沖縄市(県立中部病院OB)
喜舎場 朝和
『「シェーン」のDVD を見つけた』、と娘が 買ってきてくれた。いつでも見れるDVD は便 利なものではあるが、余計なようにも感じた。 思い出の名画は数年に一度見る程度でよい、と 思いながらも誘惑に駆られて見てみると、やは りなかなかおもしろい。55 年前に世に出たあ まりにも有名な映画を久しぶりに見て、昔感じ た感覚の幾ばくかを新たにしたところで、年甲 斐もないとは思うものの、この映画について自 己中心的感想を少し述べてみたくなった。
若い頃、映画館へ通う金は乏しかったが、一 応個人的レベルでは“洋画ファン”だった。甲 乙つけ難いいくつか気に入った映画の中で、こ れもいい加減だが、好きな順番は「シェーン」 がトップ?で、「ジャイアンツ」が二番手?。 偶然にも両方とも監督はジョージ・スティーブ ンスとのことだが、私など目に映る画面と俳優 と話の筋には興味を持てても、肝心の監督に惚 れ込む域には達しなかった。
今の世のテレビ・映画の飽食の時代、大方、 自然よりも人間同士の複雑怪奇な競争社会が対 象となり、善悪や美醜の境は見分けにくく、中 味の薄い言葉が飛び交い、エログロ暴力に溢れ ている、と言ってしまっては言い過ぎだろう か。しかしその中で、今や地球が縮み、うす汚 れ、きしみ始めている現実が確かに気にな る・・。
さて、映画は開拓時代の男達の闘争を、まず 子供、そして女性、家庭、共同体の視点を通す ことによって、清らかさ、正義感、潔さ、誇 り、義務感、責任感、信頼、友情、家庭の温か み、個人対個人、個人対家族、家族対グルー プ、グループ対グループといった事柄が、小気 味よい男らしさとともに、ほどよい加減で詰め 込まれている。さりげなく奥ゆかしく包み込み ながら、見る者の想像を駆り立てて、より明瞭 に見えてくるように仕向ける。まさしく一服の 清涼剤。
始まりから景色、カラー、メロディーがい い。所はワイオミングの開拓地。時はおそらく 南北戦争から10 〜 15 年経た頃か。北と南の対 立と融和の時代背景が感じられる。ちなみにシ ェーンはどうやら南、対するウィルソンは北の 出身。
さすらいのガンマンといった風情でやってき たシェーンが子供のジョーイに出会う。ジョー イは、ただ者でない出で立ちながらいかにも柔 和な顔と言葉のシェーンに、子供の感性でたち まち興味と好意を持つ。父親のジョーの方は勘 違いしてシェーンを追っ払おうとし、次にやっ てきたこの一帯を牧場にしているライカー一味 を追っ払うのだが、その時ジョーが手にしてい た銃が実は装填されていないと知った時、シェ ーンはジョーに好意を持つ。妻のマリアンが差 し出す夕食のデザートにこんがり焼けた厚ての パイ。貧しい農家でこのパイの厚みはもてなし の思いの丈を表す。マナーよろしく静かに礼を 言ったシェーンは、片時も手放すはずのない拳 銃を置いたまま戸外に出て、食事のお礼に庭の 大きな切り株に斧を振るいだす。素性の分から ない流れ者とこの一家が、一夕にして仲良くな れた訳をさりげなく見るものに納得させる。同 時に、シェーンとこの一家がそれぞれ如何に厳 しい日々を過ごしてきたかも見えてくる。
腕が良いばかりに強いられてきたシェーンの これまでの厳しいガンマン人生が想像される。 売られた勝負に勝つ度に、逃げるように当ても なくさすらう旅に出なければならなかった彼 は、今度も南から一人旅でたどり着き、さらに 北へと行くつもり。さすがのタフガイの神経も 滅入りがちになっていたに違いない。実に温か いものを感じて、できることなら拳銃家業から 足を洗い、ジョーの手助けをしながら定住 も・・。
邪魔されず、自立してゆかねばならない個人主義。しかし同時に、その限界を超えて生きて ゆかねばならないがゆえの命をかけた農民達のゆ いまーる。一方、権力の下に徒党を組む悪い意 味での全体主義の偽ゆいまーるがライカー一味。
酒場で不本意な喧嘩を始めたのは、幼い友、 ジョーイをがっかりさせたくなかったからだ。 結果として友と仲間の信頼を勝ち得るわけだ が、そのかわりに強敵ウィルソンを相手にしな ければならなくなった。シェーンは、実際は義 務も責任もないはずのとてつもない代償を払う べく、一度は捨てる決心をした手段で、圧倒的 に不利なオッズへ一人で立ち向かっていかざる をえなかった。
アラン・ラッド演ずるシェーンとジャック・ パランス演ずるウィルソンの二人のガンマンが 対照的。ラッドは甘いマスク、なで肩の中肉中 背で、人物の良さはにじみ出るものの見かけ上 普通の人。が、どっこい中味がすごいと思わせ る。対するパランスは贅肉一つない鍛え上げた 長身に二丁拳銃がピタリと決まった筋金入りの 殺し屋。寡黙でクール、動きに無駄がなく隙を 見せない。酒は飲まずコーヒーだけ。これぞ拳 銃使いのプロで、拳を痛める殴り合いに加担す るはずがない。そこへいくと、人情厚きラッド のシェーンは大事な拳で二度も殴り合いをしな ければならなかった。二度目はジョーとの派手 な殴り合い。体力を消耗したまま決闘の場へと 急ぐ彼に、見る者は深い同情と心配の念を禁じ えない。
そしてクライマックス。ハンディーを背負っ たシェーンは準備万端のウィルソンに勝てない 理屈となるはずだが、胸のすくような早撃ち で、ウィルソンのみならずライカー兄弟も一挙 に片付けてしまう。見る者は彼を後押ししたプ ラスアルファの大きさをまた感ずるのである。 この谷間で己だけの希望を求めるには、彼のは まり込んでいった義理と人情はあまりにも高潔 なレベルに達したがゆえに、命をかけた決闘の みならずつらい別れも完遂せざるをえなかった。
被弾したはずの去りゆくシェーンが死ぬのか 死なないのかという議論があったようだ。私の 胸中ではシェーンとラッドは全く一体で、その ラッドが「シェーン」の後に大した役にも恵ま れず、アル中で早死にしてしまったという現実 の方がよほど胸に迫るのである。