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ラオス国口唇口蓋裂患者支援センター・
琉球大学医学部歯科口腔外科教授
砂川元先生へのインタビュー

日時:平成18 年10 月4 日(水)14 : 30 〜
場所:琉球大学医学部附属病院歯科口腔外科医局

砂川元先生
P R O F I L E
【学 歴】
昭和41 年3 月
昭和42 年4 月
昭和48 年3 月
昭和48 年4 月

昭和52 年4 月
琉球政府立首里高等学校卒業
日本歯科大学入学
日本歯科大学卒業
東京医科歯科大学歯学部専攻生
(第一口腔外科学講座)
札幌医科大学歯学部研究生(口腔外科学講座)
【職 歴】
昭和48 年11 月

昭和52 年10 月
昭和58 年4 月
昭和59 年11 月
昭和60 年4 月
平成7 年3 月
平成16 年4 月
平成18 年4 月

東京医科歯科大学歯学部附属病院医員
(第一口腔外科)
札幌医科大学助手(口腔外科学講座)
北海道立衛生学院講師兼札幌医科大学助手
札幌医科大学助手(口腔外科学講座)
琉球大学医学部助教授(歯科口腔外科学講座)
琉球大学医学部教授(歯科口腔外科学講座)
琉球大学教育研究評議員
琉球大学医学部附属病院病院長補佐
(医療安全管理対策室長)
【学 会】
・日本口腔外科学会評議員
・日本口腔科学会評議員
・日本口蓋裂学会理事、評議員
・日本頭頸部腫瘍学会評議員
・日本口腔腫瘍学会理事、評議員
【資 格】
・医学博士(札幌医科大学)
・日本口腔外科学会指導医、認定医
・日本顎関節学会指導医、認定医
・日本歯科薬物療法学会臨床治験担当者認定
【学術交流ならびに海外医療援助活動】
平成9 年、10 年、11 年、13 年中国広西壮族自治区広西医科大学
平成11 年、12 年ベトナム国ベンチェ省グエンディンチュー病院
平成13 年、15 年、16 年、17 年、18 年ラオス国立大学、セタティラー ト病院
砂川元先生(左)と玉井理事(右)

砂川元先生(左)と玉井理事(右)

<質問項目>

  • 1)ラオスでの口唇口蓋裂治療を行うようになったきっかけ………63
  • 2)ラオスでの医療と日本における医療との違いについて…………63
  • 3)ラオスでの医療活動を行う中で得るものや感じるもの・ ラオスの人々とのふれあいの中で考えさせられること………64
  • 4)日本(沖縄)の医療チームについて……………………………64
  • 5)ラオスの医療・日本の医療に欠けているもの…………………65
  • 6)今後の展望について………………………………………………66

○玉井理事 本日は、沖縄平和賞受賞ということで、本当におめでとうございます。 本日はいくつかご質問させていただきますので、宜しくお願い致します。

○砂川先生 ありがとうございます。こちらこそ、宜しくお願いします。

ラオスでの口唇口蓋裂治療を行うよう になったきっかけ

○玉井理事 現在のように、口唇口蓋裂の治 療をラオス国で行うようになったキッカケは、 何だったのでしょうか?

○砂川先生 今回、このような大賞をもらっ て、正直言って驚いているところでございま す。私の札幌医科大学の恩師である小浜教授が ベトナムにおける海外医療援助として、この口 唇口蓋裂治療をやっていたんですね。

日本口唇口蓋裂協会の方が、「ラオスがまだ 手が付けられていません。先生、どうですか?」 というお話をいただいたんです。なぜラオスか ということなんですが、ご承知のように、1992 年から琉球大学医学部で公衆衛生プロジェクト があり、それから、1999 年からセタティラート 病院改善プロジェクトがあったということで、 琉球大学医学部は、ラオスと縁があるんです よ。その縁があって、僕のベトナムでの実績と いいますか、それが認められてラオスを任され たというのがキッカケです。

ラオスでの医療と日本における医療と の違いについて

○玉井理事 最初の頃は大変だったんじゃな いですか?

