最近では、白衣を着ない医師も増えていますが、わたしは今でも半袖の白衣を着て診 療しています。医師にとっての白衣は作業着なのですぐに傷みます。ボタンもよく外れる ので自分でボタン付けをします。読者の皆さんは、わたしたちの白衣を見てどう感じるの でしょうか? 安心感が伝わるよりもむしろストレスを与えてしまっているのだとすれば、 白衣が少しかわいそうな気がします。
わたしが医学部で初めて臨床研修医として出勤した時、大学病院の医局の前で、医局に 入るのがなんだか恐ろしくて親がきれいにアイロンをかけてくれた白衣を風呂敷に包んだ まま医局の前にたたずんでいました。先輩の医師が笑って医局に招き入れてくれ、ノリが 効いていてごわごわの白衣に袖を通してみると、まるで段ボール箱を着ているような気が しました。患者さんには、新米の医師がバリバリの白衣を着て、こわばった表情で採血な どするものだから、さぞかし不安感を与えていたのでしょう。家に帰るのは三日に一回、 着替えを取りに行くだけという激務の中、白衣のまま病棟の長いすで寝てしまったり、研 究室でそのまま眠ってしまい、翌日にはホルマリンでのどが焼けるように痛かった事もあ りました。
医師としてある程度経験を積んでからの白衣は、常に汗が染み込み、ヨレヨレの白衣に なりました。白衣はわたしと苦楽を共にし、良いこともつらいこともいっぱい経験してき ました。当直の夜、泥酔状態の患者さんに胸ぐらをつかまれてボタンが全部吹き飛んでし まった事もありました。小児病棟で回診の時、白衣のポケットに手紙を入れてくれる優し い女の子もいました。
わたしは、自分自身がまだ新米のころ、採血させてくれたおばあさんの言葉が忘れられ ません。「先生! わたしの血管は難しいよ。でもわたしで練習して、先生は今からいっぱ いの患者さんを助けなさいねー」
そのおばあさんには返すことのできない恩を、懸命にほかの誰かに与え続ける事を誓い ました。「先生は白衣が似合っていいねー」とアンダグチを言ってくれるおばあさんは、わ たしが教授回診の時、ベッドサイドで教授に質問されて困っていると、教授にわたしの弁 護をしてくれました。『うり、こんなに元気よー』と言いながら手足をばたばたさせて…。
医師は最初から完成品が出てくるものではありません。生身の人間が時間をかけて多く の人に触れ合いながら医師として成長していくものです。医師を一緒に育てていく愛情が 社会にあってほしいと希望しています。
今年の春からは新臨床研修医制度が導入されました。来年の春には、一年間の研修を終 えた二年目の研修医が診療所に配属されます。町の小さな診療所にも、若くてイキの良い (でもちょっぴり頼りない)研修医がやってきます。わたしが今まで白衣と一緒に経験し た多くの事を次の世代の医師に伝えることも、あの時何度も痛い思いをさせながらも頼り ない私を支えてくれた多くの患者さんに応える一つの形だと思っています。