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ダーウインを疑え、コッホを疑え(前編)

稲福薫

いなふくクリニック 稲福 薫

この世はただの物質が集まってできたものな のか。それともこの世界を根底から統合するも のがあるのか。現代科学はこの問題に決着をつ けたかにみえた。すべてはただの物理反応であ り、生命も化学反応として証明されるという。 遺伝学においても、人間は神が作ったという古 来の説は迷信としてうち捨てられ、染色体の化 学的反応による遺伝の法則があてはまるとい う。その象徴がダーウインの進化論であり、そ れによって旧来の説は決定的な一撃を食らい、 迷信として歴史から葬り去られたかのように見 える。そんな生命化学反応主義とでも称するも のを総称してダーウイニズムという。

現代人類社会ではダーウイニズムを根底とし た科学が隆盛を極めている。しかしながら、そ の人類社会そのものが21 世紀に入っていよい よ混乱、混迷を極め、将来さえ危ぶまれる事態 になっている。それは、われわれ現代人類文明 の根っこの問題であり、われわれ現代人の心の 底を問題にしないといけないのではないか。そ れが「ダーウインを疑え、コッホを疑え」とい う言葉に象徴されている。だからといって、も との迷信に戻ろうというのではない。現代科 学、そして現代医学の問題を徹底的追及してい くと、その先には現代の限界を突破する道筋が 開けるのではないか、というのである。

医学もまた混迷を極めている。病気が悪霊に よって起されるという旧来の病因論を打破し、 コッホが細菌という病因を発見した。その後、 彼の発見を期に種々の病気で細菌やウイルスな どの病原微生物が見つかり、病因論が確立し、 現代医学の金字塔が確立した。しかしながら、 問題は解決しないばかりか、一層深刻さを増す ばかりである。多剤耐性菌、SARS、新型イン フルエンザなどがしかり。現代医学が病原微生 物を究極的な病因として絶対敵視し攻撃し続け てきた結果がこの情況である。何かがおかしい と誰もが感じているだろう。ひょっとすると絶 対的な敵はどこかよそにいるのかもしれない。

例えば、風邪をこじらせて細菌感染を起こし 肺炎になり死ぬ人がいる。しかし、すべての人 が肺炎になって死ぬわけではない。ある一部の 人達だけに限って肺炎になり、その中のある一 部の人達だけが死ぬ。どうしてだろう。多くの 医学者は、それは免疫力が落ちたからだと言う だろう。それではなぜ免疫力が落ちたのか。す ると例えば食事をしなかったから、ということ になるかもしれない。そこで、なぜ食事ができ ないが問題になる。

科学としての医学は、なぜ?を追及する学問 である。たとえば、膠原病である。膠原病はな ぜおこるか。それは免疫機能が崩壊して起こる とされる。なぜ、免疫機能が崩壊するのか。そ れは自己免疫を作ってしまったからだと言う。 それではなぜ自己免疫をつくったのか。ここか らを問題にしているのである。なぜ、糖尿病に なるのか。それは体に入ってきた糖に比べて、 インシュリンが少ないせいだからという。な ぜ、インシュリンが少なくなるのか。それは膵 島のインシュリン分泌細胞が破壊されたからだ という。なぜ、破壊されたのか。それは免疫機 構の破壊によって起こるとされる。それでは、 なぜ免疫機能の破壊が起こっているのか。その 先を問題にしている。

病気で死ぬ。なぜ死ぬのか。反対に、なぜ生 まれるのか。なぜ、なぜ、なぜ、を追求してい くと、ある地点から現代医学では回答が行き詰 る。すると現代医学はこういう。「もう、そん な質問はしないでくれ。そんなことわかるわけ がないじゃないか」と。あるいは「そんなこと 俺の知ったことではない。宗教にでも聞いてく れ」と言うかもしれない。それは科学者として の逃げであり、それこそが現代医学の根源的な 問題ではないのか。核心にせまることから逃げ ているのではないか。なぜ、逃げるのだろう。 そこから先を問い詰めると、今まで積み重ねた 科学の価値観が壊れる別の地平に飛んでしまう からではないか。すなわち、相の転換地点であ る。だから、多くの医学者は核心に入る手前で しり込みし、立ち止まり、なぜ?と問うのを止 めてしまうのではないか。しかしながら真理を 求めて新たな地平に勇気を出して突入しないこ とには展望は見出せないだろう。