方があると思っています
人間の世界に通用しなくても 
もしかしたらけだものの世界に通用するかも知れない
あなたの子供はほんとうに正直に生き抜いてきました
少しは生きる姿がぶざまであっても 
あなたの子供は今狐のやうに幸福なんですよ
だから お母さん 泣くのはほんとによして下さい

(一部省略)

青少年の不可解な事件のたびに親の過大な期 待が子を追いつめたなどの物知り顔の薄っぺら の評を見るたびにこの詩を思い出す。

定本 尼崎安四詩集 昭54 年 彌生書房 尼崎安四は38 才で、白血病にて歿す。

暑中見舞いのハガキも例年通り数通のみだが こんな詩もある。

過「あやまち」

日々を過す 日日を過つ 
二つは 一つことか
生きることは
そのまま過ちでもあるかもしれない日々
「いかが お過しですか」と
はがきの初めに書いて
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合せでもするようでー

詩集 北入曾 吉野 弘 青土社 昭52年

本詩人との出会いが詩への傾斜を決定づけた ように思う。

父と子

朝起きて庭に出る
隅の屑箱を何ものかが漁ったらしく
まわりに、ごみが散らばっている
―― 犬かな? 犬だ、きっと
私より早く起きた老父も屑箱の散らばったのを見たらしく
朝の食卓で
―― あれは猫の仕業だ と云う。
猫といったら猫しか想像圏に入れない父
犬といったら犬しか想像圏に入れない息子
まぎれもない親子である。
思わぬときに
遺伝というやつが私に会釈するのをなぜか受 けそこねて、ぼんやりしている。

(一部省略)

「目」の見方

目に裏表はない。
裏返され逆さにされて、目が回っても!
とかく、心は、見たものを見ないと云い 見ないものを見たと云うが、
目は、目それ自身に正直だ。
その挙句、たとえ、運が裏目に出ても目に表裏はない!

(大部分省略)

規制緩和という名の弱肉強食、成果主義、拝 金主義のはびこるなかで私共が失いつつある大 切な人間の感性を、持ち続けている貴重な人 種、それが詩人であろう。その感性をかりて自 分の感性をとり戻し、深めとぎ澄ませば、充実 した人生、明るい未来への展望も見えて来ない だろうか。

今、最も好きな詩人を一人あげよと云われれ ば躊躇なくこの人をあげる。

長田 弘(おさだ ひろし)

詩集 深呼吸の必要 晶文社

ときには、木々の光りを浴びて、言葉を深 呼吸することが必要だ。と詩人は云っている。

あのときかも知れない

時計屋さんは散歩が好きだった。「きたな。」 きみの顔をみると時計屋さんは立ち上る。一 本脚で、たくみに。片脚がなかった。松葉杖 をついていた。時計屋さんは色々の話をして くれた。「戦争さ。」戦争にいっておじさんは 片っぽの脚をなくした。おじさんだけじゃな い。戦争にいった人は誰でも何かを失くし た。死んだ人は人生を失くした。人生ってわ かるかな。人が生きてくってことだよ。おじ さんは人生を失くすかわりに、片っぽの脚を 失くした。「痛くない?」きみはたづねる。 きみは戦争を知らない子どもだった。「痛く なんかないよ。痛いのは、こころだよ。」「こ ころ?」子どものきみにはわからなかった。 だがあとになって、まったく突然にきみはず っと忘れていた時計屋さんのことを思いだ す。それはきみがふっと「あ、こころが痛い」 と呟いた日のことだった。そうだ、むかしな かよしだった片脚の時計屋のおじさんもおな じことを云ってたっけ。こころが痛いって。

そのときだったんだ。そのとき、きみはも う、一人の子どもじゃなくて、一人のおとな になったんだ。きみがきみの人生で、「ここ ろが痛い」としかいえない痛みをはじめて自 分に知ったとき。

(大部分省略)

人の痛みを知らない大人があふれる最近の世相 のなかで、心に滲る言葉を毎日深呼吸してみる。