おおうらクリニック(リウマチ科)
大浦 孝
今年も冬将軍がやって来た。雪国では雪との 戦いの季節である。夜道でも明るい銀世界。今 では伝説の雪女と会うこともなくなったと友人 が言う。
ところで雪国では雪にも様々な表現がある。 ささめゆき(細雪)が初雪で粉雪、ぼたんゆき (牡丹雪)、の小雪も大雪となり、風雪でふぶき (吹雪)がつづき豪雪となり、なだれ(雪崩) うつ。北海道の旭岳では初冠雪となり、来春ま で根雪となる。エスキモーでも同様に氷や雪の ことを多彩な表現で日常会話しているという事 を聞いたことがある。
病気にはなおる、なおらないの表現があるが これも千差万別である。安易に使用できない微 妙な意味合いを含んでいる。毎日なおるなおら ないと呻吟してこれをなりわい(生業)として いる者にとって正に死活問題である。
「この病気はなおらない」と言われたとふん まんやるせなく相談を受けることがしばしばあ る。いわゆるセカンドオピニオンを求められる のである。この10年間、一般的に「この病気は なおらない」ものとして教科書には記載されている。実は本にのっていることは昔のことで 今、ここであなたの「この病気はなおらない」 かどうか即答はできかねますが充分検討の余地 がありますと答えるべきある。というのは医師 が「なおらない」と言うのと患者が「なおらな い」と受け取るのとではその解釈にはかなりの 乖離がある。患者曰く。「この病気でなく私の 病気をなおしてほしいのです」医師曰く。「あ なただけではなくこの病気はなおらないので す」との押し問答がつづく。ここで医師は正直 に言うべきである。「私にはなおせないのです」 「当院ではなおせないのです」「東京でもなおせ ないのです」「アメリカでは2、3なおった例が あります」「現代の医学ではなおせないのです」 「来年にはいい薬が出てなおります」「将来はな おせる様になります」「自然になおった例もあ ります」
なおると断言することはむずかしい。なおら ないと断言することは更に困難であり自信がな い。16世紀の近代外科学で有名なアンブロワー ズ・パレの有名な言葉がある。「To cure sometimes 」「To relieve often」「To give comfort always」「時に医師は治すことができる。しか し、しばしば症状を和めることができる。で も、いつもできるのは心を支えること」又、 「Medicine is an art based on science」聖路加 国際病院の日野原重明先生はこのウィリアム・ オスラーの言葉を引用して次の様に述べておら れる。医学は、単なる医学ではなく、サイエン スに支えられたアートなのです。知識とテクノ ロジーをその患者にどういうようにタッチする のか、どういうタイミングで、どういうふうな 説明で、どういう慎重さでやるかということで す。音楽家が同じ曲を演奏してもそれぞれが固 有の演奏になってるのと同じように、知識とテ クノロジーを持っていても、その患者にどのよ うにケアを提供するかという適用の技がアート なのです。
ともあれ現実的には充分に状況証拠を固め、 慎重にその可能性を触れるにとどまる。医療施 設、設備、技術レベル、その他の総合力を一定とした場合、次の様に患者の側でも判断され る。但し不可抗力、事故はないものとする。
1)なおった:早期に発見され、傷は浅く、 軽症で進行せず、かつ年齢は若く回復力も 旺盛であった。
2)なおらない:進行性で転移し手遅れで合 併症もあり重症となり末期で、かつ高齢者 で回復力は乏しい。
以上は癌の場合を想定して単純化したが実際 はこの様に単純ではなく正に千差万別である。
又、診療録(カルテ)、論文、学会発表では 学術専門用語として、1)完全寛解2)不完全寛解 3)欠損治癒等の用語が使われる。いずれもなお ったことになっているが若干の説明を要する。 1)は5年間治療なしで、全く発病、再発の兆候 がない場合を指す。但し、10年後、20年後の 再発も稀ながらありうる。2)は治療なしで検査 所見(テスト)では異常は続いているが日常生活に支障なく時々通院して検査、指導を受けて いる状況を指す。再発するか完全寛解するか未 知の部分が残る。3)は肉体組織の一部は瘢痕と して固まって欠損しても大部分は正常機能が作 動している状態を指す。
以上の如く、なおる、なおらないと言っても 時と場所によって、その意味するところは千差 万別であり、言葉も又生き物である。従ってそ の昔使用されていた「難病」「不治の病」とい う言葉は逆説的には死語となりつつある。この 様な一般的概念では包括できない程医療現場は 個別化している。
(ここでは死の宣告の問題には触れない。)
参考文献
日野原重明:「Good Death」
日本内科学会雑誌:Vol.95,No3,41-49 March10,2006