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泰山登頂紀 (その2)

稲福薫

いなふくクリニック 稲福 薫

岱廟から見た泰山(ここからあの頂上までが全行程になる)

方山に登ってはみたが、何も起こらなかっ た。何だかほっとしたような拍子抜けのような 気持ちである。帰りに地元のレストランで昼食 を取ることにした。大陸地方だけに山の幸が主 な食事である。北京料理の源流といわれる山東 料理という分類に入るという。味はしつこくな く口当たりがいい。野菜や饅頭がおいしい。聞 いてはいたが値段が安い。四人分の食事で五、 六皿ついて全部で八百円ほどである。食事のあ とに泰安市に向かった。今夜はそこで一泊す る。泰安市は泰山の麓に広がるこざっぱりした 町で泰山登山客に支えられている。町の中央に 岱廟という泰山を奉る廟がある。大変に広い廟 で歩いてすべてを見学するとなると半日はかか るだろう。廟の中には秦の始皇帝が建てたとい う石碑があった。壁には何千年にわたって色々 な書家が書いた石盤が飾られていた。素人の私 にはその価値はわからないが文化大革命の時に 傷つけられたものが多くあったのには心を痛め た。ホテルは泰山を背にした位置にあり、窓か らその全貌が眺められる。ソファーにごろねを しながらしばしながめていた。やはり、圧倒的 な存在である。突然思いついて持っていた本の 裏表紙にスケッチを始めた。描いているうち に、何となく来てよかったような気がしてき た。夜は次の日に備えて早々と床についた。

翌朝は五時に起きた。泰山は頂上までの階段 が7,000段、全長20km、片道5〜6時間の行程 という。妻は足に自身がないというので安全の ために中腹まで案内人の劉さんと一緒にバスで 行ってもらうことにした。私は地図と水の入っ たリュックを背負って一人でホテルを出た。朝 のひんやりとした空気が気持ちいい。泰山の頂 上に雲がかかって見える。六時間後にはあの上 に立っているかと思うと気がひきしまる。街を 横切り、岱廟の横を通り過ぎるとやがて登山口 がある。三百円ほどの入山料を払う。そこから は頂上まで延々と石段が続く。道の両側にはお みやげ品店が並んでおり、売り子が色々と声を かけてくるがそれどころではない。途中には廟 あり、石碑あり、石創りのアーチあり、有名な 松があり、と多彩である。何千年もの間に中国 の人たちが手をかけ続けた史跡ばかりである。 いたるところの岩には書が彫られている。書家 には垂涎の場面だろうが、理解できない私には 落書きにしか見えない。やがて林の中を通る。 霧が立ち込め、雨も降り始めてきた。筋張った 男たちが二人組になって籠を担いでいる。人を 乗せて登る担ぎ屋である。周りでは大勢の人た ちが頂上をめざしている。中には五歳ほどの子 供もいる。首には魔よけなのか真紅のたすきを かけている。みんな元気いっぱい。感極まって か、雄たけびをあげたり、ソプラノの高唱をし ているものもいる。やはり、泰山は特別な山な のだろう。ずんずん歩く。ひたすら登る。その うち足腰が痛くなりストレッチをする。まだ、 一時間しかたってないというのに先が思いやら れる。

二時間後にやっと中腹の中天門という場所に ついた。そこはロープウエイやバスの発着所に なっている。妻との待ち合わせ場所であるが、 まだ着いていないようだ。おみやげ品店が並 び、食堂もある。これから先には食堂がなさそ うなので待っている間に朝食を取ることにし た。少ないメニューの中からうどんのような麺 を注文した。まずい。麺は小麦粉の味がする し、スープは水のようである。そこで、テーブ ルの上に乗っている数個の調味料を手当たり次 第突っこんでみたらまんざらでもない味になっ た。一時間後に妻と劉さんが合流した。劉さん は膝の調子が悪いといってロープウエイに回 り、妻と二人で登り始めた。そこからの行程は きつかった。斜度が45度の階段が延々と続き、 しまいには60度にもなる。そこでは這うように して登った。あそこの角を曲がれば頂上が見え るだろうと期待して登る。角に着いて見ると階 段が先の角まで続いている。気を取り直して角 の先に終点が見えることを願って登る。角に着 くとまた階段。これを無限に繰り返す。下を振 り返るとはるか地の底まで階段が続いていて、 気が遠くなりそうになる。断崖絶壁に無理矢理 階段を作ったようなものである。中国人の泰山 への執念がわかるような気がした。足はもう棒 のようになって痛み、4〜5m進んでは立ち止ま って、また進む。

