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大北裕教授との手術体験

長田信洋

県立南部医療センター・こども医療センター
長田 信洋

神戸大学心臓外科の大北裕(ゆたか)教授は、 成人大動脈の手術においては国内最多クラスの 手術経験を持ち、その道のtop surgeon である。

その大北教授に沖縄まで出向いてもらい、小 児マルファン症候群の大動脈手術をお手伝いし て頂く機会を得た。極めて難易度の高い手術で ある。患児は2 歳2 か月の男児で、大動脈の バルサルバ洞が内径31mm まで拡大してきて おり、破裂の危険性が高いため手術が必要と なった。手術は自己の大動脈弁を温存しつつ、 拡大した大動脈基部を人工血管に取り替える Yacoub 手術である。(図1, 図2)

大北教授もこのような小さな患者さんでの手 術は未経験とのことであった。

手術は、筆者(長田)が術者となり、大北教 授に前立ち(第一助手)をお願いして、人工心 肺を装着するところから始まった。

小児大動脈手術の代表例として、完全大血管 転位症に対する動脈スイッチ手術があるが、大 動脈を切離し冠動脈をくり抜くところまでは Yacoub 手術も同様の手技であるため、前半は 小児心臓外科の筆者ペースで手術が進められ た。次に大動脈弁の形を評価し、使用する人工 血管のサイズを決める段階に入ったころから、 大北教授が控えめながらリードしてくれる形に なった。人工血管の種類とサイズが決まり、ト リミングの段階に入ると、そこからは大北教授 のお家芸である。的確に手術の要点が示され、 教授ペースの手術が動き出した。

通常は術者があれこれ注意を払いながら縫う 場所の形を整え、それを助手に維持してもらい つつ縫合を進めるのであるが、今回は術者があ れこれ考える前にすでに縫う場所の形が整えら れているのに気が付いた。術者はただひたすら針糸をかけるだけの作業をしていれば手術工程が 淡々と進んでいくという快適な手術展開である。 術者が少し縫い辛そうな動きを見せると、これま た教授がサッと別の術野展開に切り替えてくれ るのでこんなに楽なことはない。そのうち大ざっ ぱに処理する所と、細かく縫合する所のメリハリ も利いてきて、手術自体にリズムが出てきた。

「おやっ、これはどこかで体験したことのあ るような感覚だぞ」

「そうだ、ギターライブでの他者とのアドリ ブ競演だ」

一方のギタリストがワンコーラス演奏し終わ るともう一方がそれに呼応してアドリブ演奏を しかけ、次にまた相手がそれにこたえてアドリ ブ演奏を行う共同演奏形式である。最後は二人 で、主旋律を3 度か5 度のハーモニーで演奏し ながら閉めくくる形のものだ。

学生時代にやっていたライブバンドの演奏感 覚がよみがえってきた。

手術は流れるように進み、心停止時間133 分、 体外循環時間166 分で、当初予想していたよ り早く終わった。

これまで多くの手術を手がけてきたが、終 わってみてこんなに爽快感を感じた手術はな かった。

緊張して難しい手術を成功させた時の達成感 とはこれまた違う爽快感である。

一言で言うと「楽しかったなー」という感覚だ。

心地よい気分でα波優位となった脳はどこ からか、「子曰わく、これを知る者はこれを好 む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者 に如かず」という論語の一節を引き出してきた。

「ある物事についてあれこれ知っているだけ の人は、それを好きでたまらないという人には かなわない。また、どんなにそれが好きであっ てもそれを楽しんでいる人にはかなわない」と いう教えである。

以前この一節に出会った時、好きである事と 楽しむという事の違いがいまひとつ理解できな いでいたが、今回少し分かってきた。「好き」 は個人の内的感情で、「楽しむ」はその内的感情を外部へ開放する能動的な心の状態を表して いるのだと思う。楽しむことは、自分以外の人 や対象物を取り込んで広がっていく世界なの で、多くの魂との触れ合いが喜びをもたらして くれるわけである。

“この感覚・・のことを孔子は言っているんだ”

今回、あらたな境地を垣間見た気がする。当 然のことかもしれないが、外科手術という領域 も奥が深いと思った。

振り返ってみて、自分は果たして若い人たちに楽しい手術を教えてきたのだろうかという疑 問が残る。

まあ、それは今後の課題とすることにして、 術後の心エコーとCT 画像を見ると、弁機能も 良好で形態的にもスリムになった美しい大動脈 が映し出されている。

まずはそのことに感謝しよう。

大北教授へのお礼状のメール入力も、指が弾んだ。

手術シューマ (作画:長田 信洋)

図1

図1

図2

図2

図1.Valsalva 洞動脈瘤を切除し、自己大動脈弁を温存

図2.人工血管でValsalva 洞を再建し、左右冠動脈を移植