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感染症・予防接種について

平成19 年度沖縄県医師会感染症・予防接種講演会について

金城忠雄

理事 金城 忠雄

昨年の11 月30 日に沖縄県医師会主催の感染 症・予防接種講演会を開催し、国立感染症研究 所感染症情報センターでご活躍されている本県 出身の砂川富正先生(平成3 年琉球大学卒業) をお招きして、「沖縄に続け!ついに動き出した 日本麻疹ゼロ作戦」と題してご講演いただいた。

今回、会員の皆様へ麻疹の現状をお伝えすべ く、砂川先生へ改めて会報に原稿をご執筆いた だいたので、下記のとおり掲載する。

砂川先生は、平成19 年現在、国立感染症研 究所において実地疫学専門家養成(FETP)コ ース研修生の指導、日本の麻疹排除計画素案策 定に関与され、厚生労働省科学研究費事業(研 究班)として、改正IHR(国際保健規則)、国 際アウトブレイクの分担研究者。サーベイラン ス、予防接種(日本脳炎)等の研究者として各 種研究に従事。

国際的な活動研鑽を積み、沖縄医学界の指導 者となるべく将来を期待している。

沖縄発のわが国における麻疹排除活動の開始

砂川富正

国立感染症研究所感染症情報センター主任研究官
砂川 富正

沖縄で発生した麻疹の悲劇がすべての発端

忘れもしない、沖縄で麻疹による死亡者9 人 が発生したのは1998 年から2001 年にかけての ことである。すべてワクチン接種歴の無い子ど もたちであった。ワクチン接種対象年齢に達し ていない0 歳児が4 人、残りを1 〜 3 歳児が占 め、麻疹による肺炎などで次々と死亡した。筆 者は1999 年当時、大阪大学医学部小児科に在 籍していたが、そのニュースを聞いたとき、に わかには信じられなかった。直接、その様子を 知ろうと沖縄に飛び、複数の県立病院、大学病 院などでそれが真実であることを知った。一部 の病院では“麻疹病棟”が設置されていた。麻 疹ワクチン接種率は当時県内で60 %程度とさ れ、流行抑制には程遠いレベルであった。ワク チンの接種率さえ高ければこのような流行は起 こらなかったものを・・・振り絞るそのような 声を、ふるさとの先生方から何度聞いたことだ ろうか。しかしこの時の激しい憤り、悲しみ が、日本全体の麻しん排除に向けた機運をじわ じわと高め、麻疹排除計画の策定に至るきっか けとなったことは確かである。本稿において は、沖縄発のわが国における麻疹排除活動計画 の概要を、最近の麻疹の状況とともに触れる。

日本全体における麻疹の発生動向 〜 1999 年から2006 年まで

感染症発生動向調査(サーベイランス)によ ると、沖縄で9 人の死亡者のうち最終の1 名が 報告された2001 年(推定20 万人以上麻疹の発 生)をピークとして、1999 年の感染症法施行 以後、麻疹の患者発生は著明に減少した。その 背景には、1 歳児を中心とする患者発生動向に 対して、“一歳のお誕生日にはしかワクチンの プレゼントを”と言う合言葉のもと、幼児への 予防接種を徹底しようとする小児科医を中心と した全国的な働きかけがあった。全国的に麻疹 報告を定点報告から全数報告に切り替えたり、 市町村を超えて予防接種が広域で受けられる体 制を作ったりする地域もあるなど、様々な対策 が行われたのである。これらの動きの多くは、 2001 年4 月の「沖縄県はしか“0”プロジェク ト(現在、知念正雄代表)」1)発足によりスタ ートした沖縄県内の様々な麻疹対策の動きに全 国の小児科医が呼応あるいは学んだところが少 なくない。特に、麻疹発生時の対応に関する取 り組み(沖縄県麻疹発生時対応ガイドライン2)) や、麻疹が疑われた全例に対して検査診断を行 う制度3)などは全国の大きな先駆けとなった。

2007 年以降に社会問題となった若年成人を中 心とする麻疹の流行

麻疹は2006 年の茨城県南部・千葉県での地 域流行後、一旦終息に向かったものの、関東地 方を中心とした散発的な患者発生はその後も続 いた。同年末から埼玉県で流行が始まり、 2007 年明けから3 月にかけて東京都へと拡大 し、5 月の連休明けには全国に拡大するという 6 年ぶりの全国流行となった。この中で特徴的 だったのは、麻疹患者の年代が2001 年頃の中 心だった1 歳児を中心とした乳幼児ではなく、 10 歳台から20 歳台にかけての若者であったと いうことである。首都圏を中心に全国の高校や 大学で学校閉鎖や休講が相次いだ。発生動向調 査上では、「成人麻しん」では1999 年の調査開 始以後、最大の流行を記録した。そして2008 年6 月現在、日本の麻疹の発生動向は、この 2007 年以降の変化が定着したかのように思わ れる。

