私がある小児病院で仕事をしていたころの事です。
「先生、私の麻酔お願いね」ある日病棟を歩く私に呼びかける少女がいました。彼女は生まれてすぐのころから、難病のためなかなか退院できない高校生の女の子。手術や検査のために何度も麻酔を受けていて、私がその病院にいた二年の間にも麻酔を担当することがあったのです。
病気は一進一退で完治することが難しく、一生向き合っていかなければならないものでした。器用に編み物や刺しゅうをしている日もあったけれど、何本も点滴につながれてぐったりとしている事が多く、小さな体で痛々しく頑張っていました。
そんな彼女にニュースが舞い込みました。「メイク・ア・ウィッシュ」というボランティア団体から彼女に連絡が来たのです。これは難病と闘っている子供たちの夢をかなえ、生きる希望や勇気を持ってもらいたいという世界的な団体です。彼女の夢は県外のテーマパークに行くこと。病院からほとんど出たことのない彼女にとっては大冒険です。
もちろん日帰りでは無理で、主治医と家族も一緒に一泊二日の旅になります。この目標ができてからの彼女は驚くほどの回復ぶりを見せました。病棟で歩く練習を始め、少しずつ距離を延ばしていき、点滴も少なくなり、そして数カ月後、本当に出かけて行ったのです。
ちょうどそのころ、同じように長く入院生活を送っていた少女が退院していきました。それも刺激になったのか、自分だって病院から出られる、出たいと思うようになったのでしょう。遠くまで旅行できたことをきっかけに、前向きになった彼女は自分の病気について主治医に相談し、とりあえずここまでやれば家に帰れる、という手術をすることにしました。
主治医の先生の転勤も近かったので、自ら日程調整まで始めてしまいました。「何でもっと早くしなかったんだろうね」とにこにこしながら彼女は言っていたそうです。そして主治医よりも先に本人から直接麻酔依頼が寄せられ、私は喜んで引き受けたのです。
病は気からといわれるけれど、人間の精神には体をコントロールする力があるのでしょう。彼女は手術したから退院できた訳では決してなく、元気になったからその手術までたどり着けたのです。その元気を作ったのは病院から出たいという自らの意欲、希望。熱心なスタッフに見守られていたにもかかわらず、病院にいただけではきっかけがなかったという事は、私たちが反省すべきことなのかもしれません。
これから小児専門病院ができ、重症の子供たちを助けられるようになると、こういう子供が増えてくるでしょう。その子たちには医療技術だけではないさまざまな支えが必要です。病と闘う気力や人生の希望を見つけてもらえるような、そんな病院、スタッフ、そして家族。今やただ病気を治すことだけを考える時代ではなく、心のケアや支えを含めた子供たちの成長を見守る医療が必要です。それは私たちにとって立ち向かうべき高いハードルです。