沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 12月号

「安里川の岸辺」 〜崇元寺橋の下のカメ〜

大城盛夫

財団法人沖縄県総合保健協会附属診療所
大城 盛夫

毎朝、私は崇元寺橋を渡って左折し安里川沿 いに歩いて国際通りのバス停留所に向かう。安 里川に平行して反対側右上空にはモノレールの 軌道が伸びている。川沿いの歩道は幅が広く、 ホウオウボクの並木が等間隔に植えてあり、日 陰を作って川からくる涼風は肌に心地好い。私 の大好きな散歩道である。

安里川の下流は久茂地川に分岐し、本流は泊 港に続き東支那海に注ぐので、満潮のときは海 水が逆に浸入して淡水と混ざることになる。満 潮時にはボラの群れが溯上して安里川はにぎわ う。分岐点の三角地帯に公園があり、その公園 の川沿いにアヒルが2〜3羽住みついて、その アヒルがときたま崇元寺橋下まで遠征して岸に あがって遊んでいる。

私が最も興味深く安里川の水面をみているの は、孤独な水亀である。十数年まえから見掛け ていたが年に数回しか見ることがない。大きさ は手のひら程度で人間の姿にきづくと水中に姿 をくらます。どうやら恥ずかしがり屋のようだ。 大潮の満潮のとき水面は高くなり透明度の良い 時には、亀の姿がよく観察できる。潮流に流さ れないで同じ場所で立ち泳ぎをして、自分の口 に入りそうな物は吸いこんでいるが合わない物 は吐きだす。そのとき白いガム風船のようなも のが出るが再び口のなかに収める。プロ野球の 外人投手がガムをかみながら時々小さな風船を 口外にだしてまた吸い込むしぐさに似ている。

ある日の夕方、崇元寺跡近くの自宅に向かっ て岸辺を歩いていると、ジョギング姿の高齢の 男性が立ち止まって川の水面を見ながら笑って いた。私が近づくと無言で水面の亀を指差して 黙って笑っている。

その時はやはり満潮時の大潮であり、親子の 亀が水面を泳いでいた。小亀の大きさはアヒル の卵大の大きさで可愛い。私も笑った。しばら く見ていると、小亀は元気よく流れにのって1 メートルほど離れると向きを反対にかえて親亀 に近づき、また逆の方向に活発に泳ぐ。この 間、さすがに親亀は姿を隠すことはなかった。

今年の夏の台風の時、安里川が氾濫して国際 通りの商店街に浸水騒ぎがあった。そのときの 安里川の濁流は凄かった。そのとき亀の親子は どこに隠れていたのだろうか。

亀の生態を百科事典で調べてみると、おもし ろいことが分かった。亀は何も食べずに1か月 間も生きて、長期間の乾燥に絶えること。そし て亀は長命である。アメリカ・ハコガメは野生 で138年も生きた。亀は最も歩みののろい動物 とされているが、アオウミガメは10日間で500 キロも泳いだことが知られている。方向感覚が 良く、とくにウミガメは遠い距離を旅すること ができる、と記されている。

安里川のこの水亀から教えられることがあ る。水亀は崇元寺橋より下流には流されて行か ない。行動範囲を超えて港に出て大海に出るこ とはしない、つまり境堺線を越える冒険をしな いのである。川の上空を白鷺が翼を広げて優雅 に飛んで行く姿を見上げて、私はうっとりする 事がある。しかし、見栄はよくなくても、水亀 が他の動物と競うことをせず、ゆうゆうと自然 に逆らわずに泳ぐ姿に感動した。

今年私は75歳になった。沖縄の結核医療対 策にたずさわって44年。琉球政府時代から本土 復帰前の琉球政府厚生局金武保養院(病床数 460)は医師不足、予算不足、医療設備も不充 分であった。そこに厚生省派遣の結核専門医達 が6か月交代で赴任し応援勤務して下さった。 或る先生が最後の日に書き記して下さったのが 次の句である。

「天の時、地の利、人の和」

私はこの句を座右の銘にして永続勤務した。 水亀のように、どんな濁流がきても、あわてず 騒がず、落着いてマイペースで生きて行きた い。(以上)