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沖縄県宮古福祉保健所所長 上原 真理子 先生

上原真理子先生
P R O F I L E
昭和53年3 月
熊本大学医学部卒業
昭和53年5 月 熊本大学小児科学教室に入局し、2年間研修医として、
熊本赤十字病院、国立西別府病院小児科勤務
昭和55年7 月 国立西埼玉中央病院小児科勤務
昭和57年9 月 浦添総合病院小児科勤務
昭和60年5 月
沖縄県に入り、中央保健所勤務
平成9 年4 月 沖縄県コザ保健所健康増進課長
平成11年4 月 沖縄県石川保健所次長兼健康増進課長
平成14年4 月 沖縄県中央保健所健康推進課長
平成18年4 月より、現職

顔の見える連携を目指 しています。

Q1.宮古福祉保健所長として赴任されて1年 になりますが、現在、どのようなことに取り 組んでいるのでしょうか。

平成17年度からマスクキャンペーンに取り組 んでいましたので、それを平成18年度も継続し ています。このきっかけは、平成16年に肺結核 G10号が診断されるまで約半年の診断の遅れが あり、院内感染対策の一環として、県立宮古病 院とマスクモニタリング調査およびキャンペー ンを始めたことでした。平成18年度からは、県 立宮古病院以外に3つの診療所の協力も得て、 マスクモニタリング調査ができました。シーズ ン当初は着用ゼロですが、院内で装着勧奨する ことで着用して来た分と病院で着用させた分を 合わせて9割となっています。着用して来る分 は最大でも3割ほどまでであり、報道やキャン ペーンが少ないと低下してしまいます。宮古特 有の高校卒業お祝いや合格・入学祝い(とても 盛大で、一人何軒も回ります)の季節には、イ ンフルエンザが流行するという現象があります ので、咳があるときはマスク着用がマナーであ るとの認識の定着を図りたいと考えております。

また、最近は医療制度改革に向けた取り組み で頭がいっぱいですが、生活習慣病予防の部分 は市町村がしっかりとした体制で取り組めるよ うに下支えを、在宅に向かうシステムの中で医 療難民や介護難民が出ないようにするために は、医療機関や関係施設との連携・調整に心を 砕くつもりです。当面は保健医療計画を今年度 中に策定しますので、そのための作業や病院・ 専門医へのインタビューなどに走り回る予定で す。健康増進計画・がん対策推進計画や地域ケ ア整備構想、介護保険支援計画との整合性を図 りながら、最終的に医療費適正化計画に集約さ れることになろうかと思います。ただ、ベッド の削減で医療費を削減しても、医療の必要な方 には医療の提供をしなければなりませんし、医 療の質を担保しつつであることは言うまでもあ りません。私達も葛藤しつつ、どうしたら県民 の皆様が不利益を被らない落としどころにたどり着けるのか、保健所のできる調整やマネジメ ントをやっていきたいと思っているところです。

Q2.上原先生はこれまで麻疹予防接種率の向 上に取り組み、那覇市の接種率を大幅に向上 させた実績がおありですが、宮古地区の接種 率はどうでしょうか。また、麻疹患者発生時 への対応についてはどうでしょうか。

平成18 年4 月より新しい予防接種法の施行 (麻疹・風しんの2回接種)となり、6月にも一 部改正があったため、市町村においては混乱し かつ、補正予算を組むなどの厳しい対応を迫ら れました。そのため、昨年10月時点での全国調 査において、MR2期接種率が沖縄県は最下位 の12.1%、最高でも徳島県の42.2%という低い 接種率でしたが、宮古島市では56.6%でした。 そして、平成19年1月末時点での調査時には沖 縄県が51.3%で、宮古島市が89.5%であり、3 月末には96.8%という驚異的な数字となりまし た。同じ人口規模(約5万人)でこういった高 い接種率はありませんでした。何より、就学時 健診や入学説明会に絞って、教育委員会や学校 とはかなり詰める手間暇をかけましたし、宮古 島市長と保健所長の連名で入学説明会のお知ら せ文書を出すといったこともしました。また、 1月末から3月末にかけての2ヶ月間で7.3%ア ップした裏には、宮古島市の予防接種担当者や 保健師、母子保健推進員といったスタッフの個 別訪問等の努力がありました。ただ、平成18年 度のMR1期接種率は、81.0%に留まっており ますので、さらに保育所(市の児童家庭課)と 連携しながら、1歳半健診の場や未受診訪問な ども活用して、95%以上を目指したいと考えて おります。

麻疹患者発生時の対応としては、沖縄県の全 数把握事業およびガイドラインに則って進めて いますが、麻疹と診断した医師からの迅速な届 け出と患者さん(保護者)の同意をとっての検 体(咽頭ぬぐい液・血液)の提出が非常に重要 なことです。そのことから、保健所は関係機関 への情報提供と積極的疫学調査・接触者調査へ と入って行き、間に合う人へのワクチン接種な ど拡大防止に努めます。この時、医療機関のみ でなく市町村や保育所・学校との連携が非常に 大事であることを痛感しています。

Q3.現在、医師不足から女性医師への期待が 高くなっていますが、医師としての仕事の他 に主婦、育児を両立させてこられた経験のあ る上原先生から、女性医師へのアドバイスを お願いいたします。また、女性医師が働きや すい環境を整備するということに対してご意 見、ご要望等がございましたらお願いいたし ます。

