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「年をとる」ということ

長田 信洋

沖縄県立 南部医療センター・こども医療センター小児心臓血管外科  長田 信洋

巳年生まれの私は、今年還暦を迎える。50 代半ばまでは、「年をとること」と「老化」は ほぼ同義語であった。若い頃バスケで鍛えた体 であるが、近年歩行中につまずくことがあり、 一度転びかけて思わず廊下に手を着いた時は老 化を身近に感じたものである(笑)。

しかしアラカン世代(around 還暦)の仲間入 りをした頃から、脳の中のある感覚領域に「老化」 とは逆の異変が起こっている事に気がついた。

色に対する感覚と音に対する感覚が、年々研 ぎ澄まされてきているのである。

色で言えば、絵を描く際に「光」を「色」と いう感覚でとらえることができるようになった こと。音で言えば、曲を演奏しながら和音の流 れがつかめるようになったことなどが挙げられ る。もう少し具体的に述べると、肖像画を描く 際、光のあたる向きや光量を頭のなかで変化さ せ、人物の表情を豊かにしたり、衣服の色を魅 力的に輝かせたり、あるいは色そのものを衣服 から浮き上がらせた感じで描くこともできるよ うになってきたのである。

学生時代にやっていたアコースティックギ ターはアラカン世代になって再開したが、和 音の響きを sus4 や 9th の隠し味も含めて、味 覚の感覚で味わえるようになってきた。作曲家 が作品の味付けに工夫を凝らしたと思われる点 も見つけ出すことができるので、楽しみが増え ている。またメロディーとコード(和音)進行 は、以前は C → Em → F → G と譜面をなぞっ て演奏するだけであったが、最近はその流れを、 I →V m →W→Xと全音階的に把握できるよう になってきた。そのため苦手だった曲の暗譜も 苦労なく出来るようになっている。

還暦を前にしてこのような感覚の発達は不思 議な現象であるが、これはおそらく、心臓の手 術という仕事での興奮が、勢い余って絵画中枢 や音楽中枢の神経細胞をも刺激している結果で はないだろうか。その傍証として、複雑心奇形 などの難しい手術を無事終えた日は、周囲の仲 間たちがいつもより美しさを増して見えるので ある。最近は一人一人のエネルギーをも感じ取 れるようになってきた気がする。その感覚を「ス タッフ達の肖像画」という形にして、時々病院 内のギャラリーで展示しているが、以前は、「よ く似ているね〜」とか、「色がきれいだねー」 であった観客の反応が、最近は「癒される〜」 とか「魂を感じる」に変化しており、中には「作 品の出来栄えに驚愕した」とおっしゃって下さ る方もいて光栄に思っている。

医者になってからの 35 年はひたすら左脳を 鍛え続けてきた。その間ずっと抑えられてきた 右脳は廃用性退縮に陥っているものと思ってい たが、どうやらそうではなくて、左脳と一緒に 成長していたのである。

ここまで来てふと思った。

“「年をとる」ということは「老化」ではなく 「熟成」ではないか?”しかもその熟成はウイスキーやブランデーなどの それとは異なり、沖縄の「泡盛」型熟成である。

ウイスキーやブランデーなどは樽に貯蔵され、 樽からバニラの香りなど様々な成分をもらって 熟成し古酒となる。そのため樽から出して瓶詰め されると、それ以降は熟成がなかなか進まない。

一方、「泡盛」は「泡盛」に含まれる成分そ のものが、長期熟成することによって物理的変 化(舌触り)、科学的変化(香味)をきたして 古酒となる。そのため瓶詰めされた後も、年月 を経るに従い芳醇さが増してくるのである。

我々が迎える定年退職はさしずめ古酒の瓶詰 出荷のようなものである。その後、泡盛のよう に熟成が進むのか、ウイスキーやブランデーの 道を歩むのか、はたまた放置されて酸化し、二 日酔いの因となるようなまずい酒になるかは人 それぞれの人生である。

さて、平成25年。今年は泡盛職人になった 気で頑張ってみようかな。