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「クオリアと精神医学」

城間清剛

城間クリニック 城間 清剛

「クオリア」という言葉をご存知でしょうか?

最近注目を浴びている脳科学者の茂木健一郎 氏の著書(「意識とはなにか−<私>を生成する 脳−」ちくま新書)を読んで、クオリアについ て大変興味深く思ったので、精神医学との関連 も含めて少し考えてみたいと思う。

「クオリアとはもともと「質」を表すラテン 語で、1990年代の半ば頃から、人がこころの中 で感じるさまざまな質感を表す言葉として定着 してきた」らしい。砂糖の甘さ、ヴァイオリン の音色、果物の赤の質感など、ものの質感や 「〜らしさ」など私たちが日常的に体験し意識 するものはすべてクオリア(質感)であるとい う。さらに「Aさんがこの時間は家にいること を知っている、こころの状態と、Aさんがこの 時間は家にいることを信じている、こころの状 態はそれぞれ異なるクオリアを持つ。(略)あ る状態が他の状態と異なるユニークな<あるも の>として把握されるのは、その状態は固有の クオリアによるのである」そうだ。

つまり、人の体験や意識、そのときどきの心 的状態はすべて固有のクオリアで表され、(説 明され)、「意識とはクオリアのかたまりであ る」という。

クオリアは、聴覚、味覚、触覚、嗅覚など五 感への物理的生化学的刺激の微妙な違いの感覚 を表す一方、先に述べたように、こころの状態、 感情や主観の領域まで広がり、こころの状態の 違いをも表す。また「シャボン玉の表面の虹色 に輝く様子やビニール袋の表面の輝く様子」な どクオリアとしての違いを確かに感じ分けられ ていても、言葉として違いを表現しきれないこ とも数多くある。私たちが感じ分けている無数 のクオリアに言葉が十分に対応していないのだ。 にもかかわらず私たちは無限ともいえるクオリ アの微妙な違いを確実に感じ分けている。

クオリアは、対象の同一性や認知に大きく関 わっている。人は小学生の自分と大人の自分の 違いと同一性を感じながら自分という対象を感 じ認識しているし、同様に年齢を経た友人も年 齢ごとの違いを認識しつつ同一性を維持して認 識している。全くデザインの異なる旧紙幣と新 紙幣の違いを認知しながら、しかしそのクオリ アを感じて紙幣としての価値を活用している。

クオリアの概念そのもの、クオリアを通して 同一性や認知について考えることは、精神症状 や精神疾患の理解に寄与するものではなかろう かと思う。

精神症状のひとつに、「離人感」がある。う つ病や統合失調症の際に表れる症状で、現実感 が乏しくなってしまう症状である。現実世界が まるで薄いヴェール越しにあるかのような感覚 になる。本人としては何をしていても実感がな く、辛い気持ちになる。これなどはまさに、外 界を認知する際の質感=クオリアが何らかの理 由で障害されたための症状ではないだろうか?

認知症の場合に、せん妄でもないのに見当識 障害のために家族を認識できたりできなかった りして外界の認知が変動することがある。ある いは統合失調症の幻覚や妄想も「あるもの」が 「あるもの」としての同一性や認知が障害された 症状であるとすると、それもまさにクオリアの 機能の障害(?)が関係しているのではないか。

離人感に似た感覚であるが、精神的にショッ クな出来事があると、一瞬にして外界の様子が 違って見えてくることがある。昨日までの世 界、ついさっきまでの世界が同じものでありな がら瞬時に全く違った「色彩」を帯びて感じら れる。これなどまさにクオリアの違いでしか言 い表すことができない(詩人のような言葉の素 養や精神分析の深い見識があれば別の説明もあ るかもしれない)。

外界が違った色彩を帯びて見えてくる様子 を、サングラスをかけたようなものだとすると、 出来事を聞いた瞬間にサングラスをかけた状態 になる。これは一瞬にして起きる。そこから日 がたち時間とともに精神的に立ち直るにつれて サングラスの色が少しずつ薄くなっていくが、 しかしサングラスをかけていなかった時期とは 世界がまったく違って見える。サングラスの色 がほとんどない時期になっても、本人にとって は同じ世界でありながら以前とはわずかながら 異なる世界が感じられる。本人の心の中には以 前の世界と今の世界が同時に存在し、その違い と同一性が認識されている。

クオリアという何らかの脳のメカニズム(?) があって、それが器質的なものか機能的なもの かわからないが、それを通して、意識が成立し 外界を認識していると考えるならば、クオリア の機能によって外界が一瞬にして変化して見え たり、外界が認識できたりできなかったり、対 象の同一性が動揺したりするのも理解できるの ではないだろうか?

クオリアの研究が進んで、クオリアと脳内の 神経伝達物質や神経回路との関連性が明らかに なり、その障害といま説明したような精神症状 との関連性が示されるならば、クオリアを通し て精神症状を理解することで、精神医学は大き く転換するのではないかと夢想してしまう。

★リレー状況

  • ー平成14年以前掲載省略ー
  • 32.川平稔先生(コザクリニック)Vol. 39 No. 1
  • 33.長嶺文雄先生(湘南病院)Vol. 39 No. 4
  • 34.松岡政紀先生(北部病院)Vol. 39 No. 7
  • 35.小橋川悟先生(読谷村診療所)Vol. 39 No. 10
  • 36.鳥谷裕先生(ライフケアクリニック読谷)Vol. 39 No. 12
  • 37.玉井修先生(曙クリニック)Vol. 40 No. 3
  • 38.田川辰也先生(琉球大学大学院医学研究科薬物作用制御学分野)Vol. 40 No. 4
  • 39.藤本奈央子先生(医療法人清心会徳山クリニック内科)Vol. 40 No. 6
  • 40.戸澤雅彦先生(安立医院)Vol. 40 No. 9
  • 41.大湾勤子先生(独立行政法人国立病院機構沖縄病院)Vol. 40 No. 11
  • 42.宮城茂先生(独立行政法人国立病院機構沖縄病院)Vol. 41 No. 2
  • 43.祝嶺千明先生(しゅくみね内科)Vol. 41 No. 3
  • 44.宮城裕二先生(みさと耳鼻科)Vol. 41 No. 4
  • 45.親川富憲先生(医療法人富岳会おやかわクリニック)Vol. 41 No. 6
  • 46.折田均先生(ハートライフ病院)Vol. 41 No. 7
  • 47.湧田森明先生(わくさん内科)Vol. 41 No.9
  • 48.宮良球一郎先生(宮良クリニック)Vol. 41 No.10
  • 49.蔵下要先生(浦添総合病院)Vol. 41 No.12
  • 50.樋口大介先生(独立行政法人国立病院機構沖縄病院)Vol. 42 No.3
  • 51.古謝淳先生(南山病院)Vol. 42 No.5