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ある内地の病院 午前4 時の救急室

樋口大介

国立病院機構沖縄病院
樋口 大介

その日男はいつもの消化器科外来と内視鏡の 仕事を終え、病棟の仕事をしていた。夕方5 時 15 分、コンビニエンスストア化した救急室か ら早々と当直コールされた。その後も忙しく救 急車5 台の対応と屈辱的コンビニ外来に追われ 疲れはてて当直室でうとうとしていたら、いま いましい携帯電話がなった。午前4 時か。こげ た目玉焼きをフライパンからはがすように起き 上がる。「あー、もすもし。」すでに舌が回らな いし小さい声しかでない。「患者さんお願いし ます。」またあのイヤミな看護師だ。声とねち ねちした言い方でわかる。今日は負けの日だ。 色川武大が「よい勝ちを得るには負けの日は思 い切り負けたほうがいい。」と書いていた。皺 だらけだった生地の皺がなくなり、汗と臭気で ポッテリと重くたれさがったグレーの白衣を羽 織り、救急室によれよれ状態で到着。到着した が看護師たちは男を見ない。向こう向いてい る。救急室のブースにはいり、「出川さん、1 番 へどうぞ。」20 歳ぐらいの青年だ。男はそいつ が自分より元気だと即座に診断した。後ろから 母親と父親らしき人が入ってきてのたまふ。 「咳が出て、熱もあるんですけど。」とわが子に ついて説明し始める。ありえない。こいつは小 学生か。男は怒りで自分を見失いそうになりな がら、風邪薬を出した。カルテも書き終えたあ と帰り際に母親が追加してほしいと言ったSP トローチを怒りで震える手を抑えながら「これ 処方しときました。」と告げる。しかし看護師 は依然、男を見ない。当直室に帰りベッドに倒 れこんだときを見計らって(そうにちがいな い。)「先生もう一人来ました。」との連絡あり。 深刻そうな49 歳女性、「先生眠り薬が切れて眠 れないんですが。」「なんで昼間に来ねーのよ。」 男はのど元まで来ている言葉を飲み込む。「ん ー薬出しとくから。」左隣のブースでは小児科 の先生がしたたかインテリお母さんを相手に懸 命に説得工作をつづけている。男は小児科の先 生はどうしてあんなに丁寧にお母さんに説明で きるのかいつも感心する。気の短い自分が小児 科医になっていたら数日で病気になっていただ ろう。話好きな性質がないとおそらくやってい けないのではないだろうか。そしていい人たち だなと思う。右隣のブースでは忙しそうに働き つづけていた産婦人科の先生が、若い夫婦とも めている。その先生は大分前からとげとげした 口調になっていた。男はイラついているのは自 分だけではないんだというある種の連帯感を感 じていた。その先生は何か気にさわる一言をい ってしまったのか、ぶちきれた患者の旦那が 「何だその言い方は、ちゃんと診ろ、こらー」 と巻き舌で怒鳴られ、「そこのめがねの看護婦 何見てんだ、こっち来いこらー」「こっちへ来 い、そのめがね。」と殴りかからんばかりにす ごんでいる。修羅場と化した救急室、その連帯 感の先生を男はあっさりと置き去りにして、そ そくさと悲鳴と怒号の鳴り響く救急室をあとに した。そのまま一睡もしないまま外来突入。新 患、予約患者ごちゃ混ぜのため、いくらがんば っても常に10 人ぐらい待っている。廊下でい らつく患者がため息をしたり、カツカツ貧乏ゆ すりをしているのが聞こえる。男も気が短いの で患者の気持ちはよくわかる。結局、朝飯、昼 飯も食えず。缶コーヒーだけ飲んだ。眠い。膀 胱がパンパンになってきた。腹がごろごろなり だした。下痢しそうだ。男は結構ストレスで下 痢しやすいし痔も出やすく結構出血する。その 患者は心身症患者、ドグマチールの威力で、ス トレス性の嘔気がぴたりと止まって、男に対す る深い信頼をよせる38 歳男性だ。気持ち悪い ぐらいに男のことを気に入っており愛情すら抱 いている恐れがあった。その訴えは長く、多岐 にわたる。かすかに残ったエネルギーをその患 者に吸収されているときに男は網蝋としながらふと思う。そういう本当に精神的にあるいは肉 体的に弱い患者たちによって逆に医師としての 自分自身が生かされているのではないかと。本 当に人から必要とされること、そこに医師とし ての自分の居場所があるからだ。どの病院でも 看護師から恐れられていた男は心身症患者だけ にはなぜかやさしいと言われていた。面の皮の 厚い看護師にだけはめっぽう厳しかった。しか し今はそれどころではなかった。冷や汗をたら しながら便所に急ぐ、引いては寄せ、引いては 寄せていた便意の波はいまや便所に近づくにつ れて巨大なうねりとなり加速度を増している。 心身症患者に必要以上に優しくしすぎてしまっ たと思っても後の祭り。便所のドアを開いてズ ボンとパンツを一気に下ろした瞬間にすぐ排出 する予定が、パンツが一瞬ひっかかった。ああ っっ・・・・・ 男は情けなくて泣きそうにな った。いや泣いた。そして午後5 時で外来患者 診察をノーパンのまま終えた。その後甘くてま ずい缶コーヒーを胃に流しこむと、内視鏡室で ERCP2 例が待っていた。ひとり終了した直 後、廊下に走りだして嘔吐した。まさに缶コー ヒー嘔吐だ。いまはやりのウイルス性胃腸炎に 違いなかった。ERCP あと1 例、やってやる。 疲労、不眠、脱水で這うように家に帰った。男 は毎日、朝起きて働いてふと気がつくと夜の道 をとぼとぼ歩いていることが多い。この繰り返 しで自分にわずかに残された人生の時間が指の 間からどんどんこぼれ落ちていくと感じてい た。心はすさみ、下半身がやけに寒かった。遅 い夕食をとり、シャワーをあびて今まさに寝よ うとしたとき携帯がなった。胆石膵炎疑いで ERCP しに来てほしいとのこと。男はタチの悪 いヘリコバクターピロリが、胃上皮化した十二 指腸粘膜の粘液を食いつくし、深い潰瘍を掘り 始めたのを感じた。