沖縄赤十字病院 長嶺 信治
光陰矢のごとし、4 回目の干支を迎えること になりました。亡き母が「心はいつも二十歳さ」、 とよく言っていたことを思い出し、自分も同じ状 況になっていると実感させられました。まさに 実年齢に精神年齢が追い付いていない状況です。
今は誰にも信じてもらえませんが、人見知り で高校生までは女性とは話せないシャイな学生 でした。そのためかあまり人と接触が少ない技 術職に就こうと考えていましたが、母親の病気 や姉の事もあり医師を目指すことになりました。 根が単純で、ブラックジャックにあこがれてい たためか迷わず外科医になろうと思い、以前の 第二外科にお世話になることになりました。も ちろん当初は心臓外科を希望して入局したので はありますが、優秀な多くの先輩が手術するこ となしに日々を過ごしているのを見て、自分は 一生手術が出来ないだろうと思いすぐに一般外 科に鞍替えしてしまいました。関連病院には優 秀な先輩が多くいたので有意義な研修をさせて もらいました。今のように教えてもらえるよう な研修ではなく、見て盗んで習得しろと教えら れました。手術中に少しでも手が動かないと術 者変更になるので、奪われないようにと必死に なっていました。今考えるとガツガツしていて 少し恥ずかしい思い出ですが、やはり時代だっ たのかもしれません。
昨年には卒後20年目の同期会が初めて行わ れました。多少髪が薄くなり白いものが多くは なってはいましたが、学生時代と変わらない 面々に懐かしさと、頼もしさを感じました。ま た医師としての年月を重ねたようで近況報告の スピーチは皆素晴らしく、色々な人生を垣間見 られ楽しいひと時を過ごすことが出来、改めて 人生はそれぞれのものであると実感しました。
今は乳腺、甲状腺疾患を中心として女性を多 く見るようになっていますが、これも自分が想 像していた将来とは大きく異なってしまいまし た。10 年程前には「こんな若い男の医者に自 分のおっぱいを見られるの」等とあからさまに 嫌な顔で言われ、どんな立派なおっぱいなのと、 心でつぶやいたこともありましたが、最近は全 くそのようなことはなくなりました。良い意味 で貫録が付いたかもしれませんが、やはり皺も 増えそれなりの年齢に見えるのだろうなと鏡を 見て納得しています。
年の初めに自分なりの今年の目標をノートに したためているのですが、今年は全国規模の臨 床試験に参加しようと思っています。私の専門 としている乳癌は以前は大きく切除する乳房切 除術が標準手術でありましたが、欧米の臨床試験 の結果、乳房を残す温存術が確立し、日本でも 標準術式になりました。ただし比較的小さな乳 房の日本人は温存術でも大きく変形してしまう ことが多くみられ、患者さんの満足度は十分と は言えないのが現状です。肝癌や転移性肝腫瘍 では既に標準術式となっているラジオ波焼灼術 を乳がん治療に応用することによって、全く傷 や変形のない乳房を維持することが出来るとい う治療です。結果が出て標準術式になるまでは まだ時間が必要ですが、引退する頃に世界に発 信できる治療になっていればうれしく思います。
今、外科医は絶滅危惧種に指定されていま す。昨今の時代の流れ、私たち外科医の努力不 足等もあると思いますが、若手外科医の育成は 急務と思われる状況です。また患者会の支援や それをサポートするチームの育成、病院の広報 活動等、やることはいっぱいあり時間に追われ る日々ですが、求められるうちが花と自分に言 い聞かせて 1 年を迎えたいと思っています。