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無理せず頑張ろう女性医師
−第1回沖縄県女性医師部会フォーラムを終えて−

依光たみ枝

沖縄県医師会女性医師部会部会長 依光たみ枝
(沖縄県立中部病院医療部長・ICU室長)

学会出張から帰沖する飛行機の中、いつもは 落語を聴きながら寝入る私ではあったが、明日 は何人集まるのかが心配になり熟睡?できな い。女性医師部会の役員が、あっちこっちにお 誘いの交渉をしても50人集まるかどうかであっ た。県外での学会のため事務局との連絡もまま ならず、講師としてお招きした天野恵子先生と のスライドのだぶりはないか、また具体的な内 容もわからず最初に会ったのがフォーラム開始 2時間前という、なんとも心もとないスタート であった。

50人の参加を目標に沖縄タイムス、琉球新報 へフォーラム参加の論壇を掲載してもらった。 「沖縄県医師会女性医師部会の立ち上げに向け て〜人生をエン女医しよう」のタイトルで、居 眠りさせないようにところどころに川柳や写真 を織りまぜて1時間の講演を終え、会場の後ろ に目をやると……、何と何と立ち見で会場が埋 まっているではないか!! 100人前後の参加者 で主催側も喜びの誤算であった。

天野先生の講演は、ジェンダー、欧米との比 較などなど私のスライドとは違ったアカデミッ クな発表であった。日本各地を講演され翌日に は、他県での講演との事、その情熱と熱意に心 動かされたのは私だけではないだろうと思う。 懇親会も大盛況で天野先生の周りには人だか り、乳児をかかえ談笑している人、子供を追い かけながらも同僚と大声で話し合っている若い 医師、「依光先生、お久しぶり!」と集まって きてくれたかっての女医ナ〜ズクラブの後輩 達、本当に涙が出そうになるほど嬉しくなり役 員一同、参加してくれた方達に感謝感謝の記念 すべき日となった。100人前後もの女性医師が 集まった大きな理由の一つは託児所を設けた事 もあったと思う。子供17人に対し、保母さん8 人、看護体制2:1のICU並みの手厚い保育体 制で、家に帰らな〜いと駄々をこねるわんぱく 坊主もいた程である。

私が医師になった30年前の昭和50年前後の 女性医師の割合は、10%前後であった。女性の社会進出の増加に伴い、2000年の医師国家試 験合格者の女性医師の割合が初めて30%を超 え、さらに増加し数年後には、女性医師が50% を超えるのではと予測されている(図1)

図1

図1 医師国家試験合格者の男女比

フォーラム発表用のスライドを作りながら、 なぜ私が女性医師部会部会長になったのか?自 分でも知らぬ間にあれよあれよという成り行き に自分自身が一番驚いている。思い付く理由を 挙げるとするなら1.救急救命センターを有する 病院で30年以上麻酔科医・ICU専門医として 勤務、2.結婚・出産・育児・親の介護と一通り 女性としての人生経験者、が大きな理由なのか なと思っている。30年前女性医師は10%で私 の同期16人の研修医中、女性は私1人のみであ った。その翌年より当院では女性医師が増加 し、宿舎での誕生会から女性医師の懇談会が始 まった。あの華やかなファッションで世界中を あっと驚かせたオリンピック陸上のゴールドメ ダリストJoynerに因んで、1991年女医ナ〜ズ クラブと命名した。さらに女性医師が増加し、 研修医を含めると30人を超す様になり男性医 師から「女医ナ〜ズは親睦団体ではなく圧力団 体だ!」恐れられるようになり女医ナ〜ズ党へ と変身し、自称党首として研修医歓迎会、忘年 会や新年会と自然にプチ女性医師部会が発足し たのである。

私事で恐縮だが仕事・子育て真っ最中の月 10回以上の当直で、子供にスキンシップ不足の 徴候が出た。何のために誰のために私は仕事を してるのだろうと一時は休職も考えた事もあっ たが、両親・上司・保母さんやお隣さんに助け てもらい、この30年間まがりなりにも仕事を続 ける事ができた。

しかし、現代の核家族社会、男性と同様な仕 事をしていても家庭では女性が育児・家事をす るのはあたり前という環境の中で、女性医師が キャリアを持続させるのは困難である。さまざ まな理由で休職していく同僚をみていくうち に、私の中に先輩として何かできる事はないの かなという想いが徐々に芽生えてきた事が、会 長を引き受けた大きな理由なのかもしれない。

沖縄県医師会の行った勤務医現況調査による と、2007年3月現在沖縄県の勤務医は1,954名 である。県内には女性医師は約400名いるが50 〜100人は休職・離職中であると推測され、実 態がつかめないのが現状である。

女性医師部会の活動目標として、1.離職者 の実態調査、2.女性医師のネットワーク作り、 3.仕事と育児の両立のための保育施設を含む 同僚・家族のハード面、ソフト面での育児支援 体制、4.復職に向けての再教育・ドクターバ ンクの窓口として活動できたらと思う。

沖縄県の女性医師支援の活動は、今始まった ばかりである。女性(医師)が生き生きと仕事 ができる職場は活気に満ちている。国もようや く女性医師の支援策を提言してきたが、一歩一 歩足もとから、できる事から、気張らず無理せ ず進んでいけたらと思うこの頃である。