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ついに、来てしまった!

川野幸志

那覇市立病院
川野 幸志(子年、獅子座)

ついに、ついに、恐れていたことが、来てし まった。なんと60歳の還暦を迎えて、〈新春干 支随筆〉の執筆依頼である。確か、12年前も書 いたはずだ。今になっては何を書いたか定かで は無いが、48歳の時は気軽に書けたと思う。

私事で恐縮ですが、私は、1986年(昭和61 年)4月29日に永住目的で来県しました。その 日は昭和天皇の誕生日、平成になってからは、 「緑の日」国民の祝日となっていますので、日 にちはしっかりと覚えています。私37歳、次女 4歳を伴って、羽田空港をあとにして、機上の 人となりました。しばらくして、窓から真っ青 に見える海を見ながら、那覇空港に降り立ち、 憧れの沖縄の地を踏みました。数えてみると22 年前の出来事です。これまで本当に悲喜こもご もありました。そして、数多くのウチナンチュ ーに大変お世話になりました。本当に感謝して おり、お礼申し上げます。さて、今回は仕事の ことはさておき、趣味の1つでも書いてみます。

それは、写真です。写真歴だけは長く、確か 中学生の頃に父にカメラを買ってもらったのが 始まりです。最初は何でもかまわず、写しまく っていましたが、そのうち「花」を撮るのが、 とても好きになりました。その頃のいろいろな 花の写真は今でもあります。多少退色したりし ていますが、シャッターをきった時を懐かしく 思い出します。その後しばらくは勉学に勤しん だためか(??)、それほどカメラに入れ込んで いませんでした。ところが、県医師会の広報委 員を務めるようになって、事務の方々が表紙の 写真を集めるのに結構苦労しているのを目の当 たりにしました。そこで、下手を省みず、季節 感がありそうなものを何点か提出し、使えそう なものを採用してもらいました。同じ頃、我が 病院の「院内だより・甍(いらか)」の編集委 員も仰せつかり、これまた表紙の写真が必要と なりました。そんな訳で止む無く、学会出張と か、旅行の際には、カメラを必ず携帯し、撮り まくりました。特に、最近はデジカメを愛用し ており、無茶苦茶に撮っても、ピントがあまか ったり、カットなどが気に入らなければ、直ぐ “ゴミ箱”直行ですので、とても便利です。

元来センスも無く、腕は全く上達しないまま でしたが、“こまった時の神の救いの手”、たま たま浦添市の市民講座で写真教室がありまし た。現在、県写真協会会長の金城先生が講師 で、写真の基本と奥深さの一端を教えて頂きま した。また、その頃、写真を最も大切な趣味と している方と知り合えたことも大きかったで す。やはり写真も一生勉強なのは当たり前です が、最近実践している私の上達?の心得は、良 い写真を多く鑑賞すること、沢山の写真を撮る こと、なるたけ“高価な、高級な”カメラを持 つこと(?)、などなどです。高機能のカメラ に変えた途端に目から鱗が落ちる如き、一皮剥 ける写真が撮れることが結構あります。勿論、 気に入った写真が撮れるは、当然カメラが良い からですけど。最近のデジカメの機能は凄いで すね。際限無く高機能なカメラがぞくぞくと新 発売されています。そこで、また一皮剥けたい ので、現在、“山の神”様と交渉中です。

次元をかえりみず、趣味のお話になってしま いましたが、お許し下さい。結局、私にとっ て、写真は一生の趣味の一つになりました。こ れも、ひとえに事務局の方々のお陰と感謝して います。

因みに、県医師会会員の方々には、写真がと ても上手な先生がたくさんいらっしゃいます。 特に眼科の先生は凄腕ですね。きっと目の構造 と、カメラの構造が似ているからなのでしょ う。南部のA先生は自分の撮影した写真で素敵 なカレンダーまで作っています。また、那覇市 医師会主催のチャリティー写真展では、毎回と ても素敵な写真が数多くあります。

最後に、多くの先生方に、是非県医師会報・表紙の写真への投稿をお願いします。
「還暦になっても当直減らないな」(勤務医悲話)