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桑江朝彦先生旭日双光章受章祝賀会
新・旧琉球大学医学部長・附属病院長激励会

宮里善次

常任理事 宮里 善次

平成25 年6 月27 日ラグナガーデンホテル に於いて、桑江朝彦先生旭日双光章受章祝賀会 及び新旧琉球大学医学部長・附属病院長激励会 の合同開催をご案内したところ、全県下から多 くの会員の方々が集い、盛大な祝賀と激励会を 行いました。

初めに主催者を代表して宮城信雄沖縄県医師 会会長のご挨拶、呉屋五十六中部地区医師会副 会長による桑江先生のご業績紹介が行われ、続 いて平順寧保健衛生統括監の来賓祝辞が披露されました。

それぞれのご挨拶の中で、桑江先生のご業績 に対する賛辞と同時に、琉球大学医学部が沖縄 県に果たしてきた役割に対する感謝と更なる期 待の言葉が印象的でした。

謝辞で桑江先生は旭日双光章の受章、知事公 舎での勲記勲章の伝達、さらには皇居において 天皇陛下拝謁の栄誉に浴したこと更に、お集ま りの皆様、これまで支えてくださった方々から のご指導、ご支援に感謝のお言葉を述べられました。

琉球大学前医学部長の須加原一博先生は病院 長時代に沖縄県医師会理事の任にあたって、大 学とは異なる医療界のあり方が大変勉強になっ たと同時に、地域にとって医師会の役割が極め て大事だと感じられたと述べられました。

現大学附属病院長の村山貞之先生も県医師会 の理事と云う立場から、医師会と大学の連携を 密にして協力体制を強固にして、様々な事案に 当たりたいと述べられました。

琉球大学医学部長の松下正之先生はご自身の キャリアをざっくばらんに紹介され、琉球大学 医学部の更なる躍進の為に貢献したいと云う力 強い決意を述べられました。

沖縄県医師会代議員議長の新垣善一先生の乾 杯のご発声の後、先生方も壇上から降りられて 会員の方々と懇親を深めておられました。

桑江先生おめでとうございます。須加原先生 ご苦労様でした。そして、松下医学部長と村山 病院長の益々のご活躍を祈念致します。

挨 拶

宮城信雄沖縄県医師会会長
宮城信雄沖縄県医師会会長

本日ここに、桑江朝 彦先生旭日双光章受章 祝賀会並びに新・旧琉 球大学医学部長・附属 病院長激励会を開催い たしましたところ、多 数の皆様にご出席頂き、 厚くお礼申し上げます。

桑江先生のご業績は後程詳しくご披露されま すが、先生は日々の多忙な診療に従事する傍ら、 地区医師会、沖縄県医師会役員として長年に亘 り、会の発展並びに県民の医療・保健・福祉の 向上に尽力されたご功績により、栄誉ある章を 受章されております。

先生の輝かしいご功績は、私ども会員はもち ろん県民の誰もが等しく認める事であり、本県 の医療・保健・福祉の歴史を振り返って見たと き、先生がこれまで果たしてきた役割はいかに 大きなものであったかを改めて認識するもので あり、ここに、先生の永年のご労苦に対し沖縄 県医師会を代表して深甚なる敬意と謝意を表す る次第であります。

また、皆様ご高承のとおり、琉球大学医学部 では、この度、須加原一博医学部長が退任され、 副学長へ就任されました。又、新医学部長に松 下正之先生が就任され、病院長には村山貞之先 生が再任されております。

本県における琉球大学医学部並びに同附属病 院の役割は非常に大きく、医学教育は元より、 常に県民に最新の医療を提供し、地域医療の向 上にご尽力いただいております。

さらには東南アジアを主とする諸外国との学 術交流及び保健・医療協力にも積極的に取り組 まれる他、2012 年に完成した「おきなわクリ ニカルシミュレーションセンター」では、最新 の機材を導入し、医師や看護師等が基本的な診 療技能を効率的に習得できると共に、専門的な 手技・手術の練習が行えることが出来、必ずや 本県の医療界発展に貢献されるものと期待しております。