○砂川先生 ベトナムでこの口唇口蓋裂治療 のミッションをしてきたという実績がございま したから、特にわれわれが苦労したということ はそんなにないんです。ただ、一回目にラオス に伺った頃には、あちらの当時の病院長は内科 の先生で、副院長(今の病院長)が外科の先生 だったんです。おそらく、内科の先生だったの で、病院内に“このようなミッションがくる よ”というような周知がなかったんでしょう ね。われわれが、手術しているところに外科医 である副院長が来て、「あんた方は、何しに来 たんだ!? こんな手術は僕でも出来る!」というようなことを言われたことがありました。今、 やはり、ラオスの医療というのは、周産期医療 や子供達が5 歳まで何%生きるかというような 生命の維持に関わるような医療が重視されてい るので、われわれの手術というのは、やはり、 緊急性がないためにそう言われてしまうんだろ うな・・・と考えさせられたりしました。向こ うの管理者が理解していないということが、苦 労といえば苦労でしたね。

ラオスでの医療活動を行う中で得るも のや感じるもの・ラオスの人々とのふ れあいの中で考えさせられること

○玉井理事 ただ、向こうでは、その口唇口 蓋裂患者さんが放置されていて、例えば、社会 的にのけ者にされていたり、差別を受けたり、 様々な不幸というんでしょうか、それを生んで いたわけですよね。思い出深い患者さんとかい らっしゃいますか?

○砂川先生 おりますよ。ラオスで診察をす るといった際には、50 名〜 60 名の患者さんが 来るわけですよ。全身麻酔の手術だと一日で大 体、4 〜 5 例ぐらいですから、それが一週間と なると22 〜 23 例ぐらいしか診れないわけです。 そうすると30 数名の患者さんに対しては、「来 年、また来るから。」ということを話して帰さ なければならないわけです。その際の患者さん のセレクションの基準は、全身状態が良いとい うことを前提にすると、1 歳のお子さんを手術 するよりは、30 歳代の患者さんを手術して早く 社会に復帰していただきたいということから、 まずは高齢者となります。または、遠方から来 ている人ですね。3 日間歩いて、やっとバスに 乗って、一週間かけて手術を受けるために来て いる人です。そのような患者さんの中で、37 歳 の方がいまして、手術が終った後に「ああ!こ れで結婚が出来る!!」と喜びの第一声を発して いたこと、子どもが無意識に「ありがとう!!」 と手を合わせて拝むこと、そういったこと、と ても思い出深いですね。

このような現実というのは、日本では(ある のかも知れないけれども)見たことがないです ね。日本人は、表現が下手なのかも知れないと いった方がいいのかな。

○玉井理事

玉井理事

そうですね。やはり、全身麻酔 が醒めたばかりで意識がまだ朦朧としているに もかかわらず、10 歳ぐらいの子どもがすぐに周 りにいる医療スタッフに対して拝むんですよ ね。僕は、そのシーンをテレビで拝見させても らった時に、日本にはない風景だと思いまし た。医師があそこまで感謝されたというような 思い出がないですよ。少なくとも僕はないです ね。そこまで感謝されるという医療を提供する ことに、先生方自身も感動するのでしょうね。

○砂川先生 ええ。本当に感動しますよ。滞 在日数の関係で、やむなく手術できなかった患 者さんたちの顔を思い出すと、涙ながらに「来 年、また来るからね。」と話をして帰るんです。 活動を継続することによって、ラオスの医療ス タッフの方々にもかなり理解していただくこと ができました。以前の副院長は、今、院長にな っていらっしゃるんですが、今では一番の理解 者ですよ。彼は病院長であり、ラオス国立大学 の医学部長なんです。

日本(沖縄)の医療チームについて

○玉井理事 一緒に連れていかれる医療スタ ッフのみなさんというのは、どのようなチーム なんでしょうか? 今はもう、まとまっていらっしゃるんですか?

