WHO憲章によると、健康とは「単に病気でないというだけではなく、身体的、精神的、社会的に完全な、良好な状態である」と言う。身体的、精神的、社会的に安寧な状態が伴わなければ、いつか健康な状態の破たんが生ずるという。
昔からよく言われる「病は気から」と。これは精神的に不安定な状態ではいずれ体を壊してしまうということである。例えば精神的ストレスが長期にわたると狭心症や、心筋梗塞といった循環器疾患を発症してしまうことが多々ある。俗に神経質で精神的ストレスをすぐ抱えてしまうA型人間といわれている人が、これらのリスクファクターの一つといわれるゆえんである。
私はこれまで循環器を専門に診てきたが、循環器はおおよそ自律神経によってコントロールされており、そして自律神経は精神状態によって影響を受けやすい。また消化器疾患においてもしかりである。ストレス潰瘍を代表として消化器はストレスに弱いのである。
次に身体的に安寧な状態にない場合、ただ単に気分が優れない、体調が悪いというだけでも、やれがんではないか、やがて死ぬのではないかといった不安な思いが生じると精神的なストレスとなり、イライラしたり、落ち込んだりしてついには、うつ状態を発症しかねないのである。これでは仕事どころではないわけで、社会的に健康な状態とはいえない。
そして社会的に安寧な状態にない場合、仕事がない、仕事はあるが職場関係がしっくりいかない、仕事が多忙で寝る暇も無いといったストレスは、即体や精神に跳ね返り前述のような破たんを来すこととなる。
しかしながらこれら三位を一体として安寧な状態に保てる人はあまり多く無く大抵は何かしらの問題を抱えているのである。
このように考えてみると病院とはどうあるべきか、医者とはどうあるべきかというと、昔から「医は仁術」と言われるように、医者は単に病気のみにとらわれず、これら三位を一体として患者を診、原因を探り解決していかなければならない。そのためには、患者個々人が医者に対して、時には親子のように、時には同僚のように、時には友人のように腹を割って何でも話せるような環境がなければならない。
診療の中で隠し事があると、上述のような原因を探り解決していくのに難渋するだけでなく時間をろうすることとなる。また隠しているつもりで無い場合もある。そのような時は、医者の問診の経験と技術で引き出していかなければならない。私はいつかそのような病院をつくりたいと思っている。