26歳の長男以下、5女(23歳、20歳、18歳、 15歳、13歳)がおります。

長女が1歳までは臨床におりました(約7年 間)が、昭和60年に沖縄県に入りました。

困ったのは、子どもの急な病気でした。病児 保育もなし、働いていた姑には急には頼めな い。結局、一般的には私が休むか、熱さましを 飲ませて午前中だけでも保育所にお願いする (やってはいけないことですが)しかありませ ん。時には働いていない時期のあった義妹が面 倒を見てくれたこともあり、その時は大いに助 けてもらいました。

臨床の現場では、まず院内保育所。産休・育 児休業の整備。育児時間も。同僚の過重労働に 負っていては、産めない・育てられないので、 仕方なく辞職することになりますよね。ただ、 私達が医学生の頃は、女性が1割いるかどうか でしたが、現在では4〜5割を女性が占めてい る訳ですから、本当に真剣に女性医師が仕事を 継続できる環境づくりが必要になっているので すね。制度は準備・適用できても、代わりをす る医師の確保が頭の痛い問題ですね。学校の先 生ですと、免許はあるけどまだ採用されていな いという方が多くおられて、補充教員となりま すが、医師の場合はそういったことにはなりま せんし、専門とする標榜科との関係もあって難 しいことです。

Q4.最近、県総務部が知事部局で働く医師の 特殊勤務手当(医師手当)の廃止を検討して いると新聞報道されましたが、率直なご意見 をお願いいたします。ほとんどの医師は医師 偏在の問題や新型インフルエンザ発生時への 福祉保健所の対応などを考えると、特殊勤務 手当は廃止するべきではないと考えています がいかがでしょうか。

廃止すべきではないと考えています。医療制 度改革の中でも医師確保が問題となっており、 廃止すれば益々医師の確保が困難になることは 目に見えています。元来、離島・僻地へ高く配 分されて来たのは、そういったことを汲んでの 措置であったはずです。特に、公衆衛生分野の 医師の育成には時間がかかりますし、臨床に比 べると地味で魅力を感じられず達成感も薄いと 思われているため、公衆衛生部門を希望する医 師を確保することは至難の業です。今後とも若 い医師が困難な健康危機管理対策(SARSや新 型インフルエンザ等)も含めた公衆衛生を志す ために、現状よりもモチベーションを下げる医 師手当の廃止は容認できないことです。

Q5.上原先生は宮古島市へは単身赴任だと思 いますが、ライフスタイルから考えての離島 勤務についてはどうでしょうか。

3年ほどの離島勤務で体調を崩す人や亡くな る方を身近に知っています。年齢が大きな要因 とは思いますが、男性にとって外食と不規則な 生活が大きな要因であると思います。私のよう に女性であっても、付き合いの宴会が続き、体 重が半年で4Kg増えた時は驚き慌てました。昨 年11月からは、できるだけ週2回のウォーキン グ4Kmを実践するように心がけています。恐 れていた「オトーリ」については、量も種類も 本人が選択でき、無理強いはされません。これ は、来てみて嬉しい驚きでした。少しずつ良い 方向への誘導が働いているのですね。宮古保健 所としても、平成17年度から「オトーリ・レッ ドカード」(ドクターストップ)、「オトーリ・ イエローカード」(お酒を勧めないで)という カードの発行を始めていますので、無理に飲ま なくてもいいのだという共通認識のきっかけに なったのではと自負しております。

Q6.上原先生は県外のご出身と伺っておりま すが、沖縄に来られた経緯を教えていただけ ないでしょうか。

私は熊本出身ですが、夫が沖縄県那覇市出身 です。宜野湾で小児科開業して6年の上原哲と 言います。熊本大学を昭和53年に卒業した同 級生(同じ小児科医局)で、昭和57年6月まで 国立西埼玉中央病院小児科に夫婦で勤務してお りました。小児科の大宜見先生のお誘いで夫が 同年7月より県立那覇病院に勤務することとな り、沖縄へ戻って参りました。それに伴われて 沖縄に来たものの、7月・8月の無職期間は何 とも言えないものでした。誰一人知り合いもな く(一部先輩や同級生はいますが)、1歳の長男 と二人だけの暮らし。それまで卒業後4年間勤 務した後に訪れた空白。自分なりに楽しく努力 したつもりでしたが、夜中に突然ガバッと起き て、座ったままでじっと考え込んでいたり、い ろいろとおかしかったようです。私自身にはそ のことにあまり記憶がないのですが、本来私が 仕事をすることには反対だった夫が、そういっ た様子を見て、就職先を見つけて来てくれまし た。それが浦添総合病院小児科での勤務で、2 年余りを経て、沖縄県に入りました。沖縄在住 25年で、もう少しすると熊本に居た期間と同じ になりそうです。こういった人のことを「うち とんちゅ」と呼ぶのでしょうか。私自身は、保 守的な熊本の雰囲気よりも、明るく開放的な沖 縄が好きで、気候的にも非常に心地よいので、 どこへも行きたくないと思っています。

本日はお忙しい中、インタビューにご協力い ただき、ありがとうございました。今後とも、 我々医師会員へのご指導と共に、県民の保健、 福祉の向上にご協力いただきますようお願い申 し上げます。

インタビューアー:広報副担当理事 野原薫