かつれん内科クリニック院長
勝連 英雄
皆様にご報告すべき趣味や特技などなく、随 筆の依頼をうけたことを後悔しつつ、締め切り を大幅にのばして頂きながらもぎりぎりになっ てこの雑文を書いている。身近なことを綴るこ とが随筆ならば、半年前の医院開業にまつわる 事柄が今の自分の身辺雑記となろう。そして、 今に至る単純にして思慮のないこれまでのこと をつらつら思い出しながら、私の随筆とさせて 頂く。いきあたりばったりでここまで来たが、 あらかじめ決まっていたことの様にも思える。
高校生の頃には一人前に、「沖縄は優秀な人 材はみんな医者になっていて、社会のリーダー になるべき文科の人材がいない、俺らが何とか しないと」とか考え、文系で沖縄の役にたつ人 材になりたいとの志を抱いたものの、浪人して いた内地での気ままな一人暮らしにいつのまに か勉強などすっかり忘れ、気が付けば後がない 二浪突入となっていた。文系で二浪もなかろう と考えた末、医学部なら格好が付くのではと無 謀にも医学部に変更。京都の医学専門予備校の 文科に入り、医学クラスの授業にしのびこんで 受講するも、数学IIIがチンプンカンプンでいつ の間にか脱落。またもや以前の自堕落な生活に 戻った。
夏休みに帰沖し医学部への変更を宣言した が、当時医学生となっていた友人から自治医大 というものがあると知らされる(後で冷やかし だったと判明)。暑かった京都の町も涼しくな った頃、いよいよ逃げられないと観念し「大学 への数学」を独学ではじめた。一応名前だけ聞 いていた自治医大に願書を提出し受験となっ た。なんという幸運か、数学の問題が、「大学 への数学」でやったものと似た問題だったた め、なんと自治医大に合格してしまう。
信じられない僥倖で入学したものの、田舎す ぎるとブツブツ文句を言いながらも、部活(空 手部)、マージャン、恋愛、読書、ナンパ、煙 草、酒宴そして勉強など青春の必須科目を修了 した。当時の、そして現在でも破られていない であろう「留年なしの最多再試験受験記録保持 者」の栄誉と共に。
医者になり、先輩たちに聞いていた恐るべき 県立中部病院の研修医となる。その頃のことは よく覚えていない。いつも頭に霞がかかってい た様でよく思い出せないが、なぜかインターン で(大学入学前から付き合っていた女性と)結 婚し長男まで生まれてしまう。(この長男が現 在これまた二浪中)
その頃、霞む頭に十代の頃に考えていたこと が再びよぎる。(離島医療、救急医療は勿論で はあるが)沖縄の医療に最も足りないものは何 だろう。その頃、第一線病院である県立病院に は糖尿病の患者さんが数多く入院されていて、 多くが合併症をもっておられた。また、内分泌 疾患をどう捉えていいかが全くわからなかっ た。沖縄に最も足りないものは糖尿病と内分泌 だと単純に確信した。(琉球大学に内分泌・代 謝の教室があることは後で知った。)そこで、 離島勤務の間の5年目に母校の内分泌・代謝科 で後期研修を選択した。糖尿病は知れば知るほ ど面白かった。
二度目の離島勤務を終え、中部病院、民間病 院で糖尿病・内分泌および腎臓疾患・透析の実 践を行っているうちに、以前からうすうす感じ ていたことだが、何かが足りないという思いに 捉われはじめた。それは、自分は糖尿病の患者 さんに主治医としてどこまで責任を負っている のだろうという思い、合併症に対し何もできな いという無力感であった様に思う。
糖尿病合併症があまりに巨大すぎ、大きな壁 のように自分の前に立ちはだかっていた。
そんな時、もう一度最初からやってみよう と、これまた単純に決意した。当時の勤務病院 を退職させて頂き、半年間中部病院のハートグループの見学をさせてもらった。その後、民間 病院で一般内科医として診療を続け、平行して 循環器や腎臓病・透析などの診療も行った。患 者さんとの関係でも未熟さゆえに悩むことも多 く、数年前まで「医者はやっぱり合わない、ほ かの道があるのでは?」など考えたこともあっ たが、いつのまにか自信らしきものがついてき ていた。糖尿病合併症への対処に手ごたえを感 じ始めた頃、どうせ勉強するなら関連する専門 医を取得してみようと思い、数年かけて糖尿 病、腎臓病、循環器および内科の専門医を取得 し「糖尿病合併症専門医」を自称し始めた。 (最近はコメディアンの「劇団ひとり」ならぬ 「合併症ひとり」とも言っている)
そんな時期にふと「病院の中よりも地域や世 間に出て直に接したほうが面白いのでは」とこ れまた直感し、その方法として「開業という形 態がいいのでは」と考え開業を決意し幸運にも 1年半で開業できた。すんなりいっている様に もみえるが、一時はこの業界の不思議さに絶望 し、また一方ですばらしい方々との出会いなど を経験して今に至っている。
このように思慮なしで行動してきたが、現時 点で何とかなっているのは幸運以外の何もので もなく、また根拠なしにこれからも大丈夫と思 っている。そして、多くの方々が未熟な自分を よく見守ってくれたなーとの思いは強い。開業 してみて、患者さんのことを、医療従事者とし てよりも家族や身内に近い感覚で接している自 分に気づく。この感覚こそ社会や世間と直に相 対しているという感覚であり、そこに開業の楽 しさがある様に思う。
開業した時、小さな会社を経営している兄に 「これでお前も1人前の社会人だな」といわれ た。20年間税金も社会保険も払ってきたの に・・・といいながらも、実際はその感がいよ いよ強くなってきていている。
殆どが初めて出会う方々(患者)で、診察室 でお互いになんとなくギクシャクした会話を続 けている。これも「一期一会」と思い、「もて なしの心」とか思い楽しんでいる。
★リレー状況
−平成16年以前掲載省略−
42.宮城茂先生(独立行政法人国立病院機構
沖縄病院)Vol. 41 No. 2
43.祝嶺千明先生(しゅくみね内科)Vol. 41 No. 3
44.宮城裕二先生(みさと耳鼻科)Vol. 41 No. 4
45.親川富憲先生(おやかわクリニック)
Vol. 41 No. 6
46.折田均先生(ハートライフ病院)Vol. 41 No. 7
47.湧田森明先生(わくさん内科)Vol. 41 No.9
48.宮良球一郎先生(宮良クリニック)Vol. 41 No.10
49.蔵下要先生(浦添総合病院)Vol. 41 No.12
50.樋口大介先生(独立行政法人国立病院機構
沖縄病院)Vol. 42 No.3
51.古謝淳先生(南山病院)Vol. 42 No.5
52.城間清剛先生(城間クリニック)Vol. 42 No.7
53.野原正史先生(のはら元氣クリニック)
Vol. 42 No.10
54.久貝忠男先生(沖縄県立南部医療センター・
こども医療センター)Vol. 42 No.12
55.米田恵寿先生(沖縄県立宮古病院)
Vol. 43 No.3
56.仲地広美智先生(宜野湾記念病院)
Vol. 43 No.6
57.与座一先生(ハートライフ病院)
Vol. 43 No.9