沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 12月号

安座間廉先生を偲んで

安座間廉先生

故 安座間廉先生

中部地区医師会第3代(1963年から65年) 会長安座間廉先生が天寿を全うされて、はや、 七七忌を迎えました。県医師会からの依頼を受 け、少なからぬ思い出の一端を綴り、先生追悼 の拙文を捧げます。

先生に、はじめてお目にかかったのは、1951 年7 月1 日、小生が医師になって初めて出勤し た沖縄中央病院の眼科のコンセットでした。イ ンターンで2 週間通った松沢病院の立津政順先 生(今帰仁天底小学校・沖縄県立第二中学 校・官立水戸高等学校・東京帝国大学医学 部・熊本大学医学部精神科教授)から預かった 部厚い生理学の本を安座間先生にお届けするた めでした。病院構内にあったカバヤーのお宅に 伺ったこともあります。

先生が中部地区医師会長になられた時、平良 川のミーハギ通りの診療所・チャーギャーのお 宅へも伺いました。

先生は沖縄のゴルファーの草分けでした。奥 様同伴の有名な、おしどりゴルファーでした。 私がゴルフを始めた59 年のはるか前、中部の ゴルファーは、先生とコザ給油所の新城繁さん だけでした。やがて山田之朗先生が始められ、 山田先生に誘われて、私も砂辺のショートに通 いました。バッグを担いでバスに乗って。砂辺 のコースでは沖縄薬品次いで許田商会主催の県 医師会員のコンペが数年続きました。先生御夫 妻は泡瀬ゴルフ場の会員で、グリーンフィーは 1 ドル50 セント、私達は5 ドルでした。ゴルフ といえば、ある時期毎週日曜日、ロイヤルを朝 一番で出て、昼から夜12 時までは先生のお宅 で麻雀をしました。メンバーは当山堅二・山田 之朗・新垣居郎・桑江朝彦・泉水朝宏・田畑 幹義先生達と安座間先生御夫妻と私でした。時 には二卓を囲むこともありました。たまには当 山先生・山田先生のお宅まで遠征することもあ りました。大京からの帰り、比謝橋の近くで検 問にかかりましたが、当山先生・山田先生のお 顔を見て巡査はすぐ通してくれました。先生の 葬儀の後、車椅子の当山先生は霊柩車を見送っ ておられました。

コザ・ロータリークラブでもお世話になりました。先生が会長をしておられた頃、クラブは 一番活躍しました。桑江先生・私も後塵を拝し て会長を勤めました。国際ロータリー大会へ、 ハワイ・シカゴへと私達夫婦もお伴しました。

二水会のこと。山本達人先生が県医師会の常 任理事になられた時、先生を励まそうと、安座 間先生はじめ源河朝康・大田為雄・金城良武・ 新里仁達・石川隆信・桑江朝彦先生達と私で、 毎月ヒルトンホテルで集まっていました。一 方、丸茂先生でしたか参議院選挙の応援のため 出来た集まり、はる夫人を筆頭に中部地区医師 の奥様方の会がありました。いつの間にか合流 して二水会になりました。今年春まで先生は出 席しておられました。首里に転居されてからも 新築祝・月見会などと幾度も伺いました。二水 会の行き帰りゴルフ場の行き帰り、はる夫人の 運転されるいろいろの外車に乗せて頂きまし た。中部の二中出身の先生方を首里の旧蹟に案 内したこともありました。

春秋二回の萬葉の旅は私達夫婦も御一緒しま した。奈良を中心に東は富山高岡の舞台で高吟 し、西は愛媛松山で旅館の主人に誘われて「坂 の上の雲」の秋山好古の墓参をしました。前県 医師会長比嘉国郎夫人・歌人弘子様にも、いろ いろ教わりました。

御夫人・医師の御子息・医師の婿殿・大勢の 御家族に看取られて、天寿を全うされた先生、 羨ましい御生涯でした。

「どんな人とも、良い所を見つけて、付き合 いなさい」との教え、まだ覚えております。

改めて、先生の御冥福を祈り、御一家の御幸 福を願っております。合掌

花城清順