なぜ、若年成人に麻疹が流行したか

この理由としては、前述のように2002 年以 降、種々の取り組みが進んだため、1 〜 5 歳ま での小児における患者の割合が確実に減少した 一方で、年長児から若年成人にかけてはワクチ ン未接種者が10 % 程度存在すること、1 回の 接種で免疫がつかなかったもの(PVF)が5 % 未満存在すること、さらに1 回の接種で一度は 免疫がついたにもかかわらず、その後の時間の 経過と共にその免疫が減衰したもの(SVF) が10 〜 20 %存在したことが大きな要因であっ たと考えられる。2008 年より全数サーベイラ ンスに変更されたことにより(後述)、5 月末現 在、約8 千例を超える患者が報告されている が、年齢群別では10 〜 20 代前半からの報告割 合が半数以上を占めた。麻疹含有ワクチン (MCV)の接種歴別の報告数は、全体では接種 歴なしが約5 割弱であり、1 回接種が2 割程度、 2 回接種は1 %に満たず、接種歴不明が約3 割 であった。接種歴がない者がなんと最多であ る。さらに特徴的な情報が重症者に関する情報 として、重症な麻疹の中でも特に重症の合併症 である、脳炎合併例の報告は、2008 年5 月末 時点までに5 例報告されており、すべて10 代 以上(10 歳台1 名、20 歳台2 名、30 歳台1 名、 40 歳台1 名)である。これは、麻疹患者全体の 年代分布を反映していることは明確であろう。

またこの期間に大きく問題となったこととし て、社会的な活動範囲が広い、高校生の修学旅 行や大学生などの海外渡航先での麻疹発症が国 際的な問題となった。これは、鳥インフルエン ザや重症急性呼吸器症候群(SARS)への国際 的な懸念に基づく、改訂国際保健規則 (IHR2005)の2007 年6 月からの施行前後と いうタイミングにも一致している。麻疹はその 感染力の強さや重症度からも、特に排除国にお いては新たな脅威として認識されるものであり、今後、感染症対策が国際的な側面を常に有 している象徴的な事例と言えよう。

麻疹排除計画の策定と概要

以上のような状況、すなわち、若年成人にお ける麻疹の流行や重症例の発生、海外への輸出 や国際問題化などの状況を受けて、2007 年暮 れより、わが国における麻疹排除に向けた施策 が次々と打ち出されてきた。特に、2007 年12 月28 日に大臣告示された、『麻しんに関する特 定感染症予防指針』4)の公布は、初めて日本が 麻疹の排除を目指すこと(2012 年の目標)を 宣言した点で画期的である。さらに、予防接種 法施行令、同施行規則、同実施規則のそれぞれ 一部を改正する政省令の公布、定期の予防接種 実施要領の通知などが次々と打ち出されてきた が、これらは、我が国における「麻疹排除計 画」の中心的な法省令の整備として総括出来 る。麻疹排除計画の中で考えられている大きな 柱が三つある(図)。1)感受性者対策:麻疹風 疹混合ワクチンを使用ワクチンとして、第一期 (1 歳台)、第二期(小学校就学前1 年間)の接 種率を高レベルに引き上げ、これを維持するこ と。最近の麻疹患者の中心であり、抗体保有が 他の年齢よりも低いと考えられる中学生〜 20 歳台前半5)のうち、第三期(中学1 年生相当)、 第四期(高校3 年生の年齢の者)の年齢の者に 対して、2008 年4 月1 日から2013 年3 月31 日 までの5 年間を暫定的な定期接種とすること。 定期接種には含まれないものの、職業的ハイリ スクと考えられる、医療系や教育・福祉系の年 齢の若い就業者あるいはその分野の学生に対す る任意接種の推奨。そして、学校などを新たに 含めて接種率の把握強化などが含まれる。2)感 染症発生動向調査において麻しんを定点報告か ら全数把握制度へと変更すること(2008 年1 月1 日より実施)、3)集団発生対応における手 引きの作成や人員の派遣・養成を行うことを主 眼とした、麻しん発生時の対応強化、が3 つの 柱となっている。これらを下支えするものとし て、国及び地方自治体それぞれのレベルにおけ る「麻しん対策会議」が設置されることとさ れ、実際に2008 年2 月12 日に国の麻しん対策 推進会議が開催された。地方レベルにおける会 議のモデルとしては、「沖縄県はしか“0”プロ ジェクト」を念頭に置いた。

