那覇市立病院小児外科
山里 將仁
古武術研究家・甲野善紀氏の名前をご存知だ ろうか? 最近はテレビにも時々出演する和 装、羽織袴の“おっさん”である。3 年前の、 親父の介護をきっかけに、約2 年前から“甲野 ワールド”に足を突っ込んでしまった。今で は、古武術稽古が趣味のようになってしまっ た。その面白い世界を紹介しよう。
ことの起こりはこうだ。元々筋力の弱った親 父が、自宅の玄関で転倒し、それをきっかけ に、完全介護の状態に陥った。重心が無い床に すべり落ちた親父を起こし、椅子に上げること には特に難渋した。それで私に“介護の現場 で、どうしているのか?”と云う疑問が自然に 生まれた。ネットで岡田慎一郎氏の古武術介護 入門と言うDVD book 見つけ早速購入し、そ の中で甲野氏の存在を知った。本には、現代人 が忘れている介護に必要な古武術的身体操作法 が書かれてあった。1)揺らしとシンクロ 2) 構造の力 3)重心の移動 4)バランスコント ロール 5)足裏の垂直離陸 6)体幹内処理 など、訳の解からないことが、いろいろと書い てあった。これらは全て武術に基礎を於いた身 体操作法だった。付属したDVD を見ると5) 6)は解かりにくいが、なんとかなりそうな気 になり、自分なりに分析・解釈し、稽古を始め た。しばらくして、甲野氏自身の著書や対談、 DVD book が数多く出版されていることを知 り、早速、多くを購入した。介護技術だけでな く、武術的な身体操作法にも興味がわいてきた からだ。
1992 年、甲野氏は“井桁崩し”の原理に気 づき、その感覚を発展させていった。井桁と は、平行四辺形のことで、それが潰れる様に動 くということである。同時に、“薄氷を踏む足” の体捌(タイサバ)きで身体を動かし、瞬時 に、“瞬速や剛力”を生み出す。これらを総合 すると、武術の極意は“捻らない、蹴らない、 ためない”ことであるらしい。“小魚の群れが 一斉に向きを変える様に動く”。つまり、身体 のいたる所に始点を分散すことで、力の出所と 気配を消すことができるそうである。その動き は、足裏の垂直離陸(“薄氷を踏む足”)で、身 体全体に浮きをかけ、それを体幹内処理(“井 桁崩し”)して動くのである。いずれも、表面 には出ない筋肉の内面的動きで、感覚的側面も 持つものであり、それによって無理なく相手を 支配し、倒すことができる。たとえば、“鎧は 持てば重いが担げば軽い、着れば走る事もでき る”。身体全体に重さを散らすことによって生 まれる動きである。これには、江戸時代の日本人がしていた、いわゆる“ナンバ歩き”や“日 本独特の剣術”に原点があるらしい。現在の西 洋式で単純な、“うねり系”や“捻り系”の運 動理論と“筋トレ万能理論”を否定した発想 は、現在、野球やバスケットボールなどの様々 なスポーツや音楽・リハビリでも応用され始め てきている。
“甲野善紀身体操作術”なる藤井謙二郎監督 のドキュメンタリー映画は面白い。体重62 〜 3 キロの甲野氏が、120 キロくらいの、ラック をキープしている現役ラグビー選手を簡単に剥 がしてしまうシーンや、大きな合気道選手を難 なく投げ飛ばし、大きなラガーマンのタックル を潰し、また押し込むシーンなど、普通では考 えられない映像がそこにはあった。アマゾンで 簡単に手に入るので興味のある方は、是非ご覧 になったら如何だろうか?
この身体操作を介護の場で生かしたのが古武 術介護学である。五十の手習いで、自己流に本 やDVD を見ながら稽古を積んで来た。今まで 力まかせでやっていたことが、身体の使い方次 第で楽にできる様になり、身体操作は以前より マシになった。“添え立ち(床に座り込んだ人 を引き上げ立たせる技)”や“浮き取り(椅子 やベッドに座った人を抱え上げ移動する技)” といった古武術介護独特の技もできる様になっ た。この方法は、介護する方もそうだが、介護 される側も全く痛くなく、無理がない。本当に 体が浮いていく感覚を味わうようだ。力を分散 し、相手を“着る感覚”であるからだ。現在は 看護師さんに、簡単な技術から教え始めている し、これからも教えていこうと思う。介護の現 場では約8 割の職員が腰痛を抱えていると云わ れる。老々介護の問題もあり、この技術を利用 できればと思っている。
古武術的身体操作を用いれば、無理なく体を 鍛えることもできるし、仕事にあった力の使い 方ができる様になる。伝統武術の中には換勁 (カンケイ)という言葉がある。仕事を通し培っ た力の意味だと云う。現代人が忘れた身体操作 を思い出すことにより、エレベーターやエスカ レーターなどの廃人工学技術に埋め尽くされ、 より便利になり、メタボリック症候群に陥った 人たちには、お勧めの自己鍛錬方法だと思う。
最近は、研修医や看護師を相手に、時々、自 分の技を試したりもしている。“切り込み入り身” や“浪之下”と云った、甲野氏の技が少しはで きる様になった。現在は自分の身体と対話しな がら、新しい身体操作の世界を楽しんでいる。