沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 12月号

親バカ礼賛

吉川朝昭

西崎病院整形外科 吉川 朝昭

私は親バカである。しかも筋金入りだ。自嘲 しているのではなく、自慢しているのだと思っ ていただきたい。

春先から娘がフィギュアスケートを習いだし た。きっかけは、お友達のフィギュアスケート の発表会に誘われたことである。予想以上にそ のお友達が上手で、衣装もステキだったと興奮 して帰宅した細君と娘は、その晩二人してイン ターネットショッピングサイトで、このコスチ ュームがいい、これはイマイチなどとすっかり 「わたしも習っちゃう」モードで盛り上がって いた。もう小学校5年生でもあり、いまさら荒 川静香や浅田真央になれるはずもなく、「フィ ギュアスケートって将来どうなのよ」と眉をひ そめたものの、やはり娘はかわいいので習わせ てあげることにした。

数回に1回は、スケート場までの迎えを頼ま れる。その日、いつも通り8時過ぎにスケート 場に迎えに行くと、練習は終わったのだが仲間 ともう少し滑っていたいとお願いされ、仕方な く暫く待つことにした。最初はスケート場の外 で待っていたのだが、ガラス越しに娘の滑って いるのがちらちらと見える。なかなか上手に滑 っている。どれどれとスケート場に入ると、さ すがに寒い。こちらは半袖に素足だ。しかし、 届いたばかりの水色のコスチュームで楽しげに 滑る姿に寒さを忘れた。「お父さん、これが出 来るようになったよ。」時々私の近くに寄って 来て、習いたてのテクニックを見せてくれる。 「娘が一番上手なのでは?」とは、いくら親バ カな私でも言えないくらいに他の生徒との間の 技術の差は歴然なのだが、「上達速度は一番だ ろう。」とバカなことを考えている。すると私 と同年配のお父さんが、自分の娘にいろいろと アドバイスしている光景が目に入ってきた。 「自分はぜんぜん滑れないくせに〜。」とその娘 が笑う。「見るのは上手なの!」お父さんが言 う。私と五十歩百歩だ。でもほほえましい五十 歩と百歩である。

だから私は運動会が好きだ。自分の子供の競 技や演技を見ることはもちろんのこと、そこに 集う親バカの展覧会に参加するのが楽しいので ある。一挙手一投足を逃すまいとビデオを構え るお父さん。声を嗄らして応援するお母さん。 家族総出のお弁当時間。そんな人達に囲まれて 幸せな気分になる。だが時々は腹が立つことも ある。自分の子供のビデオを撮らんがために、 撮影中の私の前にしゃしゃりでて、撮影をする 人がいたり。我が子かわいさのあまり、他人の 子供をけなす親がいたり。これは親バカではな く、バカ親だ。親バカとバカ親、言葉は似てい るが、全くの別物で、むしろ対極にあると言っ てもいい。親バカを見るのは楽しいが、バカ親 を見るのは不愉快だ。しかし、悲しいことにバ カ親はいたる所にあまねく存在する。エスカレ ーター付近でふざけて遊ぶ子供たちがいると、 私はすかさず注意する。まあたいていの場合は 近くに親がいて、ばつが悪そうに「すみません。」 (子供の手を引いて)「ほらだから言ったでしょ う!」と言う。子供が悪いのであって親である 自分は悪いと思っていない。最初の「すみませ ん。」は子供の代わりに謝っているだけだ。ひ どいときは、突然我が子を怒鳴りつける変なお じさん(不本意ながら私のこと)を睨み付ける ことさえある。このバカ親が!と私は思う。

昨今、バカ親に類する人々が増えて、世の中 がおかしくなってきている。子供を狙ったいた ましい凶悪犯罪があとをたたない。あるいは民 族や宗教が違うというだけでいとも簡単に命を 奪ってしまう。皆がみな(庶民や指導者あるい は為政者)、自分の親バカぶりを楽しみ、他人 の親バカぶりを尊重することが出来るような 人々であれば、凶悪犯罪・無差別テロなんて起 きようがない。愚にもつかない戦争を繰り返すこともないだろう。人は誰しも、愛し愛される 家族がいるのだから。家族の絆・愛情を超えて まで、執着すべき欲望があるだろうか? 守る べき戒律やイデオロギー、宗教や民族・国家が あるのだろうか? 私は天下国家を論ずる器で はない。日々の家族の愛情のやりとりや些細な 感情で、すぐにいっぱいになってしまう小さな 器である。世の中の多くの人がその小さな器を 大切なもので満たそうと、毎日毎日を懸命に生 きている。その小さな器を守れずして、あるい は犠牲にして、何が天下国家なのだろう?

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし
身捨つるほどの 祖国はありや
                     寺山修司

身捨つるほどの祖国なんてないから、忠誠 心・愛国心なんていらない。自由に暮らそうと いう安直な歌ではない。もしそういう祖国があ るのなら、どういう国家なのだろうか?マッチ を擦るつかの間の光芒では漠として見えてこな い身捨つるほどの祖国よ。そんな祖国がこれま であったのか、そしてこれから存在しうるもの なのか。これは詩人の渾身の問いかけだ。しか し詩人でもない単なる親バカな私はこう歌う。

マッチ擦る つかのま茶の間に 寄り添って
嵐の夜も 灯下の笑顔
                 吉川朝昭

時計を見ると9時を過ぎていた。「お父さん、 もう十分滑ったから帰ろう。」やっと娘がスケ ートリンクから上がってきた。「もう、長いん だから。」少し口をとがらすが、かわいい娘の 滑る姿を見て気分は上々だ。駐車場までの道す がら、娘が私の肘のあたりに手を置いて言っ た。「お父さん、寒くなかった? 長いこと待 っててくれて、ありがとね。」冷たい手のひら だったが、伝わってくるものは暖かかった。じ わっとこみ上げて来るものを、鼻をすすってご まかした。これだから親バカはやめられない。