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成年祝い(トシビー)

中村義清

中村医院 中村 義清

トシビーについて、沖縄琉球暦を調べてみた。 自分の生まれた十二支が、十二年ごとに回ってくる年に、健康を願って祝うとある。

主なものとして「十三祝い」、「還暦祝い」、 「古希祝い」、「八十五才祝い」、「米寿祝い」、 「カジマヤー祝い」があげられている。古希まで は、健康を願い友人や親戚で祝うとあるが、八 十五歳から長寿を喜び、健康を願い祝うとなっ ている。米寿は、旧暦の八月八日に八十八歳の 長寿を祝い、来客に竹製の斗掻(トカキ)を配 ったところからトーカチと呼ばれている。カジ マヤー祝いは、旧暦の九月七日に数え九十七才 の長寿を祝い、童心にかえるということで風車 を手に持ち、オープンカーでのパレードと、地 域を挙げて祝うことが多いと記されている。

昨年、母がカジマヤーを迎えた。療養中であ ったのでオープンカーでのパレードとはならず 施設内での祝いになった。直系の親族でカジマ ヤーを迎えたのは母が始めてである。5年前に 北部でのIGAゴルフコンペの最中に危篤だと呼 ばれた。主治医の説明では誤嚥性肺炎である。 高齢でもありARDSになりはしないか心配であ った。ところが、4週間程度で症状は軽快し体 調を取り戻した。母の生命力の強さを感じた が、今年の8月に人生の幕を閉じた。

私が、還暦を迎えたのもつい最近のことのよ うであるが、既に十二年が経過したことにな る。母が長命であったにも拘らず、父が48歳と 言う若さで他界したのでその印象が強烈であっ たせいか、私は還暦を迎えることはできないの ではないかと常々考えていた。那覇市のモノレ ール工事が着工した際、その完成を見届けるま で生きてはいないだろうと言ったら一笑に付さ れたことを覚えている。

数え73歳を迎えるこの機会に、私が生まれた 1936年(昭和11年)がどのような年であった のか調べてみた。

重大ニュースとして2・26事件が挙げられて いる。2月26日に歩兵第1・3連隊などの青年将 校21人が下士官・兵士約1,400人を率いて、首 相官邸、警視庁などを襲撃、高橋是清蔵相らを 殺害するクーデターが勃発。27日に東京に戒厳 令がしかれ、反乱軍兵士らの帰順を促すために 「兵に告ぐ」「今からでも遅くない」とラジオで 報ぜられた。29日下士官と兵士らは帰営、将校 らは自決したものを除き、全員(17人)が逮捕 され後に陸軍衛戍刑務所(7月12日)で処刑。

岡田内閣総辞職、陸軍(陸相予定者寺内寿 一)の組閣干渉(自由主義者の排除を要求)、 近衛文麿に組閣命令→辞退、広田弘毅に組閣命 令→広田内閣成立、外務省は色々あった国号を 「大日本帝国」に統一。

また、帝国議会議事堂(現在の国会議事堂) が11月7日に完成し落成式が挙行。1919年に行 われた設計競技で第一等になった渡辺福三(案) をもとに、大蔵省臨時建設局が実施設計を行っ たが、工期は当時の2倍、予算は3倍と大幅に 超過したと記されている。

スポーツ界では、第11回オリンピック大会が ヒトラーによりナチス・ドイツ宣伝のためにベ ルリンで開催。その際、ギリシャ・オリンピア からベルリンまで3,000kmの聖火リレーが行わ れたが、これが聖火リレーのルーツと言われて いる。日本選手が活躍;田島直人が三段跳びで 金・走り幅跳びで銅メダル、男子マラソンで孫 基禎が金メダル、朝鮮半島の出身であったが当 時は日本の植民地であったため日本選手とされ た。同大会では、金6個・銀4個・銅10個を獲 得。また、河西アナが200m平泳ぎ決勝の実況 で「前畑ガンバレ」を連呼。オリンピック冩眞 の無線伝送(東京・ベルリン間)に成功。

一方、相撲界では当時関脇であった双葉山定 兵衛が、11戦全勝(夏場所)で初優勝。そして、 その後の連勝記録は今なお健在である。プロ野 球界では、巨人軍の沢村栄治投手が、日本プロ 野球史上初のノーヒット・ノーランを達成。

その他のニュースとして、白バイの登場;警 視庁は、1919年から使用していた赤バイを変 更、南海鉄道に日本初めての冷房車が登場、日 本人初のヒマラヤ登頂(立教大学登山隊)。そ してまた、阿部定事件、吉田岩窟王事件等が挙 げられていた。

本当は、1936年当時の我国の医学・医療状 勢について記載すべくインターネットで調べてみたが、残念ながらこれらの関連情報は見出し えなかったのである。

因みに、世界では神経インパルスが化学物質 (アセチルコリン)によって伝達される事を発 見した、ヘンリー・ハレット・デール(英国) とオットー・レーヴィ(ユダヤ系米国人)の両 氏にノーベル生理学・医学賞が授与されてい る。こうして歴史の一端ではあるが列挙してみ ると、1936年は記録に残る色々な出来事があ った年のようである。

人間は動脈と共に老いると言われている。体 力を筋力・知力・気力にわけると、私の場合、 筋力は暦年令よりは保たれており、まだまだ若 い者に負けない(ゴルフは)と思っている。然 し乍ら、知力(記銘力)の衰えは如何ともし難 い。特に、処方箋を書く時など薬剤名がとっさ にでてこない。更には、講演会等で色々な医療 情報(Evidence)を聞いても頭に残る割合が極 端に減少してきた。その上、色々なものへチャ レンジする気力も湧きにくくなってきており、 知力・気力、その辺に老いを実感している。

今後のQOL のために、何とかその対策を、 特にI-LDLの保持増進に工夫して行かねばと考 えている。