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若い医師諸君へ

原田宏

豊見城中央病院救急部 原田 宏

大学入試の際の面接で、離島医療や過疎地医 療に尽くしたいなどと言った事はありません か。合格すればどうでもいいことなのかもしれ ませんが。しかし、離島で医療過疎のため、本 当に困っている人たちがいるのも事実です。自 分の持っている知識や技術を困っている人に役 立てられないかと真剣に考えたことはありませ んか。私はいつか離島医療に貢献できないかと 考えて、研修医時代を過ごしていました。

そのため、どんな科であろうと手技や知識を 貧欲に吸収しようとしました。当直の夜中に、 小児科のカルテを必ず10冊は眺め、どんな処方 をしているのかを見ていました。脳外科の手術 は出来る限り参加させてもらいました。そして、 慢性硬膜血腫の穿頭術やVPシャント術など教 えてもらいました。産婦人科では帝王切開分娩 も100例以上やらせてもらいました。整形外科 も出来る限り参加し、泌尿器科でも、小手術に 呼んでもらいかなりの件数をこなしました。全 身麻酔の件数も気が付くとあっという間に400 例を超えておりました。ほとんど、自宅にも帰 らず院内の研修医の食事で過ごしておりまし た。現在なら、過剰労働として、これは問題に なるかもしれません。しかし、こうしたことが、 離島での医療の役に立ったことは事実です。

5、6年目には、2ヶ月に2週間ほどの離島応 援のローテイションに組み込まれ、離島医療を つぶさに見ることが出来ました。

離島の人たちはどのような医師を望んでいる のかを考えていました。いつでも顔の知れた、 相談しやすい医師を希望しているはずである。 専門医も必要だが、general doctorが、一番求 められているのではないか。外科系の一般医で あると同時に救急医でもあるべきと考え、研修 医、そして、若手の時代を過ごしたものでし た。(御指導いただいた先生方には、心から感 謝しております。)

そうしているうちに、鹿児島県奄美大島の近 くの喜界島で、外科医がいなくて困っているこ とを知り、何とかできないかと真剣に悩み、自 分が行くしかないだろうという気になりました。

私が抜けるのを一番気に入らなかったのは院 長で、「もう手伝ってはやれないから一人でや れ」との言葉で、半分暗い気持ちで7年目の医 師生活が始まりました。でも、毎週のように見 つかる大腸癌患者、胆石胆嚢炎、胃癌、乳癌 と、とても1人でこなせるものではなく、元の 院長に相談すると自ら応援に来てくれることが 常でした。ほかにも、脳神経外科、整形外科、 産婦人科、精神科と、いつも相談できる医師と の連絡を密にしていたものでした。離島医療は 一人で出来るものではないということを知りま した。自分の診断能力を相談相手に知ってもら い、またいろいろな分野の相談できる先輩医師 をつなぎ止めていなければなりません。研修医 (前期・後期)時代は、知識手技などの吸収は もちろんですが、信頼の出来る、相性の良い先 輩、同僚との人脈を作る時間ではないかと思い ます。

当時は、インターネットもなく、画像の伝送 も出来ませんでした。それで、レントゲンをな ぞったり、CT画像を紙に写し取ってファック スで送って、相談したものでした。手術も器具 が不十分であり、あるもので何とかやりくりしておりました。見落としがないか、不足してい ることはないかといろいろな点で緊張の連続で した。自分が、嘔吐しながら内視鏡検査をして いたこともありました。年に1回くらい、高熱、 頭痛、下痢嘔吐で動けなくなることがありまし た。いつも土曜日の午後からで、翌日の日曜日 はダウンしていますが、月曜日は回復して業務 に支障をきたすことはありませんでした。若か ったということもありますが、運動もし、体力 維持にも努めたつもりです。(でも、今考える と、めちゃくちゃな生活でしたね)

離島では、住民との結びつきも強くなり、暖 かい歓迎も受けました。2、3人でバーベキュー をやっていると、どんどん地元の人が、刺身や 焼酎を持って加わってきて、どんちゃん騒ぎに なってしまったこともあります。つり好きのド クターが朝早く起きて、岸壁で釣りをして、1 匹もつれずに帰ろうとしたら、それを見た地元 の人が、大きな魚をかざしながら「持っていき ますか」と。この日の朝の医局ミーティング は、机の上の山盛の刺身で始まりました。今で も、「イカのゲソあるけど食べますか」と、年1 回ぐらい東シナ海から電話が入ることがありま す。「明後日、糸満漁港に入港予定です。入れ るものを持ってきてください」と。バケツを2 つくらい持って行くと、15kg位のビニールに 入ったものが10パックも準備されていたりしま した。港内では捨てられないので持って行って くれと言う。こうなると、職員はもちろん、外 来の患者さんにあげたり、障害者の施設、老人 ホーム、などにも電話をして分けたりします。 イカは、かなり生臭いので、大変です。でも、 その味は、最高級でなかなか食べられるもので はありません。

話を元に戻しましょう。離島での医療で問題 になるのは、自分の時間がなかなか取れないこ と。重症者がいれば自宅に戻ることも出来な い。常に自分の家庭や自分自身が犠牲になる可 能性がある。また、最新の医療情報から取り残 されないかという不安。努力して新しい知識、 技術を取り入れようとするが、つい目先の患者 さんに力を注ぐことになって時間がとれない。 一方患者さんを救命したときの快感、という か、満足感は忘れられません。良心と自尊心、 自己犠牲で支えられているところがあるのは事 実です。

離島医療では、住民からの感謝の表示が常に なされてます。人間としてのふれあいが長期に わたって持続します。患者さんから信頼される ということがどんなことであるかを知ってほし い。若い医師には、ぜひ1度は離島医療に貢献 して欲しい。ベテラン医師も、自分のペースで の離島医療への貢献を考えていただきたい。

まとめ

1)一般医として、あるいは、専門医として離 島医療に貢献するか。耳鼻咽喉科、皮膚科、 眼科といった専門医は、現場ではとても重要 なのです。

2)何時(何年後に)離島に行くかきちんとし た計画を立てる。医師として5、6年は経験を 積んでからが望ましい。家庭(結婚等)、子 供の教育なども考慮に入れて。

3)最低3年間程度は、留まって欲しい。住民 の方とは、ある程度の時間がないと信頼関係 を築けません。長い間相談できる医師を望ん でいます。

4)救急医療の知識を身につけておくこと。

5)離島医療は一人では出来ない。医師はもち ろん、出来れば、それ以外の分野の人とも人 脈を作っておくこと。

6)経験者の話をきちんと聞いて下さい。また、 それぞれの経験した離島医療によって、話さ れる内容にかなり違いがあることも事実です。 離島の文化、風習なども重視してください。

7)最期に、公的な補助も重要かと思われます。