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僕が専門を選んだ訳(2006年12月19日掲載)

徳嶺 章夫(あさと大腸・肛門クリニック)

「闘う肛門屋」目指して

大腸がん早期発見を決意

「え、院長先生? すてきねー! ご専門は?」と、初対面の華やいだ雰囲気。しかし次いで僕が名刺を差し出すと、男女を問わず、まずは困惑の表情に変わる。なぜなら、その名刺には「大腸・肛門(こうもん)科」と書かれているからである。「あ…私もいつかお世話になるかもしれませんが…」と、やがてモゴモゴとした口調に…。その変化を楽しみながら、いつか「なぜ肛門か?」という釈明をしたいと思っていた。

一九八六年に卒業したので、医者になって二十年を超えた。「外科医になりたい」と漠然と思っていたが、研修を経ていくうち、「消化器がんの治療」が自分の生きる道と思うようになっていた。

何とか「死」から患者さんを遠ざけたいと治療に没頭したし、患者さんも家族も共に熱意を持って闘ったと思う。しかし、進行したがんは容易に白旗を掲げるものではない。頑張るほど、患者も家族も、そして僕自身も疲弊していく。ひきょうかもしれないが、やがて消化器がんとしては比較的おとなしい大腸がんに興味が向いていた。

「大腸・肛門専門病院に研修に来ないか?」という誘いに思わず飛びついた。県外の研修先は当時、五カ所の分院を抱える大規模な病院であったが、当初の約束に反して、その中でも新設病院の勤務となった。大腸がんの手術は少なく、すっかり肩すかしにあったようであったが、理事長先生が外来を担当することが多かったこともあり、かろうじて肛門手術はにぎわっていた。「おれは肛門屋になるために来た訳じゃないよ!」と飲むたびに愚痴っていた。

ある日、本院に手術の応援に出掛けて、早期大腸がんの手術が多いのに驚いた。「沖縄では進行した状態で見つかる患者が多いのに…」。すると上司が教えてくれた。「うちの病院、肛門もやっているから大腸検査も抵抗少ないんだよね」と。

そういえば外来で大腸検査を勧めると、「先生にはもうおしり見られたもんね」と検査に応じる患者は少なくなかった。「恥ずかしさもあるから、気になっていても受診できない…」。「肛門の診療をすることは、大腸がんの早期発見につながるんだ!」と気付いた。

研修を終えて沖縄に戻り、やはり進行がんの手術の比率が高いのを目の当たりにして、くすぶっていた心にやっと決心がついた。「肛門屋! と言いたいやつには言わせておけ! 沖縄から大腸がんで亡くなる人を一人でも減らすんだ!」と。

幸い、大腸がんは成長に時間がかかることが多く、定期的に検査さえ受けていれば早期に見つかる可能性が高いがんであり、内視鏡で完治することも多いことを考えれば、多くの人に検査を受けてもらうため「闘う肛門屋」として残りの人生を懸けたいと思ったのである。開業して多くのがん患者を発見してきた。幸い、その中には治療不能な段階まで進行した人は、一人もいなかった。

「早く見つかれば、助かるがんなんです!」。今日も僕は、患者さんに下着を下ろさせて背後に回る。「かっこわるい肛門屋の真実の声を聞け!」と。