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北の大地

堀川恭偉

沖縄セントラル病院 堀川 恭偉

北の大地、帯広で2 年間の仕事を終えて、久 しぶりに沖縄に帰ってきた。常夏の熱風を浴び ると、つい数ヶ月前まで雪がちらついていた北 海道が恋しくなる。思い起こせば南の端から北 の端へ移動したのは、一昨年の初秋であった。 妻と二人での狭いアパート生活が始まったので ある。病院所有の社宅で、2 階建て4 室の表玄 関に近いほうの部屋を貸していただいた。部屋 の中には大きな石油タンクが設置されている。 埋設パイプで室内の石油ストーブに連結されて いる。これは生命にかかわる必需品だそうだ。 真冬に石油が切れたら凍え死ぬから、4 分の1 に減ったら必ず補充するよう常に石油タンクを チェックするよう指導された。窓は断熱ガラス で、以前のような2 重ガラスはもはやないのだ そうだ。冬の北海道では窓の外に物を置いてお くと凍ってしまうので、冷蔵庫は適度な温度管 理のために利用するのだと言う。これから極寒 の地での生活が始まるのかと思うと身震いする。

北海道といえば鮭。鮭が川を上る姿をこの眼 で見てみたいと思い釣り好きの先生に尋ねると 「それならシベツへ行ったらいい」と聞かされ た。根室と知床の間の町らしいが、地図を広げ ても一向に判らない。丹念にさがしてみると 「あった、あった」。標津(シベツ)。北海道も 沖縄と同じで、読みにくい地名が多い。アイヌ 語に当て字をしているためであろう。シレトコ にしたって知床とは、知らない人には想像もで きない。帯広の隣の町に音更という町がある。 新興住宅地でちょっとしゃれた町並みである。 これをなんと読むのだろうかというと、オトフ ケだそうだ。また、帯広から南に1 時間ほど車 を走らせるとナウマン像の化石が発見された有 名な町がある。虫類と看板に書いてある。なん と読むのかといえばチュウルイだそうだ。左程 に、面白い地名の散在する北の大地を、沖縄か ら運び込んだパジェロミニを駆使してシベツま で行った。

途中、赤や黄色の紅葉が山肌を埋めていた。 沖縄では経験できない風景である。この紅葉は 10 月になると里や街中に入り込んでくる。そ れはもう「見事」と膝をたたいてしまう。公園 しかり、川べりや町外れだけでなく街路樹まで が鮮やかに色づくのである。銀杏並木、姫りん ごの街路樹、白樺の林など万華鏡の中を歩いて いるかのようである。

帯広から、歌手の松山千春のふるさとで知ら れる足寄(アショロ)を通り、阿寒を過ぎて、 ただただ東へ向けてパジェロを駆けていく。ち ょっとした大陸横断である。海などはまったく 見えず、丘陵を駆け抜けていくさまは沖縄では 味わえない。一面の牧草の片隅で牛が草を食む 姿や、馬が数頭群れをなして走っている姿は眼 を釘付けにする。しばし車を止めて眺めてみる のもいいものだ。丘陵をすぎると、果てしない 平地に入り込む。一面のトウモロコシ畑やジャ ガイモ畑、ときにひまわりの畑に遭遇する。こ れを空から見ると黄色やピンク、緑の四角い帯 を碁盤の目のように繋ぎ合わせた派手なパッチ ワークのように見えるから楽しい限りである。 北海道旅行の際は、着陸前に飛行機の窓からこ の景色を堪能あれ。

標津のサーモン科学館は標津川に隣接してい た。遡上してくる鮭を捕獲して卵を取り出し、 孵化した後に、稚魚を放流する養殖産業を大規 模に行っているそうだ。その施設の一部を利用 してサケマスの生態観察ができるようにガラス 張りにしているのである。標津川には開閉式の ダムが設けられていた。鮭の遡上を止める背の 低いダムである。ダムの上にかけられた橋を歩 いていると、川面に黒くうごめくものがあっ た。よく見ると無数である。鮭であった。中に は元気なやつも居て、ダムを飛び越えようと高 く跳ねる魚もいる。肌寒い風に吹かれながら川岸に下りたり橋の上を行ったり来たりしながら 川面を見つめていたがダムを越えたのは1 匹だ けであった。その他の無数の鮭は、ダムの川下 で列を成して性懲りもなく泳ぎ続けていた。ふ と見るとダムの端に、水路が設けられているこ とに気がついた。幅は1m 程度の水路で、遠く サーモン科学館の後方へと続いていた。そこに は巨大水槽があった。

日の暮れないうちにと、標津を後にして、羅 臼(ラウス)へ向かった。あらかじめ、院長に お願いして、根室や知床の界隈で、いい宿泊施 設を紹介して頂いたのだ。院長も釣り好きで、 知床半島突端でのつりの際にはよく利用してい るという。「嵯峨」という民宿である。非常に 気の優しい女将さんであった。沖縄県で娘が看 護師として働いているらしく話も弾んだ。羅臼 町立病院も人手不足らしく、いずれ帰ってくる らしい。たらふく北の名物を食べた後で、川べ りに散歩に出ると、野生の鹿が、1 匹立ってい た。牡鹿である。立派な角を生やして、こちら をじっと見つめていた。どう出るのか、近づい てみた。10m まで近づいたが、一向に逃げる様 子がない。そういえば、女将が、鹿が最近は増 えて、困っているのだと話していた。夜になる と鹿が山から町に下りてきて、店の前に植えて ある花を食べてしまうのだそうだ。結構な群れ をなして行き過ぎるようで、夜の街を闊歩する 鹿は奇妙である。

翌朝、知床半島を一周した。国後島が間近に 見える。辺戸岬から与論島が見えるというよう なものではない。もっと間近である。よく晴れ た日なら、鉄砲を担いだロシヤ兵が見えるかも しれない距離である。羅臼の港を出る漁船は国 後を横目で見ながら出港するのだろうと思う と、国境を感じる。「国境侵犯で拿捕」などの ニュースをマスコミで耳にすることはあった が、港からこうも国境が近いとは想像もできな かった。

知床半島を横断して、斜里と言う港町に入っ た。羅臼に比べると、同じ知床半島の付け根の 北と南に当たるがずいぶんと賑わいが違う。こ ちらは、観光客も多くカニやらホタテやら物産 店が多くある。我妻も誘われるように買い物を してしまった。殺風景な網走街道を走り抜ける と再び阿寒国立公園にたどり着く。屈斜路湖を 南に眺めながら、陸別に入った。北海道でもっ とも気温が低くなるところらしい。氷点下40 度まで下がると言う。オーロラが観測されるこ とでも有名である。9 月のこの時期は、紅葉が 真っ盛りで道行く左右の山肌は色とりどりであ る。感動の中、帯広に到着したのはその日の夜 であった。初秋の一泊二日の長旅であった。

長い様でもあり、短い様でもあった北海道で の仕事を終えて沖縄にやってきたのは、大仲先 生を代表とするAMDA の活動に共鳴したから である。AMDA(アジア医師連絡協議会)は 岡山県で産声を上げてすでに30 年以上を経て おり、沖縄県に支部が設立されたのは13 年前 である。国連のNGO 団体として認可もされ、 由緒のある機関である。先のミャンマーでのサ イクロン被害や、中国四川省での地震の際は、 AMDA からも支援隊が派遣されたようである。 私も、広い世界を舞台に活動をしてみたいと思 うのである。

北の大地を開拓する1 台の耕運機を前にして、幾重もの紅葉に 彩られる山々です。