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救急の日(9/9)・救急医療週間(9/9 〜 9/15)に因んで
〜医療用ヘリ導入への悪戦苦闘〜

井上徹英

浦添総合病院 井上 徹英

双発ジェットエンジンを搭載した本格的医療 用ヘリEC-135 の白い機体が浦添市儀間光男市 長をのせて紺碧の空に軽やかに舞い上がった。 この感激は生涯忘れることはできないだろう。 平成19 年8 月2 日、浦添市港川のへリポート 竣工式のことである。

「ヘリ添事業に携わった経験からも沖縄には 医療用ヘリは絶対に必要だと思う。やってく れ!」と浦添総合病院宮城敏夫理事長から下命 されたのは平成17 年3 月のことであった。そ れまでにも何度もヘリをチャーターして離島な どへ調査飛行をし、診療所の医師や医療関係者 から意見を聞き、陸上自衛隊などに依拠する従 来の沖縄県のヘリ添事業では煩雑な手続きを必 要とするため迅速性に劣り、もう少し早く動け る医療搬送システムが必要だと確信していた。 自衛隊は優れた機体と装備を有しているが、そ もそもの目的が異なっており、それを医療搬送 に使うのは近くのコンビニに12 トントラック で買物にいくかのような違和感と非効率性はど うしてもぬぐえない。命が大切だというのであ れば医療装備をした専用ヘリが必要だという信 念はゆるぎなかった。しかし、ヘリは小型機で あっても年間1 億円近い費用が必要で、私の力 ではどうしてもかなわない。苦しい財政の中、 組織のトップが勇気ある決断を下してくれたこ とには今でも頭が下がる思いである。

理事長の言葉に小躍りして「よしやってやろ う」と思ったものの、それはただ単に苦労の始 まりに過ぎなかったのである。お金の問題もさ ることながら、最も難しかったのはヘリ基地の 整備と病院直近のヘリポートの確保であった。

幸いにして臨床研修についての我々のプロジ ェクトのリーダーである宮城征四郎先生を通じ て当時沖縄電力会長であった仲井眞弘多現沖縄 県知事の御理解を得て、浦添市にある沖縄電力 へリポートを利用することができるようになっ たが、当初に契約していた地元ヘリ会社の基地 がある那覇空港を発進し沖縄電力へリポートで 医師をピックアップするのではどうしても時間 を要する。沖縄電力構内は制限地域のため入構 の手続きも煩瑣である。また、ヘリ会社は親会 社が変わり、打ち合わせや訓練を重ねて親しく していたかたがたも会社を去ることになってし まった。そこで、契約期間の終了を待ってドク ターヘリ事業の経験がある大阪のヘリ会社と新 規に契約したのだが、今度は格納庫が確保でき ない。格納庫とヘリポートが設置できる場所を 探し歩いてさまざまな難交渉を乗り越え、よう やくにして読谷のリゾート地の一角に基地を構 えることができたが、この間はヘリ事業におい て最も苦しかった時期で、もうだめかと何度も 思いつめたものである。ようやくにして確保し た地は建築物確認が必要な建物を建ててはなら ないという規則に縛られており、屋根がなけれ ば建築物にはあたらないので建ててもよい、と いうことであったが、それでは何の意味もなく、 笑えない笑い話である。これらの経緯について 語ることは多くあるが、今はもう過ぎ去ったこ とである。その苦境において多くのかたがたの 親切と励ましを受けたことは忘れられない。万 窮まり浮かぬ顔で近くのレストランで昼食を摂 っていた時、「正攻法でねばり強く交渉すれば きっと道は拓けますよ」と励ましてくれた店長 の暖かい言葉に思わず涙がこぼれそうになった こともある。今はただただ感謝あるのみである。

読谷に発進基地を整備し、機体も本格的な医 療用機を導入したものの、いつまでも沖縄電力 の御好意に甘えるわけにはいかずどうしても病 院近隣にヘリポートを確保しなければならな い。冒頭の一節は、儀間光男市長の御尽力によ り浦添市沿岸の市有地の一角が提供して頂ける ことになり、懸案だった患者搬送用ヘリポート が竣工した時のものである。

U-PITS は読谷の基地に格納庫とヘリポー ト、燃料庫、運航管理事務所、医師・看護師待 機所があり、運航クルーと医療スタッフが常駐 しており、要請があれば数分で飛び立つ。患者 を収容し必要な治療を行いながら搬送先の病院 に最も近いヘリポートに降り立ち、患者を救急 隊あるいは病院救急車に引き継ぎ、ヘリは基地 に帰投し次の要請に備えるというパターンであ る。現在では月に30 件ぐらいの出動件数があ り、多い時は一日に4 件の要請がある。今まで の総搬送件数は550 件を越え、間一髪の救命例 も少なくない。

U-PITS とはUrasoe Patient Immediate Transport System の略である。というか、呼 び易い愛称を考えて英語の文字をこじつけたと いう方が正しい。なんとなく和製英語の感がな くもないが、アメリカ人に尋ねたところ「それ でいいではないか」ということでそのようにし た。よく、どうしてヘリが入っていないのかと 尋ねられるが、実はそれにはわけがある。

沖縄本島から見た場合、南北大東島、先島地 方は距離がありすぎてヘリのレンジにはならな い。ただ飛ぶだけであれば飛べないことはない が、片道2 時間を要するのでは恒常的にヘリで 医療搬送を行うのは無理である。特に南北大東 島は気象急変時にどこにも待避所のない大海原 の小さい一点をめがけて飛行することになり、 こういう任務は航続距離が短く有視界飛行で飛 ぶヘリは苦手なのである。本島とそれらの島を 結ぶにはどうしても固定翼機、つまり飛行機が 必要となる。大小39 もの有人離島を有する沖 縄にては、本島周囲がカバーできたからといっ てそれでよしとするわけにはいかない。いつの 日にか、それらの地域からの患者搬送が迅速に 行えるよう医療専用の飛行機も導入したいとい う思いをU-PITS の名称に込めている。

その慣れ親しんだU-PITS の名称ともいよ いよお別れである。念願かない、3 年にもおよ ぶ実績が評価され、厚生労働省の補助事業であ るドクターヘリとして位置づけられることにな ったからである。その経緯において医師会、県 行政当局をはじめ、活動に御理解と御支援を賜 った皆様には心から感謝する思いである。

が、本番はいよいよこれからである。沖縄県 のドクターヘリの名に恥じない、より洗練され たシステムを整備していかなければならない。 まさに身が引き締まる思いであり、全身全霊を かけて取り組んでいく所存である。

皆様にはこの紙面をお借りし倍旧の御支援と 御指導を切にお願いして本稿のむすびとしたい。