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勤務医・冬の時代

高良英一

沖縄赤十字病院 高良 英一

小生は山口大学卒業後に入局した東京女子医 科大学脳神経外科学教室において、当時の主任 教授の還暦を医局員や多くの招待者と共に盛大 に祝ったことを今でも覚えている。その鮮やか な記憶は、医者になりたてのころであり、その 時代の教授は新米脳外科医にとって近寄りがた い存在であり、そのうえ60歳という年齢はその 頃の私には全く想像のできない歳であったため であろうと思う。織田信長が好んだと云われる 『敦盛』の一節に「人間五十年 下天のうちを くらぶれば夢幻の如くなりひとたび生を受 け滅せぬもののあるべきか」とあるが、21世 紀の現在では気持ちと体力にはいささか乖離が みられるものの、60歳の我々世代はなお現役バ リバリである、と小生は思っている。同じ く、私たちが入局したころと現在と大きく様変 わりしたことに医師・患者関係がある。フレッ シュマンのころ先輩Dr.は、手術の説明を病 名と手術の必要性、手術手順など簡潔に説明 し、術中、術後のことは任せて下さいと、いわ ゆる医師側のパターナリズムと解釈される説明 で患者さんは十分納得し、患者および患者家族 との関係も問題はなかった。決してインフォー ムド・コンセントの重要性を否定するものでは なく、当時は患者・医師間にある種の信頼関係 が存在したのだと思う。脳虚血性疾患の治療と して浅側頭動脈―中大脳動脈吻合術がある、そ の治療法が報告されたころラットの血管や細い チューブなどを使い顕微鏡下に吻合の練習を何 度も繰り返し、そして手術に臨んだこと思い出 す。吻合血管径は1mm前後であり技術的に決 してやさしい手術ではない、今の時代であれば その手術の経験数は?成功率は?合併症は?な どと聞かれ、患者やその家族は発表されて間も ない新しい手術を若い脳外科医が執刀することに不安を感じ手術を拒否した可能性がある。

初めての手術や難易度の高い手術は術前にい くつもの手術書を何遍も読み、先輩Dr.に指 導を受けながら手技を習得し、そのうち新しい 手術法が報告されるとそれに挑戦する自信が持 てるようになる。手術は同じ術式であっても症 例毎に異なっており、特に難易度の高い手術の 術中操作はその操作毎に未知との遭遇みたいな ものであり、常に過去の経験などを頼りに創造 的に操作を進めていく必要がある。そして既往 歴、併存疾患などを加味すると治療結果は EBMで説明できても患者個人にとっては幾分 かの不確さが残る。人間は一人ひとり全く別の 固体であり、たとえ同名疾病に同じ治療をルー チンの治療法で行ってもすべてに同じ結果や効 果を期待する事はできない。それ故に治療する 側は常にチャレンジする気持ちを持って患者に 対応することが必要である。

今、病院は安全な医療を目指して職員の教育 や安全性を考慮した医材への変更など人、物、 金を投入して最大限の努力をどこの病院も行っ ている。医師はインフォームド・コンセントの 重要性を自覚し、最近は同意書以外にもそれぞ れの疾病や医療行為の説明文書を用いて説明し ており、そばで聞いていると自分ならその検 査、手術を断りたくなる程詳細に合併症や危険 性も実にクールに伝えている。急性期病院に勤 務する多くの医師達は私たちが医師になりたて の頃も今も毎日の診療、当直、救急や急変患者 の対応に追われ忙しさに変わりはない。しかし 最近はIT化に伴う業務、医療安全のための諸手 続きの複雑化などで事務的業務の増加も勤務医 に負担をかけている。さらに現在は医療情報が 豊富になり、結果として患者および家族は情報 を未消化のままで医療に過度の期待を持ち、治 療結果が期待に反した場合などは医療側の不 備、医療過誤ではないかとクレームを寄せる。 その都度経過説明を行うが、時には詰問調、時 には医療側のプライドを傷つけるような言動が 患者側からあり、勤務医の多くがストレスを増 加させる一因となっている。この様な状況では重症な患者、一筋縄ではいかない患者などの担 当を避ける事態が生じないか心配である。チー ム医療が実践されている今日、常にチャレンジ する気持ちで積極的に医療に対峙する勤務医が 多くなって欲しい。病院は挑戦する勤務医を大 いにバックアップしたい。

厳しい医療保険制度の現在は病院および勤務 医にとって冬の時代と言える。

しかし、冬来たりなば春遠からじ、である!