春の風は心地よいものであるが、忙しさの中で天気にさえ興味をなくし、当たり前のように流れる日常の中で感性を失いかけている自分に気付いてはっとすることが時折ある。昼間の青空、曇り空、雨模様の空、夜の星空、月の満ち欠けなど、ほんの数分の間にも空はその姿を変えてわれわれに何かを語り掛け、多くのことを思い起こさせてくれる。
かつて北部の離島勤務時代に、漁船での患者搬送を終え、島へ帰る船上から眺めた月の美しかったこと。船がさんご礁に座礁したことにも気付かず眠りこけて看護師と漁師にあきれられたこと。強風が吹きすさぶ夜に、知り合いのダイバーの新造船で搬送し、本島の港近くのブイに衝突して大事な船に穴を開けてしまい船長が家族に感謝されながら泣いていたこと。
そして、オーストラリアでの勤務時代は、キングエアー2000という固定翼で、工場の爆発事故で受傷した重症患者を搬送していた時に、機内から眺めた星空のきらめきが患者の命をつないでいるように思えたこと。ヘリで交通事故の現場へ着陸しようとして、強風に阻まれ降りられなかったこと。空が姿を変えるたびに、思い出を掘り起こしてくれる。ただ、その思い出は命懸けのものであることが多かった。
昨今、救急ヘリの活躍が注目されている。
この国も世界に遅れること三十年余りで、やっと航空機による患者搬送の重要性に気付きはじめた。どのような理由付けを行おうと、病院まで五〇―七〇キロ圏内の搬送でヘリコプターに勝るものはない。
本島北部の伊平屋村、伊是名村、伊江村はもちろんのこと、国頭村、大宜味村、東村、本部町、今帰仁村の遠隔地では、本来は救える命を失ったり、軽症の患者さんを重症化させたりと、搬送に時間がかかるために十分な管理が行えない状態で救急病院へ搬送を余儀なくされている現状がある。
過去十年で救急救命士の行える医療行為や救急医の治療レベルは格段の進歩を遂げた。しかし、彼らでも決して変えることができなかったものがある。それは搬送時間である。この時間こそが、患者の救命や社会復帰への分かれ道となる。
今、救急ヘリを用いてこの時間の短縮が可能な時代が来ている。救える命を救うために全力を尽くすことがわれわれ、救急医療に従事する者の責務と考える。北部地区医師会では、四月から救急ヘリによる現場からの患者搬送を開始予定で、これにより本島北部の救急医療体制が改善され、一人でも多くの方のお役に立てればと願っている。
オーストラリアの友の言葉がある。「救わなければならない同胞がいて、搬送手段として救急車とヘリがある。君ならどうする。そう、ヘリだ。落ちることが怖くないかって。そりゃ怖いさ。当たり前だ。だが、陸の病院で働いていようと、ヘリで空にいようと自分の命を削って仕事をしていることに変わりはないだろ。落ちたら運がなかったとあきらめるさ」
風に乗り、雲を越えて飛んでいくヘリコプターを見上げる時に、いつもその友のことを思い出す。彼の言葉は、今でも私の中で生きている。