これも偏に、歴代医学部長・同附属病院長を はじめ関係各位のたゆまぬご努力の賜と深甚な る敬意を表する次第であります。

特に、この度医学部長をご退任されました須 加原先生におかれましては、学生の教育環境の 改善を積極的に推し進めると共に、高い倫理性 を身につけ、医学・医療の進歩や社会的課題に 柔軟に対応しうる医師、保健・医療従事者の育 成に努めるべく、医学教育のための特命教授を 配置しソフト・ハード両面から教育の充実を図 られました。また、沖縄県医師会執行部の一員 として本会会務の運営並びに事業の推進はもと より、本会と琉球大学医学部との橋渡し役を担 って頂きました。

ここに改めて須加原先生のこれまでのご労苦 に対し、衷心より深甚なる敬意と感謝の意を表 すると共に、今後とも副学長として、琉球大学 のさらなる発展にご尽力賜りますようお願い申 しあげる次第であります。

また、この度、医学部長になられた松下正之 先生におかれましては、平成21 年に琉球大学 院医学研究科分子細胞生理学講座の教授に就 任、今年4 月には琉球大学院医学研究科長と医 学部長に就任され、今後は強力なリーダーシッ プを発揮して頂き、医学研究並びに人材育成に ご尽力いただけるものとご期待申しあげます。

また、病院長に再任された村山先生は、これ まで本会の理事、放射線科会長、地域医療委員 会委員として幅広いご識見の下に、会務運営に ご尽力いただいております。先生には、引き続 き大学と医師会のパイプ役を担って頂き、県下 の医療福祉の向上にご尽力をお願い申し上げる 次第であります。

さて、現在我が国では、TPP 加盟問題、控 除対象外消費税問題等の制度に係る諸問題をは じめ、肥満、自殺等、医療分野における様々な 問題を抱えており、医師会を上げてその改善に 取り組んでいるところであります。そのような 中、先の発表にありましたように、都道府県別 平均寿命の全国順位において、沖縄県の女性が 長寿日本一から陥落するという非常に残念な事 態となっております。

県民医療を預かる本会としても、これを喫緊 の問題と捉え、県民の皆さん一人ひとりに自覚 と意識改革を促すと共に、沖縄県の長寿復活の ために全力を尽くして参る所存であります。

桑江先生、須加原先生、松下先生、村山先 生におかれましても、なにとぞ今後ともその 卓越したご見識によるご指導、ご助言を賜り、 県民が希求する安心・安全な医療の構築にお力 添え下さいますようお願い申し上げる次第で あります。

終わりに臨み、先生方の今後益々のご健勝と ご多幸を祈念して私の挨拶とさせて頂きます。

業績紹介

呉屋五十六中部地区医師会副会長
呉屋五十六中部地区医師会副会長

この度の桑江朝彦先 生の旭日双光章受章に 際し、輝かしい数々の ご業績の中から主なも のをご紹介させて戴きます。

先生は昭和42 年に、 コザ市に桑江皮膚科医院を現在地に開設して以 来、今日まで約45 年間に亘り地域住民の医療・ 保健・福祉の向上に尽力されました。

沖縄の祖国復帰前後の激動と混乱の時代にお いて、先生は、地域医療の発展のため、昭和 47 年7 月より昭和49 年3 月までの間、沖縄県 医師会理事に就任され、各種制度が本土法へ移 行する困難の中、医療保険担当理事として尽力 されました。

更に、昭和57 年10 月より、中部地区医師 会会長に就任されました。以来、平成6 年3 月 迄の約12 年間に亘り、ご自身の多忙な日常診 療にも関わらず、医師会活動発展に多大な功績 を残されました。

昭和53 年11 月より平成12 年3 月までの21 年間にわたり沖縄市救急診療所への医師派遣を 行いました。

昭和63 年に開設された中部地区医師会会館 の建設に際して、先生は中部地区医師会会長と して、会館建設委員会を組織し、建設、運営の全ての統率をなされ、その力量を如何なく発揮 されました。

先生の尽力により、会員の長年の夢であった 医師会活動の拠点である中部地区医師会会館が 建設され、併せて中部地区医師会立成人病検診 センターが開設されました。平成元年の職員数 は19 名で、平成25 年は看護学校含めますと 153 名となり、基礎を築いて下さいました。

