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人生の秋

太田計

太田小児科医院  太田 計

イベリコ豚を食べた。那覇のとあるレストラ ンのメニューに書かれたイベリコ豚の文字に興 味を引かれウエイターに尋ねようとすると、横 から娘が「スペインあたりの黒豚だよ。」と言 う。放し飼いで、しかも森のどんぐりの実しか 食べないから、肉質が良くとても風味があると のこと。

さっそく料理してもらい、選んでもらったワ インと共にいただいた。これぞまさに天賜の口 福。娘の薀蓄を聞かされながら食べるとますま すおいしく感じられるから男って単純ですね。

次はバスク豚とやらに挑戦してみましょう。

ところで、最近とみに娘たちから教えられる 事柄が多くなりました。数年前に50を超え、子 ども達も、一人、また一人と成人し、騒々しか った休日の家には音もなく、雨足の強弱だけが やけに響きます。そんな日は思わず「青春とは 若さである。」などという言葉が心をよぎりま す。「青春とは人生のある期間ではなく心の持 ち方を言う。」もう聞き飽きて陳腐な響きになっ てしまった表現ですが、周りの先輩方や同僚の 先生方をみていると活動的で万年青年そのまま の方々が大勢おります。それに比べ私の場合は、 いつの間にか進化することを放棄して、小さな バージョンアップも止め、古い知識のままこの 仕事をしています。その知識も硬直化し次第に 削りとられ、行動もパターン化され、それはと ても危ない状態。何とかしなくてはと、ここま で書いて思い出しました。誰の言葉か分かりま せんが、私のメモ帳に走り書かれた文字「人は心が弱くなった時なぜか言い訳をしたくなる。 事が上手く運ばず袋小路に入ったとき知らずに 愚痴がこぼれそれがいつの間にか言い訳になっ ている。言い訳を重ねているうちに自己弁護、 さらには自分の正しさへの主張そして人の非を 責める口調にさえなってくることがある。」

あぶないですね、自慢の愚痴と言い訳をつら つら書き始めるところでした。

室閑になった子供部屋を横目に、去来する一 抹の静寂感が、人生の秋の気配を感じさせたの でしょうか。元気な先生方をついつい羨ましく も思います。

人生の秋といえば、もう一つ、「本は市井に 返せ」という昔の言葉が浮かんできます。私の 書棚には返すほどの本の数はもちろんのこと、 高価な本、希少な本もありません。仕方なくそ の意を酌んで「本」を「知識」に置き換え、私 の知っていることは惜しみ無く職員や患者さん に与えようという気持ちを思い立ちました。と ころが、ここでもやはり、日ごろのけちな性格 と分け与えるほどの知識の無い現実に邪魔をさ れております。結局今まで通りですね。

挨拶で始まり、診察し、見立てを述べ、相談 し、別れの挨拶で終わる。昔からの診察風景で すが、この数年、若い頃に比べ少しは自信を持 ちながら仕事が出来ているのは知識面・技術面 の進歩があるからではなく、「自分の医療」に対 する基本的な考え方に振れが少なくなり、何か 吹っ切れた感覚のようなものが迷いや不安を静 めてくれるようになってきたからでしょうね。

娘達に教えられることの多くなったこの頃、 診察台に座る小さな子どもの一言からも豊かな 感性を味わえるようになったように思います。

来る人生の秋がますます暖かくなるよう に・・・などと夏真っ盛りの中、トンだ話にな りましたね。