琉球大学・精神病態医学分野
近藤 毅
1.はじめに
高齢化社会を迎え、老年期のうつ病は高齢者 の自殺予防や良好なQOL 維持の観点から重要 な問題となっている。この年代のうつ病に対す る親和性の高さは、老化に伴う生物学的・心理 学的要因の関与や高齢者を取り巻く厳しい社会 構造の変化からも説明されよう。また、他年代 よりも死に対する恐怖感や忌避感が少ない点 は、苦痛からの解放や清算を求めての自殺行動 に踏み切る閾値の低さにもつながりうる。本稿 では、老年期のうつ病に特有な背景因子、症候 学的特徴・経過およびその予防と治療について 述べたい。
2.背景にある状況因子
高齢者の自殺の原因として、病苦に代表され る健康問題と対象・役割喪失を含めた孤立状況 が大きいとされる。運動・感覚・知的機能の生 理的衰えに慢性の身体疾患の合併が加わること で、心理的には心気的および抑うつ的構えを形 成しやすくなる。一方において、家族およびコ ミュニティーのサポート機能が低下した社会状 況が、年々高齢者の社会的孤立を助長している 懸念も拭えない。したがって、高齢者は自身の 健康への心細さとは裏腹に頼るべき対象や環境 を見出しにくい、という持続的負荷状況に曝さ れているともいえよう。特に、高齢男性の場合 は配偶者の喪失が大きな痛手となることが多 い。このため、高齢者のうつ病および自殺予防 対策には、高齢孤立世帯への積極的な保健活動 や、生きがいや役割を持てる地域づくりを行政 面で推進する必要があるとされている。
3.症候学的特徴と経過
他世代と比較した場合の、老年期のうつ病の 症候学的特徴を以下に挙げる。
1)強い不安・焦燥を伴うことがある
2)頑固な心気症状を伴うことが多い
3)妄想形成(罪業・貧困・心気)を伴いやすい
4)仮面うつ病(身体症状化)の形を取りやすい
5)全身性の身体機能低下を伴いやすい
6)仮性認知症の症状を示すことがある
7)自殺企図が少なくなく、致死率の高い手段
選択のため既遂率が高い
2), 4), 5), 6)は、プライマリ・ケアの現場や 身体疾患治療の経過中にも遭遇しうる症状であ る。はじめに身体学的・器質学的なアプローチ から検索される場合が多いが、症状と密接に関 連する異常所見が見出されない場合は、むしろ 積極的にうつ病を疑って問診を進めてみるべき であろう。問診の順序は、身体面から精神面 へ、表面的な活動性の低下から内面の感情・思 考の変化へ、と向かう流れが自然で聞き出しや すく、希死念慮についてはそのリスク評価と併せて必須で確認すべき事項とされている(表1)。
1), 3), 7)については、精神科頼診を早目に 考慮した方がよい。なぜなら、強い焦燥は衝動 的な自殺行動に結び付きやすく、妄想形成で歪 んだ現実認知は確信的な自殺行動へと向かいや すいためである。また、いったん自殺企図にま で至った症例は、再度企図するリスクが非常に 高くなることもよく知られた事実である。これ らのケースは精神科領域においても入院管理を 原則とするので留意されたい。
高齢者のうつ病においては、遷延性の経過や 再発を繰り返す場合も少なくない。このような 難治例も抗うつ薬単剤での対処が難しいため専 門科頼診を原則とすべきであろう。プライマ リ・ケアの守備範囲でカバーすべきうつ病は、 単極性うつ病の初発例でしかも薬物治療にもよ く反応するものに限局した方がよい。一方、軽 症ながら慢性化したうつ状態を呈する症例にお いては、神経症化せざるを得ない膠着した家族 力動・生活状況が背景に隠れていることも多 く、薬物療法には部分的にしか反応しない。こ の場合も、社会心理的側面からのアプローチに より積極的な介入を行うためには、時宜を得た 精神科受診が望ましいであろう。
4.予防と治療
高齢者は他世代と比べてうつ病に対する偏見 の強さが目立ち、他世代よりも、「恥ずかしい」、 「迷惑になる」「逃げている」「弱い人間がなる もの」といったマイナスのイメージを持つ一方 で、「自分の力で何とかなる」「治療には消極的 である」という傾向がある。これらの偏見は、 うつ病予防に向けて持つべき柔軟な心理的構え とは対極的な位置にある。そこで、高齢者向け の普段の生活態度や構えとして、「自分の力を 過信しない」「悩みやストレスを放置・無視しな い」「相談できる人間関係を持ち、アドバイス に耳を傾ける」「恥と迷惑の建前よりも、気持 ちに素直に行動する」などの一般的な心理教育 を行うことも心掛けたい。また、うつ状態に至 らないまでも普段の認知・思考パターンに悲観 的・消極的・否定的な要素が感じられた場合 は、それらのマイナス思考の癖を修正する援助 を行う認知療法的アプローチが、うつ病発症予 防につながりうる。さらに、高齢者の心理は周 囲の状況に反応性に影響されやすいことから、 普段から家族カウンセリングや生活指導を含め た環境調整を行っておくことも重要な予防とな るであろう。
薬物療法に関しては、高齢者に対しても安全 性の高いSSRI(セロトニン再取り込み阻害 剤:パロキセチン,フルボキサミン,サートラ リン)や四環系抗うつ薬(ミアンセリン,セチ プチリン)が使用されることが多い。前者は不 安感、抑うつ気分、焦燥感、希死念慮など感情 面の変化に関連した症状の改善に優れ、後者は 精神運動抑制、集中困難、意欲減退、興味の喪 失などエネルギーの低下に関連した症状に有効 とされている。これらの効果発現は迅速なもの ではなく、2 週後より感情面での回復が実感さ れ、4 週後より億劫感が軽減され始めるので、 予め経過の見通しを伝えておくことが治療から の早期離脱を防ぐうえで重要である。また、う つ病は1 年以内の再発率が高く、回復した後も 寛解時投与量にて少なくとも半年間は維持する ことが再発予防に有効とされている。
支持的精神療法の原則は、傾聴・共感・理 解・受容・支持などの要素からなるが、今後の 病状について、「一進一退することもあるが治 療2 〜 3 ヶ月で回復されることが多い」という 一般的な説明を付け加えることで安心感と先行 きへの期待感を持ってもらうことも重要であ る。認知療法的アプローチは時期的に薬物療法 に十分な反応がみられた後に行う方が浸襲は少 なく、主として再発予防を目的に適用すべきで ある。一方、家族には激励・楽観・叱責など無意 識に陥りがちな態度を取らないよう説明し、近 付き過ぎず、離れ過ぎず、の適当な距離感で見 守ることを指導するとともに、受診に同伴して 客観的な情報を伝える役割を務めてもらうよう 治療協力を依頼することが重要である。