また、昭和62 年に開催された国民体育大会 の海邦国体においては、先生は大会主会場を抱 える地域医師会会長として、県内外の選手や関 係者、観衆の救護体制の中心的役割を担い、関 係機関との緊密なる連携の下、延べ200 名を 超す救護医師の派遣を行いました。

その後も、平成10 年4 月より平成16 年3 月までの6 年間にわたり沖縄県医師会代議員会 議長として尽力され、永きに亘って沖縄県医師 会役員並びに中部地区医師会役員として本県の 保健・医療・福祉の向上に多大な貢献を果たし ておられます。

昭和43 年より平成16 年まで約32 年間に亘 り、学校医として、また予防接種事業の担当医 として活躍なさいました。乳幼児及び児童生徒 の疾病の予防に貢献されております。

話は一転いたしますが、ゴルフで自分の年齢 より下のスコアで回ることをエイジシュートと 言います。(日本で1500 人いるようです)
今年の4 月にジャンボ尾崎が国内レギュラーツ アーで達成しておりますが、先生は、3 回もエ イジシュートを成功していますので拍手を承り たいと思います。医師の趣味はゴルフが多いで すが、桑江先生のように成しとげた先生はあま りいらっしゃらないと思います。県医師会の宮 城会長、安里副会長、真栄田常任理事もこれか らだと思います。

技術はもちろん健康維持においても先生は スーパースターです。他にも先生の武勇伝を伺 っておりますが時間の関係で次回に御披露致します。

以上のようにこれまでの長年に亘るご功績が 認められ、この度、旭日双光章受章の栄に浴さ れております。

これも奥様の御助力があったからと思います。おめでとうございます。

先生のこれまでの御尽力に対し、改めて深い 敬意と感謝の意を表すると共に、今後とも御健 勝で後輩を叱咤激励して下さい。

この度の受章、誠におめでとうございます。

祝 辞

平順寧保健衛生統括監
平順寧保健衛生統括監

桑江朝彦先生旭日双 光章受章祝賀会及び新・ 旧琉球大学医学部長・ 附属病院長激励会の合 同開催にあたり、ご挨 拶を申し上げます。

桑江先生、この度の 栄えある受章、誠におめでとうございます。心 よりお祝い申し上げます。

先生の長年にわたる地域における医療活動及 び医師会活動の中で挙げられた成果は、今日の 保健、医療活動の財産であり、その多大な保健 衛生功労のご功績に対し深く敬意を表します。

また、琉球大学の副学長に就任されました須 加原教授、医学部長の間はお疲れ様でした、今後 は大学の運営に手腕を発揮されますことをご期 待申し上げます。また、新しく医学部長に就任さ れた松下教授、医学部附属病院長に再任された村 山教授、おめでとうございます。これからも本県 の医療のため、連携及びご協力をお願いします。

さて、県におきましては、三月に第六次沖縄 県保健医療計画を策定し、沖縄二十一世紀ビジ ョンと相まって、健康長寿の実現と良質かつ適 切な医療を提供する体制の確保に努めてまいり ますので、沖縄県医師会におかれましては、今 後とも一層のご支援、ご協力を賜りますようお 願い申しあげます。

結びに、栄えある章を受けられました桑江先 生並びに新しく就任されました須加原副学長、 松下医学部長及び再任されました村山病院長の 益々のご健勝とご活躍、沖縄県医師会のご発展 並びに会場の皆様のご健勝を祈念申し上げ、お 祝いの言葉といたします。

謝 辞

桑江朝彦先生
桑江朝彦先生

本日は、皆さまご多 忙の中にも関わらず、こ のような盛大な祝賀会 を催して下さり、誠にあ りがとうございます。

また、宮城沖縄県医 師会長、呉屋中部地区 医師会副会長より過分な紹介を賜り、また平順 寧保健衛生統括監より、丁重なご祝辞を賜り厚 くお礼申しあげます。

私は、平成25 年春の叙勲に際しまして、大 変名誉ある旭日双光章を拝受致し、去る5 月7 日には、知事公舎において勲記勲章の伝達を受 け、5 月10 日には皇居「春秋の間」において、 天皇陛下に拝謁の栄誉を賜りました。

