第104回沖縄県医師会医学会総会会頭
新垣 敏雄
今回、はからずも第104回沖縄県医師会医学 会総会の会頭に御指名を頂きました新垣でご ざいます。歴史と輝かしい伝統のある本医学 会総会において、このような機会を与えて下 さいましたことを、この上ない光栄に存じま すとともに、深く感謝申し上げます。
御指名を頂きました県医学会会長比嘉實先 生、県医師会会長宮城信雄先生、医学会幹事の 先生方はじめ会員の先生方に厚くお礼を申し上 げます。
歴史を
1589年、越前(福井県)の山崎
1637年になって、琉球王府も漢方医養成の
必要性を痛感し、北京への留学生派遣が始まっ
て240年余も遅れて、日本および中国に毎年医
学留学生を派遣する制度を作ります。1637年
には、山崎
1638年には、波名城政由が王府の命で、は じめて北京へ医学留学しています。日本への留 学は専ら薩摩に限られ、中国留学は主に福州か 北京でした。それからは、中国と日本の両国の 文化の影響をうけながら、医療の面でも著しく 変化・発展がみられました。1689年には、高嶺 徳明が中国で学んだ補唇術を成功させました。 1848年には、仲地紀仁により「牛痘法」が行 われています。その以外は漢方医による医療が 普及していました。1868年には明治政府とな り、1879年(明治12年)沖縄県となります。
500年余にわたる中国との宗属関係が、一方 的に断たれた琉球は、政治、経済、社会の混乱 を来たし、当然医療界にも混乱が生じました。 1885年(明治18年)に、早急に医師を養成すべく県立病院内に創設された「附属医生教習 所」も、28年間の存立後、明治39年に医師法 が発布され「医術開業試験規則」の改正により 廃校となりました。その後も医療界をとりまく 状況は、紆余曲折があり、困難を極めました。 昔も現代も医療をとりまく環境は厳しさが続い ています。
第2次世界大戦で、灰燼に帰した沖縄はさら に困難を極めましたが、各種伝染病、ハブ咬 症、地域特性の風土病等に対応し、乗り越え、 琉球大学にも医学部が創設され、世界長寿地域 宣言も出しました。しかし、最近26位ショック が起きました。これは主たる原因が肥満であ り、生活習慣の乱れ、食生活の乱れから来てお り、メタボリックシンドロームと呼ばれ、その 予備軍も多いことから、その対策が急務となっ ております。
ところで、東洋医学には「病を得て薬を求む るは、渇して井戸を掘るに似たり、聖人は已病 を治すにあらず、未病を治す」との教えがあ り、健康は日々の養生(食事・運動)が大切 で、病気を未然に防ぐ健康管理の必要性を説い ています。医食同源、薬食同源、薬食一如、身 心一如東洋医学の知恵を生かして、健やかな長 寿を達成したいものです。未病は、早期発見、 早期治療による予防と相通じます。これからの 医療は西洋医学と東洋医学を融合させ、その相 乗効果でより良い治療効果を上げると、医療の 幅が広がります。
本日は、特別講演に寺澤
最後にお世話をいただきました県医学会会長 比嘉實先生、県医師会会長宮城信雄先生、幹事 の先生方に感謝申し上げます。
特別講演講師 寺澤捷年先生
特別講演 会場風