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巳年にちなんで

山本 和儀

山本クリニック  山本 和儀

生まれ年の巳年を、今年ほど意識したことは これまでなかった。やはり還暦を迎えることが、 否が応でも年齢を重ねることを意識させる。大 学の医局在籍中には赤い頭巾と、ちゃんちゃん こ姿の教授の還暦記念業績集を数多く拝見した ものだ。これまでの人生の集大成をして、リタ イヤに備える節目の年なのであろう。私も、現 状とこれまでの経過を振り返ってみたい。

今の私の生き方は、リタイヤを迎えるにはほ ど遠い。51歳で開業してから8年経ったが、日々 の診療とクリニックの運営、産業精神保健活動 に明け暮れている。年に 400 人あまりの新患を 迎え、1 時間ほどの面接の間におよその見立て と治療方針を伝えお帰りいただく。双方ともに 満足のいく面接ばかりではなく、どこか物足り なさを残し次回の予約日には来院されない方も 未だにいらっしゃる。年々増える患者さんとの 面接時間は短くなりがちで、経験を積んだ職員 の予診や心理テスト、臨床心理士の個人面接に 助けられている。水曜日には、クリニックを閉 じて官公庁や企業の産業医活動に出かける。そ して保険診療になじまない産業カウンセリング や、ストレス調査、研修会、労働衛生コンサル ティングの仕事を続け、それを体系的に実施す るための受け皿としてEAP産業ストレス研究 所を併設した。そのようなポジションニングの 中で、クリニックには多くの休職者が来院され ている。復職支援のためのショートケアも開始 して4年になり、軌道に乗っているがスタッフ の熱意が頼りである。

2001年に初めて学会で報告した性同一性障害 (GID)の患者も、この10年余の間に300例を超 え、2014 年 3月には、この沖縄の地でGID 学 会総会を主催することになった。セクソロジー の世界に、どっぷり漬かっている自身の姿に驚い ている。そして10年という月日が経つと、予想 もしないことが展開していることを痛感する。

開業する前は長らく大学に在籍し、在外邦人 や国内の外国人のメンタルヘルス、多文化間精 神医学、国際保健に関心を持ち、海外出張の機 会も多かった。12年前の2001年9月11日のアメ リカ同時多発テロ事件は、東南アジアのブルネ イで WFMH(世界精神保健連盟)のアジア太平 洋地区代表副会長としてWHO西太平洋地区会 議に出席している最中に起こった。その12年 前の1989年、昭和から平成に時代が変わった 年は、県立宮古病院から大学に移って2年目を 迎え、病棟医長として夜遅くまでの診療、研修 医や医学生の実習のマネジメントに明け暮れて いた。さらに12 年前の1977 年は医学部 3年生 として医学の基礎を学び始め科学の進歩に目を 見張り、医師という職業に誇りを持ち、医学を 学ぶ喜びにあふれていたと思う。さらにその前 の1965 年は日本が戦後の廃墟から奇跡の復興 をとげ新幹線が開通し、前年には東京オリンピ ックを成功させ、テレビ放送の普及、所得倍増 など高度経済成長の波に乗って沸き立つ右肩上 がりの時代の真っ最中に小学生をすごした。さ らに12年前の1953 年(昭和 28年)、戦後処理 を終えサンフランシスコ講和条約を結んで奄美 諸島がいち早く祖国復帰した年に、当時日本最 南端の与論島で生を受けた。

その故郷で、今年は巳年生まれ同級生が集ま り還暦を祝う。多くは高校卒業以来久しぶりに 会う。蛇(巳)は手足のない奇妙な動物で、私 自身も必ずしも好きではなく、古くから嫌悪と 畏怖とのアンビバレントな対象となってきた動 物だが、ものの本によると、巳年生まれは「心 が広く忍耐力があり、品位は高尚で温和な天 性、…やり通す実行力と忍耐力…」とあり、誇 りにできる宿命とのことである。そして、蛇は WHOや日医、沖縄県医師会のシンボルにも使 われており、ギリシア神話の医神アスクレピオ スの杖に絡んだ永遠の命、復活と再生、健康の シンボルでもあります。

これから先の12 年、一介の医師としてさら に精進を重ね、蛇のように脱皮して、一回り成 長した人間となり、新たな年ビー祝いを迎えた いものである。