私の受章理由につきましては、先程、県医師 会長、中部地区医師会副会長より詳細に紹介さ れましたので、私より特に申し上げる事はございません。

しかしながら、今回の受章に際しては、ここ にお集まりの皆さま方を始め、これまで私を支 えてくれた多くの方々からのご指導、ご支援の 賜物であり、ここに改めて衷心より厚くお礼申 し上げます。

皆様方の今後ますますのご健勝、ご活躍を祈 念申し上げ、甚だ簡単ではございますが、お礼 の言葉とさせて頂きます。

本日は誠にありがとうございました。

須加原一博前医学部長
須加原一博前医学部長

皆さんこんばんは。 まず、桑江朝彦先生、 旭日双光章受章誠にお めでとうございます。 心からお祝い申し上げ ます。奥様のご支援が あればこそと思います。 奥様にも心からお祝い申し上げます。

このような晴れやかなお祝いの席に私も加え ていただき誠にありがとうございます。

さて、私も2000 年サミットの年に沖縄に赴 任して13 年目を迎えております。それ以来沖 縄県医師会には毎年、麻酔科医会にご支援を頂 きありがとうございます。御陰さまで、全国的 にも高く評価されるような麻酔科になっております。

先程宮城会長より過分なご紹介を頂きました が、私の方が、これまでの医師会のご支援に対 して、お礼を申し上げなければならないと感謝 しております。

医師会活動では、平成19 年に沖縄県医師会 主催の全国医師会勤務医部会総会が開催された 時に、シンポジウムで大学の役割について発表 させていただきました。その後、病院長として 沖縄県医師会の理事に加えて頂き、いろいろ勉 強させて頂きました。余り大学以外の医療に関 心を持っていませんでしたが、県医師会の理事 会に週1 回、2 時間以上の真剣な熱の入った討 論に参加させて頂き、非常に勉強になりました、心からお礼申し上げます。同時に、これだけの 時間を割いて県民の医療を真剣に検討されてい るのは、沖縄以外にないのではないかと感心し ております。日頃の積み重ねで、大震災など緊 急事態への対応も迅速に行われるのだと敬服し ております。

医師会の医療に対する真摯な態度の影響を受 け、大学の運営、発展に繋げていったことが良 かったのではないかと思っています。幸いに、 平成20 年に病院長になってすぐ高度医療人養 成事業が文科省で採択され、そのプロジェクト が基になって発展し、オール沖縄が形になりシ ミュレーションセンターができました。皆さん のご支援の賜物だと感謝しております。

これからは松下新医学部長、村山病院長を中 心に、病院の再整備、新病院への計画が進行中 です。沖縄の医療の発展に大学が大きく貢献で きるよう、皆さんにはこれまで以上に大学のご 支援をお願いすると共に、理事・副学長として 微力ながらさらに努力していきたいと思ってお ります。今後ともよろしくお願い申しあげます。 本日はどうもありがとうございました。

会場の様子

左から桑江先生ご夫妻、名嘉勝男先生

松下正之医学部長
松下正之医学部長

須加原医学部長から本 年の初めに引き継ぐ事に なりました松下正之と申 します。私は医学部の中 では基礎講座、生理学を 担当しています。その為医師会の皆様とはあまり馴染みの機会がないの で、簡単に私の事をご紹介させて頂きます。

私は香川大学医学部を卒業しアメリカのロッ クフェラー大学に留学しました、そこでは細胞 内神経情報伝達機構の研究をしていました。研 究室のボスは2000 年にノーベル医学生理学賞 を受賞しました。統合失調症や精神疾患の病態 解明で受賞しました。その後、日本に帰国後、 岡山大学に勤め、次に企業へ転任、三菱ケミカ ルフォーリングスに勤めました。医学部の中で も非常に変わった職歴をもっているのではない かと思います。ところが、研究所がリーマンシ ョックの影響で閉鎖になる事になり急遽1 年以 内に職を探しなさいと言われて琉球大学医学部 に拾って頂いた経緯があります。医学部に赴任 する時に教授選考があるわけですけれども、沖 縄に来た時素晴らしい環境で、ここで学生を教 育できたらなんて人生は素晴らしいだろうと思 いました。その時の選考委員長が村山病院長に なります。そういった経緯で今医学部長を務め させて頂いています。

