なかそね和内科 仲宗根 和則
新年が明けると、いよいよ還暦の年。ウーン 爺さんの仲間入りかと思わず唸ってしまう。背 後から突然狙撃されたような衝撃である。通過 した記憶と消費した圧倒的な質量に呆然となる しかない。が、一方で老師の領域へ足を踏み入 れるという高揚感もある。いつも患者に『年を とるのも悪くない』と反論しているではない か。しかし、しかしである。自分が還暦?なん だか申し訳ないような、もうすこし後でいいよ うな、ウーンまだまだ修行が足りないのだ。老 師への道は始まったばかりだ。
この惑星の一員として万物と元素を共有し、 循環、攪拌され、融合と別離、再生と小さな死 滅を何度も繰り返し、時間のヤスリで身を削 り、翻弄されながら、それでも、大過なく生存 できた。先ず母なる地球に感謝。丸まって小さ くなった母の背中には心の中で合掌するしかな い。節目のない輪廻の、仮想定点を通過する儀 式ではあるが、新年を迎えるのは、やはり清々 しく、いつも何か特別な、新生への希望と、転 生への敬謙な思いがある。
まだ硝煙の臭いが残る戦後3年目に生まれ、 青洟を啜りながら、ションベン臭い路地で遊ん でいた『団塊の子供たち』は、セピア色の昭和 を次々に背景に追いやりながら、わき目も振ら ず疾駆し、続々と還暦を迎える。『愚直と楽天』、 『誠実な生活者』を旗印にして、一時代を画し、 間違いなく昭和の寵児であったと思う。
勤務医として過ごした長い年月は、現在の医 者としての骨格を作り、貴重な人間形成の時間であったと思っている。患者や職員、友人、最 愛の妻に支えられ、多くを学ばせてもらった。 彼らと共に、泣き、笑い、怒り、老いてきた。 多くの悔悟と小さな賛辞。
時は移り、老いとともに膨らんできた医療費 の陰で、我らの父や母である誇り高い老人達が 肩をすぼめている。小さくなった身体が、更に 小さく見える。低医療費の檻の中で、病床利用 率、日当点、経常利益等のモンスターが患者を 押しのけて我が物顔にのさばるようになったの は、いつ頃からだったろうか。手品師・厚労省 が下手なマジックを披露する度に、現場では笑 いが凍り、患者との距離が逆に広がっていくも どかしさ。自責の思い。いかん、いかん、愚痴 が多くなってきた。自戒を込めて、小人群れて 愚痴多く、老師は群れず夢いよいよ盛んという ではないか。『唯我独夢』である。
さて老師への道である。終の棲家は小さな空 間に限る。家賃も安い。しかし隠遁ではない。 医師会にも所属している。しかも、老師は酒好 きである。酒席はなるべく欠かさない。患者と も酒を飲む始末。マァ人好きともいえる。この 辺まで書いてきて、老師の背中が微かに見えて きた。
開業を決意したのは、還暦を3年後に控えた 秋の日。完成したのは木漏れ日のような手のひ らサイズのクリニックである。『夢』の設計図 が、仲間達の手で次々に『現実』に変わるのを 瞠目して眺めた。梁山泊の夜をいく夜も夢を語 った仲間達だ。長年の患者もいる。
厚労省の吹く『ブレーメンの笛』が遠くに聞 こえるが無闇に追いかけるのは危険だ。小さく とも生命力溢れるシェルター。疲れた病人がた どり着く命のオアシス。食事と自然治癒を原点 として、痛みや喜びも共感できる、縁側の延長 のような化石空間。これが老師のこれからの拠 点となる。林住期の棲家である。
病気を治療するだけの場では勿体ない。この 場にいる全員が幸福になる夢の空間作り。爺さ んになって到達した境地だ。『時間というものは 良いものだ』と段々思えるようになってきた。