2005 年9 月、わが国を含むWHO 西太平洋 地域(WPRO)は、2012 年までに地域内から 麻疹をelimination(排除)するという目標を 定めた。日本も批准していることから、わが国の「2012 年までに国内から麻疹をelimination する」という目標は、国際的な責任をも共有し ていることが自明である。

図.麻疹対策の関係機関の相関図

図.麻疹対策の関係機関の相関図

沖縄県として克服すべき課題

2005 年、沖縄県では29 例の麻疹疑い例が報 告されたが、麻疹確定例は1 例も無く、初めて 麻疹“0”の状態に至った。WHO 西太平洋地 域(WPRO)における定義では6)、麻疹排除の 状態とは、麻疹の診断例が人口100 万人当たり 1 例未満であり、罹患例が発生してもウイルス の継続的な伝播・拡散を阻止できる状態にある ことを意味する(= MCV 接種率が95 %以上、 アウトブレイク発生時の対応能力)。沖縄は、 果たして麻疹排除状態にどれだけ近づいたであ ろうか。

2008 年6 月、前年の「2007 年度第2 期麻し ん風しんワクチン接種率」(5 月30 日現在最終 評価結果)7)が明らかとなった。それによると、 第2 期の平均麻しんワクチン接種率: 87.9 %で あり、最高値は秋田県95.8 %であった。沖縄県 は第34 位で、全国平均を下回る87.1 %であっ た。この数字はこれまでの自治体の努力や医療 従事者の積極的な働きかけが反映されていると 考えられるが、麻疹対策先進県として知られる 沖縄県としては、不本意な成績ではないか。沖 縄県において麻疹が、2008 年5 月末現在も抑制 に成功している理由としては、やはり全数報告 制度に裏打ちされた、アウトブレイク発生時の 対応(接触者の追跡調査)などの存在がより大 きかったのではないか。2008 年春は、県出身で 国の麻しん対策推進会議に全国の保護者代表と して委員に就任した歌手のKiroro も県内のCM に出演するなど、新たな麻疹対策啓発・支援の 動きがある。今後の課題は正に、このような動 きも得て、中高生を含む接種率を如何に全県的 に高められるか、と言うことである。

今後、麻疹対策は国をあげて本格化していく ことが予想される。その中で、沖縄県における 麻しん対策は常に注目されていくことであろ う。県内の医療や公衆衛生、あるいは教育に従 事する者が目的意識の共有や連携の強化を図 り、自分の問題として麻疹排除に向けて真剣に 取り組むことが求められている。

参考文献:
1) 安次嶺馨,知念正雄編.日本から麻疹がなくなる日 ―沖縄県はしかゼロプロジェクト活動の記録.日本小 児医事出版.2005 年
2)沖縄県麻疹発生時対応ガイドライン.沖縄県ホームページ
http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=80&id=5095&page=1
3)浜端 宏英.沖縄県はしか“0”プロジェクトの「全数報告制度」.沖縄県医師会報(2007年8月号). http://www.okinawa.med.or.jp/activities/kaiho/kaiho_data/2007/200708/056.html
4)厚生労働省ホームページ.麻しんに関する特定感染症予防指針(平成19年12月28日).
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou21/dl/071218a.pdf
5)国立感染症研究所感染症情報センターホームページ.感染症流行予測調査−麻疹速報:2007年度(平成19年度)調査暫定値−. http://idsc.nih.go.jp/yosoku/Mmenu.html
6)WPRO,"FIELD GUIDELINES FOR MEASLES ELIMINATION(2004年)"available at
http://www.wpro.who.int/NR/rdonlyres/0F24B92E-AE2C-4C9B-B73B-E16ACB833C35/0/FieldGuidelines_for_MeaslesElimination.pdf
7) 国立感染症研究所感染症情報センターホームページ. 平成19 年度定期の予防接種(麻しん風しん第2 期) の実施状況の調査結果について(第2報).
http://idsc.nih.go.jp/disease/measles/index.html