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子年(ネズミ年)である

玉城信光

那覇西クリニックまかび 玉城 信光

新年、子年である。私は何年生まれであろうか。

ちなみに吾が父は大正4年の1月30日で寅年 をはっていた。西暦で行くと卯年である。女房 の父は大正4年で卯年である。なぜに吾が父は 寅年であるのか。

昨年の亥年の時に私の同年生(昭和22年生) と同じく私も1月生まれなので亥年であると主 張したのだが、聞き入れられず今年の干支の随 筆を頼まれることになった。

干支は西洋歴で決めたのではなく、本来は立 春(およそ2月4日)から次の立春の前日まで を1年として決めているようである。彼の有名 な高島易断による。すなわち2月3日までは前 年に入るのである。すなわち私は昭和23年1月 生まれなので亥年なのだ。

テレビで有名な細木数子女史の運命鑑定も基 本はこれに基づいているようだ。我が家の墓を 移すときに親戚の兄の勧めで“サンジンソウ”のところに行ったら、彼のサンジンソウ殿も同 じ教科書を使用していた。「今年は、だれだれ の生まれ年だからいけない、来年はだれの生ま れ年だから墓を移したらいけない」とたくさん いわれてしまった。わが家は7人家族なので合 う日を探すのが難しそうなので、坊さんに頼ん ですぐに移動してしまった。大変すばらしく、 落ち着いた墓になっている。

生まれ年を変えると運勢もかわってしまうか もしれない。

干支による性格があるのかどうかわからない が同じ性格であれば今年の随筆の執筆者が皆同 じ人間になってしまいそうである。私は大学生 の頃までは子年であった。結婚後妻の発見によ り亥年に変更したのである。おとなしそうな性 格から猪突猛進になってきたかもしれない。両 者を上手に使い分ける必要がある。

吾が妻は2月生まれの寅年である。寅年にも いろいろあるらしく、生まれ月や日も関係する らしい。吾が妻はすべて寅であるらしい。妻に どうもかなわないなといつも思っていたが、あ る日細木女史の話を聞いて大発見をしたらし い。大変うれしそうに「私の運勢の虎はだれと 同じと思う?」と問うてきた。わかる訳がない じゃないか。

「フフフ!徳川家康と同じだって!!」

どおりで私ごとき平民がかなう訳がない。