豊見城中央病院 桑江 紀子
当直あけの日、南部病院から降りくる道。目 に入る海は、散乱する初夏の日差しを幾重もの 波の絨毯のうえに反射していた。銀色の海。ハ ンドルを握る腕に日差しがわずかに痛い。<光 る砂漠>という言葉が脳裏に浮かんだ。信号の シグナルが青に変わる。砂漠は光るだろうか、 ハンドルをきりながら、考える。
不意に、遠い記憶が、訪れる。<光る砂漠、 影を抱いて少年は魚をつる。震える指先。少年 は早く魚を釣りたい。>矢澤の詩だ。確かあれ は高校生の兄の本で、銀色の波状を描く砂漠の 写真が表紙になっていた。課題図書のしるしの 丸いマークが貼られていた。正方形の薄い<童 話社>のその装いに魅せられて内緒で読んだ。 本には詩が、1枚、1枚、自然の風景の写真と ともにのっていた。繊細な言葉が短い韻律で並 んでいた。一本の細い道の写真の見開きのペー ジにかかれていた<絶筆、道がみえる、小道も みえる、ただし、わたしがいない、どこへ行っ たのだ、わたしの愛は。>と記された詩は子供 のわたしの胸をもうつものであった。矢澤宰、 は若くして病と戦いながら、透き通るような詩 を書いていた。夭折、死後詩集が出版されたと いうような解説が書かれていたと記憶する。 (本はどこへ行ったのだろうか)
切々たる言葉もあった、<5月:5月が去ると て何を悲しむ、たとえ伏すみといえども生きると 決したは、この5月のときではなかったか>。 その中には明るい色調を帯びたものもあって、 その幻想的な表現の<光る砂漠、影を抱いて少 年は魚をつる。震える指先。少年は早く魚を釣 りたい>は当時のわたしの好きな詩句だった。
<むかしの記憶>、サングラスをかけなおそ うとして、ふと、砂漠は光らない、光るのは海 だ、と思う。矢澤の詠んだ<光る砂漠>とは、 実は、海のことだったに違いない。
2007年、夏、わたしはここで働いている、生 前、母が<いくさで死んだ姉と妹を思い出す> と、2度と足を運ばなかった土地、光る砂漠の きらめくところ、で。