○砂川先生 いや、もう琉球大学のスタッフ を中心としただけです。だから、口腔外科の先 生が5 名ぐらいで、そのうちの1 人は麻酔の研 修を終えた人です。あと、麻酔科の医師が1人、 ナースが2 人、その他にコーディネーターです。 大体、10 名ぐらいのミッションで行きます。で すから、ナースも向こうの先生方に手伝っても らうし、例えば麻酔の医師は現地の麻酔の先生 が対応し、各ポイントは、日本から行く麻酔の 先生がきっちり抑えるということで、僕たちが 扱う手術自体は、日本における医療との違いは 全くありません。患者さんの対象年齢が違うだ けであって、機材、器具等を全て日本から持っ て行くわけですから。大きな違いは、麻酔の先 生ですよ。向こうは検診制度がないから、診察 に来て初めて心雑音を聞いてビックリして、 「あなたは、こちらでの手術よりも他の手術が 必要です。」ということで案内するんですよ。 胸部写真がない、血液検査が充分にされていな い、胸の音さえ聞かれたことがない・・・とい うことなんです。学童がですよ! だから、麻 酔の先生は視診、触診、聴診器だけで決断をし ないといけないということになるので、日本に おける医療との違いを一番感じているのは、麻 酔の先生でしょうね。

○玉井理事 先生、こちらから連れて行かれ るスタッフの皆さんは、喜んで参加されている んでしょうか?

○砂川先生 セタティラート病院改善プロジ ェクトの時には内科の先生、外科の先生も参加 しているんですが、「ラオスでは内視鏡も必要 だ」ということで、金城福則先生は、使命感に 燃えてやっておられる。今では、内視鏡の技術 協力が一番進んでいると思いますよ。

○玉井理事 実際に行くと使命感に燃えるわ けですね。あちらで医療の原点というものを再 発見して戻ってこられるんでしょうね。

○砂川先生 あちらでの医療に携わって患者 さんの喜ぶ顔を目の当たりにすると、“医療人 になってよかった”という気持ちになるんでし ょうね。患者さんの喜びの表現の仕方が、日本では触れたことのないような、大げさといって もいいぐらいのものですからね。やはり医療は こうあるべきだという“医療の原点”というも のがそこにあるので、一人でも多くの若い医師 に経験してもらいたいと思っています。

ラオスの医療・日本の医療に欠けてい るもの

○玉井理事 いろんなところで、医師の偏在 だとか、僻地医療だとかいう問題がいわれてい ますが、やはりその本質的な部分というものに 目覚めてもらえれば、そのような問題を解決す るための突破口になるのではないかと思ったり もするんですね。

○砂川先生 そうですね。本当にあと5 年、 10 年経ったら、外科医まで不足する可能性が ありますよ。これをどうするかというと、日本 でも患者さんも素直に喜んで、医師との間のギ スギスした人間関係がきちんとできれば、何も 問題ないと僕は思うんですよね。

○玉井理事 先生、あと、技術移転というこ とについては、現地の先生方とのコネクション についてはどのようにしていらっしゃるんでし ょうか?

○砂川先生 我々は、現地のセタティラート 病院で手術をしており、そこには歯科口腔外科 の部屋があるわけです。スタッフが9 人ぐらい いるわけです。その中で一人はJICA プロジェ クトで6 ヶ月間、琉球大学で研修しております から、つながりはできるんですが、ただ、我々 がいなくなった後に、彼が一人で具体的に展開 できるかというと、まだそういう患者さんが受 診して来ないという現状ですね。おそらく経済 力の問題があるんでしょうね。経済的に裕福な 患者さんは、シンガポールだとか、タイだと か、マレーシアに行って手術を受けるという現 実があるわけです。

