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「生老病死」と生かされる命(使命〜命を使い切る)

山城竹信

医療法人琉心会勝山病院  山城 竹信

昭和42年4月、沖縄を離れ北海道へ渡った名 護マサー(ヤマトゥンチューやナーファンチュ ーに負けてたまるかの開拓精神を持ったナゴン チューの心根と思われる)の一人が約35年ぶり に母の健康をきづかいながら故郷へ帰ってき た。その比嘉敏夫(勝山病院)院長から県医師 会報へ随筆を書いてもらえないかと依頼され、 若干躊躇しましたが一筆書くことにしました。

実は、約30年間、産婦人科を専門として仕 事をこなし、ここ10年は那覇市小禄で分娩を取 り扱うクリニックを開業していましたが、十二 指腸を切除する大病を患い半年前に診療所を閉 鎖しました。現在、「あけみおの里といわれる 山紫水明の地、名護」の屋部で体力の回復の意 味もこめ老人内科の診療にチャレンジしていま す。ただ宿命とは言え、全速で走っている車が 事故をおこすや、相手の方や道路、家屋なども ろもろの環境にまで迷惑をかけてしまうのと似 て、同僚の医師、その団体また金融機関、各職 場などのサポート機関にまで、物心両面にわた り迷惑をかけていることをお詫びするもので す。その償いは医療界で仕事をこなし社会に貢 献することではなかろうかと思っています。

仏典には「獅子、身中の虫・・・。と同様、 蟻の穴一つからでも水漏れが起こると。それ 故、宿命たる病気も含め、生活においてもミス を犯さぬよう、先々の用心が大切である」と。 宇宙という生命体の運行が起こす地震や集中豪 雨などのため環境は破壊され生活の歯車に狂い が生ずるのと似て、人体も病気の発見が遅れ死 でもって全てを失うこともあります。

私も十二指腸乳頭部の閉塞で生命の代謝に狂いが生じ、手術をせざるをえなくなりました。 よく外来において医師自らが病気の体験を話す と、患者からみた眼には「医者の無用心」と映 るようです。しかし私は医師自らが体調不良を 感じ、忙しい日々の診療をしながら早期診断を つけ手術を選択し大事に至らなかったのは仏の 説く「命にやどる宿業」を「転重軽受」したの であろうと感ずるものです。そのような事に出 会ったことで、人は人生においていろいろな障 害にあいつつも、それらを乗り越えて肉体の死 を迎えるとき「自らの使命に生ききったと感じ られる境涯になり、」安心立命の心で命が終わ るのではなかろうかと思うようになりつつあり ます。

自らの意思で人生を選択していろいろ行動を しているつもりですが、他の動植物と同じく、 我々の意志以下の深いレベルでは「桜梅桃李の 己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば 是れ即ち量の義なり」といって桜は桜、梅は梅 とその生命の特質にあった生活パターン(ナン クルナイサという自然体〜道は必ず開ける)に なって生を全うすることになるのであろうと思 う体験でした。

今、壮年の私は、病室で80歳代の老人(認知 症、脳血管障害後のリハビリなど)の姿をみて、 人生の後半期をよりよく生きるにはどのような 生活態度で生きてゆくのがよいのか模索してい ます。そして30〜50歳代の人々の予防医学の手 助けになるようにそれらの診療体験を語ってい きたいと思います。また「名護マサーの心意気」 のサポーター的存在として努め、老人介護の医 療を充実させることで、この国を発展させた親 の世代への団塊の世代の恩返しになると思う。 そのためにもサムエル・ウルマンの「青春とは 人生のある時期ではなく心の持ちかたをいう。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うと き初めて老いる。」との言葉を噛みしめ「心の 老々介護」にならぬよう頑張りながら勝山から 望む名護湾の美しき青空を仰いでいる。