とうとう頂上の入り口の南天門に着いた。天 辺の位置には玉皇頂という廟がある。周りを散 歩した。厚い霧がたちこめて視界は全くきかな い。いたるところ岩がごろごろしているが意外 にもろい。泰山は中国でも最古の造山運動によ ってできた山だという。小石をひろってしげし げとながめた。この手のひらに乗っている小石 は人類が出現するはるか以前にできたものなの である。玉皇頂に参詣した。廟内は狭く参詣客 でひしめきあっていて、炊かれた線香の煙でも うもうとしている。手をあわせると心が透明に なっていくような気がしてしばしたたずんでい た。秦の始皇帝もこんな風にして手を合わせた のだろうか。

参詣が終わると昼食を取ることにした。山の 上には意外にも西洋風の瀟洒なホテルがあり、 そこで食事をした。色々と注文しているうちに とある魚をすすめられた。小さな水槽の中でひ らひら泳いでいる赤鱗魚という赤いうろこが特 徴の渓流魚で泰山名物だという。値段を聞いて びっくり。一匹が五百円ほどだという。しかも それがメダカより少し大きい程度である。先ほ ど紹介した一般の食事の値段と比べるとおそら く世界一高い魚だろう。そんなにもめずらしい 魚なら食してみたいのだがなにしろ高い。結 局、一匹だけ注文した。待っていると店員が持 ってきた。いくらなんでもメダカ一匹というこ とはない、サービスで二、三匹は持ってきてく れるだろうとの下心でいたが、やはり一匹しか こなかった。春雨のフライの上に「こんな私を 食べるの?」と言いたげに情けなくちょんと載 っている。それを三つに分けて頭は自分が、劉 さんが胴体を、妻は尻尾を食べた。何のことは ない。いつも子供と釣ってくる小魚のから揚の 味である。隣のテーブルの男性客はそれを皿い っぱい注文して一人でぱくぱく食べていた。ま るで五百円が次から次へ、口の中に飛び込んで いくように見える。あんな風にして食べないと 味もわからないのだろうが、貧乏育ちの私はた とえ生まれ変わっても真似ができそうにない。 帰りはロープウエイとバスを乗り継いであっと いう間に麓についた。バスの中での足のけだる さが心地良かった。妻はあの苦しい行程の中で ふと山肌に見かけた白い花がいつまでも心に残 っているという。翌日無事帰途についた。

結局、意外なことは何一つ起こらなかった が、不思議なことに時が経つにつれこの旅が骨 身に沁みてくる。帰ってからは開業の準備に追 われる毎日だったが、何かの折りに、ふと方山 や泰山のことが思い浮かべられる。クリニック の方は今まで順調に来ており、たとえトラブル が起こっても心のどこからか「なんで、いいさ ー。なんくるないさ(いいじゃないか。何とか なるさ)」という言葉がふっと出てきて深みに はまらなくなった。そして、開業して仕事を進 めるにつれ、自分の歩むべき道が次第にはっき りわかってきた。こんな心境の変化が目に見え ない御利益なのだろうか。そうならばありがた いことである。それにしてもいいタイミングで 声をかけてもらったものである。人生の節目で 人はとかく心を惑わされ道を誤りがちになる。 そんな時に、どこからか本来の道に導いてくれ る何かの力が働くような気がする。それは自分 でも気がつかないほど体の奥深くに作用するの で、その時には気がつかずあとあとになって骨 身に染みてくる、そんなものではないだろう か。それが人の命運を左右するような気がす る。そんな力の恩恵に与るためにも、自分を取 り囲むすべてのものに謙虚に耳や心を傾ける気 持ちを持ち続けることではないだろうか。とこ ろで、妻はもう一度行って今度は麓から登って みたいと言っている。話を持ち込んだ女性だ が、今ではまた沙汰無しの状態にある。それに しても、あの夢に出たというひげのおじいさん はいったい誰だったのだろう。まあいいか。謎 のままにしておこう。この世は不思議に満ちて いるのだから。

終り