○玉井理事 砂川先生たちがあちらに行っ て、ボランティアで、無料で手術をするから、 あちらの患者さんは手術を受けることができる わけで、向こうの医師を育成して、向こうの医 師が生業として医療をするということまでにはなかなか繋がっていかないということですね。

○砂川先生 そうですね。それは、ラオス国 全体の経済発展が要求されるわけですよ。まず は、やはり国の経済力ですね。

今後の展望について

○玉井理事 砂川先生、口唇口蓋裂患者支 援事業については、今後の展開というのはどの ようにお考えでしょうか? どのようにしてい きたいというお考えがありますか?

○砂川先生 いや。もう、これまでどおりで すよ。待っている患者さんをきちんと治療して いくことです。日本の場合には、スピーチセラ ピストもいますが、向こうにはそういうのがな いですからね。今はコスメティックな改善だけ ですよ。ファンクションの問題はまだ先です ね。そこまでやるには、次の世代かなというふ うに僕は思っています。まずは、コスメティッ クなことをきちんと出来て、患者さんが社会生 活にきちんと復帰して、子どもたちの人材育成 に繋がればと思っています。口唇口蓋裂の患者 さんというのは歯並びが悪いですよね。日本で は歯並びも矯正できるんですが、あちらではそ れもないですからね。手術しないと、発音も悪 いままですから。日本では、手術後はスピーチ セラピストの指導で、きちんと改善できるよう になっている。

今まで我々なりに地道に活動してきて、今 回、いっぺんにスポットライトを浴びてしまっ たわけですが、これまでどおりの地道な活動を 変えずにやっていくことが大事だろうと思って います。

○玉井理事 なるほど。ここまで社会的に騒 がれて、ブームになってしまって浮き足だって しまってはいけないわけですね。

○砂川先生 そうです、そうです! それが 一番こわいでしょう。これまで20 名手術して いたのを30 名やりました。40 名やりましたと いうことになってもいけないと思いますしね。

○玉井理事 是非、若い医師が医療の目覚め る、本当の医療について考えさせられる機会と いうのをつくっていただけたらと思います。

○砂川先生 そうですよね。今、僕は、琉球 大学の学生をボランティアで2 名ぐらい連れて 行きたいと考えています。学生だと、外科であ ろうが内科であろうがどの領域でも、患者さん に治療を施すという医師と患者との人間関係と いうのは一緒ですよね。そこを見てもらおうと いうのが今の一番の課題ですね。ひとつのミッ ションで2、3日間でも同行すると流れが見え るしね。そのような経験があると、もう少し、 離島医療問題も解決に向かうのではないかと思 いますね。

○玉井理事 先生がおっしゃるように、地に 足をつけるという活動が大事だと思うんですよ ね。そうじゃないと若い医師たちが、ついてこ ないと思うんですよね。でも、砂川先生のブレ ない意思があれば、若い医師たちはついてきて くれるし、その意思を継いでくれると思います。

○砂川先生 私は沖縄県の歯科医師会会員で はないのですが、若い歯科医師の組織率が弱い と聞いております。それは一般開業医でも非会 員が増えているということですから、それを何 とかしないといけないのではないかと思ってい るんです。

○玉井理事 目の前の利権とか儲けとか、ギ ブ・アンド・テイクということを考えているん でしょうね。実は、沖縄県の医師会も、入会を 希望しない医師が増えてきて、問題になってき ています。

今後もこれまでと変わらない活動を地道に続 けていただきたいと思います。この度は、誠に おめでとうございました。

○砂川先生 はい。今後も地道に。今回の受 賞は、本当にびっくりしているところですよ。 ありがとうございました。これからも、歯科医 師としてだけではなく、琉球大学医学部の構成 員として、ご協力できることがあれば何でも致 しますので、今後とも宜しくお願い致します。

インタビューアー:広報委員 玉井 修