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ぐーたらダイエット記

まちなと小児クリニック
新垣 義清

Walking を始めて2 年が過ぎた。きっかけは きわめて単純な理由からだ。ある夜シャワーを 浴びていてふと下を見ると、とび出た腹に隠れ て大事な男のシンボルが見えない。ショックだ った。口の悪い友人に話すと、廃用性萎縮だと の診断だったが完全な誤診である。生物学的種 族維持本能〔スケベ根性〕は旺盛だし実践力も ある。それまでメタボだの、減量などは自分に は関係がない異次元のことだと思っていただけ に、一気に危機感がつのってきた。とび出た腹 を引っ込めなければならない。どうすべきか? もともと運動は嫌いである。運動するくらいな ら寝ていたほうが良い。かと言って、食事の量 を減らすのも無理だ。日頃「おれは食うために 生きている」と公言しているだけに、食いたい ものを我慢するというのは耐えられない。困っ た。数日悩んだ末にふと思いついた。昔(高校 時代)長距離走は得意だったじゃないか。体育 の時間の走りで他の生徒に負けたことはほとん どなかった。よし走ろう!ジョギングを始め た。駄目だった。3 分も走れない。改めてこの ン10 年間の運動不足を思い知らされた。錆び 付いているのは脳ミソだけではないようだ。 Walking ならどうか?これはうまくいった。息 子のお下がりのシューズをはき、万歩計を買い 準備は整った。車で距離を測定したら7km 弱。 適当な距離だろう。万歩計で測ったら歩数は1 万歩前後、時間は約80 分。これも適当だ。

それ以来毎日のように(暑い日や寒い日、天 気や気分の悪い日、飲み会のある日、あるいは 今日はどうしても歩こうという強い意思の沸い てこない日などは除く)夕食後に家を出る。3 日も持たないだろうという家族の冷たい視線を 感じながら歩き続けた。家の周りは坂が多いの でけっこう汗をかく。出来るだけ早くというこ とを考えながら歩いているので、気持ちは競歩 の選手になったつもりだ。頭の中では懐メロの レコードが回っている。藤山一郎や東海林太郎 の歌を無言で歌いながら、黙々と歩く。視線は 2 メートル先。最近は美空ひばりの歌が加わっ てきた。声さえ出さなければ、ひばりよりも俺 のほうが上手い。カラオケのイメージトレーニ ングをしているようなものだ。時々赤信号を見 落としてびっくりしたりするが、幸いにも車に ぶつかったりしたことはない。最初の頃は途中 で息が上がり、足裏も痛くなり発赤し熱をもっ ていたが、いつしか慣れてしまった。歩くのが ブームだか知らないが、結構Walking している 人たちがいる。多いのは女性の二人連れだが、 夫婦や若いペアも目立つ。よたよた歩いている お年寄りにはこちらが心配になってくる。あま り太っている人はいない。肥満度が一定程度を 超えると歩くのも嫌になるのであろうか?

2 年も歩いていると、いろいろなハプニング もあった。患者さんの親にも何回か出会った。 診察室で偉そうにふんぞり返っている顔と、息 切れをしてあえぎながら歩いている顔とのギャ ップが面白いらしい。「歩いているのを車から 見ましたよ」と話しかけてくる人もいる。やは り沖縄は狭い。ばれたくなければ、帽子とサン グラス、マスクが必要だ。一応考えてみたが、 お巡りさんに不審者として尋問されそうなので やめた。二人組みで自転車に乗り、布教活動を している外国人の青年にも何回か声をかけられ た。歩行のリズムを壊されるのがいやで片手を 少し挙げて謝絶。何回か繰り返しているうちに 近寄ってこなくなったが、「キョウモアルイテ イルネ。ガンバッテ」と手を振ってくれるよう になった。軽く頭を下げ、にっこり笑って答え る。国際親善にささやかな貢献ができたかなと ちょっといい気分。ある夜、途中で少し休憩し ていると中年の女性が近寄ってきた。中年とは いえ女性は女性だ。男でなければよい。俺の魅 力に引きつけられたのかと思っていたら、いきなり名前を呼ばれてびっくり。なんと中学時代 の同級生だった。実はこの女性とは20 年くら い前に運転免許証の更新所で会ったことがあ る。卒業以来の出会いだったので懐かしくな り、待ち時間の間に喫茶店に入った。コーヒー を飲みながら1 時間ほど昔話に花が咲き、別れ 際に約束をした。この次の免許更新の時には、 40 才を超えてしまう。「中年のおじさん、おば さんの顔はお互いに見たくないし見せたくもな いだろうから、二度と会わないようにしよう ね。」ああしかし男女の約束ほどあてにならな いものはない。あれほど固く約束したのに変な ところでばったり会ってしまうとは…。

Walking をやっているというと必ず聞かれる ことは、何kg やせたかということ。答えは「わ からない」。歩き始めた頃一度体重を量ったこ とがあった。家にある体重計を引っ張り出して 足型の所にあわせて乗った。ボタンが何個かつ いている。適当に押してみたが何の表示も出な い。家のものに使い方を聞くのも馬鹿にされそ うで気に入らない。昔の体重計は黙って乗っか れば、針がグルッと回って何kg と教えてくれ た。時代は進歩しているというのに、わけの分 からないボタンだらけの器械が増えてくるのは 困ったものだ。クリニックにも体重計はおいて あるが、若いお母さんたちが自分で子供の体重 を量っている。あんなに難しい操作を良くでき るものだと感心してしまう。そういう訳で体重 は年1 回の人間ドックの時に量るのみである。 最近は1 日に何回も量るのが流行っているよう だが、その内に体重計付きのスリッパでもでき てくるだろう。体重の変化はわからないが、は っきりしていることが一つある。ベルトの穴が 2 つ縮まったことだ。以前ズボンが次々に入ら なくなり家内に文句を言った。「安物ばかりを 買ってくるから縮んでしまったじゃないか」。と いう訳でタンスにしまいこまれていたズボンが、 最近はまた着けられるようになった。どうやら ズボンは冤罪を被っていたらしい。

体重のコントロールには、食事の量を減らす 必要があるということはわかっている。これが どうもうまくいかない。目の前においしそうな ものがあるとつい口に運んでしまう。特にホテ ルの立食パーティなどの時は最悪だ。腹八分目 を心がけるというのは私の辞書にはない。目い っぱい食ってしまう。どうも我々の世代の人間 は、子供の頃に芋とタイ米で育ってきたせい か、食べ物に対する執着心が強いようだ〔お前 だけだと言われる事もあるが〕。乳児検診など のときに出てくる弁当も、残してしまったら罪 悪感を感じてしまうので毎回ほぼ完食。うまい ものは腹いっぱい食い、必要なら歩く距離を延 ばせばよいと思っている。私の友人に糸満から 那覇まで徒歩で通勤し、1 日に3 万歩くらい歩 くという奴がいる。たんなる馬鹿なのかあるい はアホなのかよくわからない。しかし以前は肥 満したアザラシのような腹だったのが最近かな りへこんできた。歩けば歩くほど余分な脂肪が 減ってくるのは確かだ。生きてるうちにしか食 うことはできない。よくパーティで一緒になる 大食漢の小児科のM 医師の口癖「ダイエット は明日から、明日から」〔5 年前から言い続けて いる〕を口実にして、我慢せずに腹いっぱい食 いそして歩こうと思う。