琉球大学大学院 感染症・呼吸器・消化器内科学 准教授
健山 正男
今年の9 月7 日にブエノスアイレスで開催さ れた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、 2020 年夏季五輪およびパラリンピックの東京 開催が決定しました。日本国中が大きく盛り上 がり、その余韻はまだ続いています。おそらく 年末にかけても、今年一番の話題が何度も繰り 返し放送されることでしょう。
さて、サブタイトルの「オリンピックとエイ ズ」は、その話題に無理に便乗したのでも、決 して奇を衒(てら)ったものでもありません。 実はこの両者には深い関係があり、ご紹介した いと思います。
東京の招致委員会のプレゼンでは、オリンピ ック憲章の第一章にあるオリンピックムーブメ ント(オリンピック運動)の重要性が強調され ました。そのオリンピックムーブメントの公式 サイトに『「HIV とAIDS の予防、および健康 的な生活習慣の促進』」が掲示されています。 これは2004 年にIOC が国連合同エイズ計画 (UNAIDS)と合意文章を締結して、エイズ対 策のための特別キャンペーンを行うものです。 具体的には各国のオリンピック委員会の代表や UNAIDS、国際赤十字・赤新月社、ユニセフの 専門家、そしてそれぞれの地元の支援者の協力 のもと、地域ワークショップを開いて、スポー ツを通じたエイズの流行を抑えるための支援活 動です。選手村の総合診療所でコンドームを無 料提供することは、先述した「オリンピック運 動」の一環として「エイズの流行、および健康 を守るための行動への理解」を広げることを目 指しており、世界的には毎回、かなりの話題と なっています。
IOC とUNAIDS の協力関係は、2008 年の北 京五輪ではとりわけ大きな成功を収めました。
「安全にプレーし、HIV 感染の拡大を止めよう。 あなたの周りの世界を守る。そのための役割 を果たそう。」という北京五輪のキャンペーン は、IOC と北京五輪組織委員会、UNAIDS が 共同で企画し、実行したものです。キャンペ ーンで注目されたのは、五輪会場の建設現場 で働く出稼ぎ労働者を対象にしたUNAIDS と 民間のパートナーによるHIV 啓発活動でした。 UNAIDS は9 つの国連機関と赤十字社やHIV 感染者グループなどを動員し、HIV 予防、およ び偏見、差別との闘いを呼びかけるために7 千 人の五輪ボランティアを養成しました。また約 10 万人のオリンピック・ボランティアの若者 を対象にHIV と性の健康に関する情報を提供 しました。選手村では、良質のコンドーム10 万個、およびHIV 予防や差別と闘いに理解を 求めるリーフレット5 万枚がパッケージにして 配布されました。華やかなオリンピック競技の ニュースの裏側で、日本では殆ど報道されるこ とのなかったIOC と北京五輪組織委員会のこ のような活動にただ驚かされるばかりです。
IOC が進めるアドボカシープログラム(権利 擁護プログラム)も重要です。
IOC は「HIV 感染者のスポーツへの参加は 社会参加と支援の場を提供することになり重要 である」との立場をとっています。HIV 感染 者のスポーツマン、スポーツウーマンの参加は、 HIV を特別視せず、偏見と闘ううえで非常に 貴重であるとも述べています。ムサ・ンジョコ は31 歳のHIV 感染者の女性であり、2004 年 6 月に南アフリカのケープタウンでオリンピッ ク聖火リレーに参加しました。その数年前に南 アフリカの女性としては初めて、自らがHIV 陽性であることを公表しています。HIV とエイズにまつわる偏見や差別により、様々な問題を 抱えながらも沈黙を余儀なくされている感染者 と女性たちの声を聖火ランナーとなることで代 弁し、これをIOC と南アフリカ五輪組織委員 会は強力にサポートしました。
近代オリンピックの父であるピエール・ド・ クーベルタンによって提唱されたオリンピズム とは、「スポーツを通して心身を向上させ、さ らには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、 連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合 うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献す る。」とされています。IOC は、このオリンピ ズムの精神にもとづき、公式ホームページで「オ リンピック憲章がスポーツを人々に役立てるよ う」求めていることから、国連のミレニアム開 発目標に盛り込まれている「HIV とエイズ対策、 および差別との世界的な闘い」にIOC は貢献 する道義的な義務があると宣言しています。ま た、すべての人がこの闘いの中で、それぞれの 役割を担う必要があり、私たちすべてが加わる ことを求めています。
オリンピックがこのように精神性の高い哲学 によって開催されてきた歴史があることを知っ たとき、私達、日本人がオリンピックの招致に 成功したことは、あらためて感慨深く、そして 名誉なことであると思います。そして同時に、 オリンピック開催の準備は施設の建設と運営に 関心が向きがちですが、クーベルタンが提唱し たオリンピズムを私たち日本人の心に根付かす 「草の根運動」も重要であることに気づかされます。
沖縄県では、この5 年間、新規患者数は人口 比で常に全国の上位を占めてきました。1987 年以来、県内で診断されたHIV 感染者数の累 計は240 人(2013 年6 月末集計)です。
一般県民はもとよりメディア、医療関係者に おいてもHIV/AIDS への理解は、IOC の掲げ る道義的義務と理念からみると、未だ充分でな いのが実情のようです。
本稿が皆様の茶の間や職場で「オリンピック とエイズ」について、今一度、語られる機会と なれば幸いです。