実は今医学部を取巻く環境は非常に厳しい状 況にあり、国立大学も厳しい状況です。日本経 済の疲弊あるいは大震災、人口減少そしてグロ ーバリゼーションの波が医学教育の中にも押し 寄せてきています。医学部は4 つの柱となる組 織から成り立っています、保健学科、医学科、 大学院医学研究科そして附属病院です。医学科 のほうではグローバリゼーションの為に医学教 育を根本から変えろと文科省の方から言われています。ポリクリ実習、臨床実習を74 週やり なさいと、そして今までのように講義をするの ではダメだと、TBL・PBL を自分達学生が自 ら考えるような学習方法を取り入れなさいと言 われています。

また、研究科の方では社会に役立ちイノベー ションを生み出すような新しい医療を推進する ような事をやりなさいと言われている状況で す。そのような状況の中で医師会の皆様のご協 力ご支援を頂いて琉球大学医学部を益々発展さ せていきたいと強く思っております。是非今後 ともご協力をよろしくお願い致します。

左から譜久山民子先生、桑江先生ご夫妻
町田宗孝先生、安座間清先生

左から高良英一先生、須加原先生
安次嶺馨先生、照喜名重一先生

村山貞之病院長
村山貞之病院長

ご紹介を受けました 病院長をしております 村山です。2 年前ここ に座ってあの村山って 誰だと思われて非常に どぎまぎしたことを憶 えております。あれか ら2 年後またここに座ると事になりました、こ の2 年間を振り返ると非常に病院の経営は難し い事を痛感しましたし、特に大学病院は色んな 事があり、心労に耐える日々でした。自分はむ いていないのかなと思ったりしていました。で もこのような会を開いて頂けるのも非常に光栄 ですし、またありがたいと思っています。皆様 のお顔を拝見すると非常に元気になり、今日は 非常にいい日だなと思っているところです。

この2 年間ですが私が何をしてきたかお話し ます。私は須加原先生の子分みたいなもので須 加原先生が目論んでいた事を先生が種を蒔き、 私が花を咲かせるのが私の使命かなと思ってこ の2 年間病院長をしてきました。

最初に卒後臨床センターを別棟に作りました、 非常に評判がよくて今年度研修医がフルマッ チしました。同棟に血液浄化部もあり腹膜透析 などを含め最先端医療をやっております。次に 昨年オープンしましたシミュレーションセンタ ーは県の地域再生医療基金を頂きましてオール 沖縄で作られたものですけれど、これも非常に 花を咲かせています。月に1,000 人以上のドク ター、看護士、医療関係者が研修をされていま す。沖縄にこんな素晴らしいものができたとい うことは沖縄の発展力、原動力になると思いま す。また今年になってからPET センターも作 りました。こちらはまだ始まったばかりなので これから新しい医療を生み出す事になると思い ます。秋にはハイブリッド手術室が完成します。 これは血管造影検査と手術が一緒になったもの で、非常に威力を発揮すると思います。

このように先程言いました、まかれた種がな んとか花を咲かせようとしてきているのかなと 少しは自負しているところでありますが、琉大病院の使命は沖縄県の医療の中でも高度な医療 を提供するということでありますので実はお金 がいっぱいかかって大変なんですけれども、や はり使命を果たせる大きな事としてそういった ものを進めているところであります。またシミ ュレーションセンター等においては質の高い医 療人を輩出するという指名も果たせているので はと思っております。

私はこの2 年間県医師会の理事として週1 回 理事会へ出席しておりますが、ほとんど勉強会 に参加している様な意識で勉強させてもらって いますけれども、とにかく宮城会長始め理事の 先生方の驚くほどのエネルギッシュさを感じて います。自分もそうならないといけないなと思 うぐらいのエネルギーを感じています。沖縄県・ 日本全体の医療の事を皆さんが憂い行動をとっ て非常にいい事をされているところを見て非常 に感服しています。この勉強が琉大病院のため になっているなと思っているところです。最後 に医師会が琉球大学病院の最大のサポーターで あるということをこの2 年間で知りました。医 師会のサポートが非常に大きいと琉大の皆へ日 頃伝えているところであります。今度とも絶大 なるご支援の下に琉大病院の発展を期待して頂 ければと思っています。

左から鈴木幹男先生、村山先生、高良英一先生


左から新垣善一先生、松下先生、平良豊先生、村山先生