沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 1月号

干支:へびどし生まれに因んで:同期会

仲尾 清

与那原中央病院  仲尾 清

今年はへびどしで、私も古希を迎えることに なるが、まだ現役でやり残したことも沢山有る し実感はありません。孔子の言う七十にして心 の欲するところ…の気持ちにもなりません。

さて随分昔の話になりますが、私が大学を卒 業したのは昭和 43 年、インターン闘争華やか な頃で、クラスの仲間は皆入局をボイコットし て、市中病院へ自主研修に散っていきました。 丁度沖縄では県立中部病院の研修制度がスター トして二年目でした。今でこそ中部病院の研修 医になるのには困難な試験があるようですが、 当時は簡単な面接だけでインターンとして受け 入れて貰いました。医師不足の事情で一年でも 早く、一人でも多く医者がほしかったのでしょ うか。忙しかったが楽しいインターン生活を送 ることが出来ました。あれから約 45 年の歳月 が過ぎようとしています。最初の 2 年間に、い い恩師、よき上司に恵まれ、医師の根っこの部 分を教えて貰ったような気がします。せっかく ですのでちょっとした自慢ばなしをさせてもら います。その時の同期生が 11 名おりまして、 その後各々道は違ったけれども、機会があれば 集まって飲みながら、研修医の頃の失敗談、美 談などで花を咲かしていました。この 2期生が 5年前から持ち回りで年一回の同期会をやるよ うになりました。誰が発案したのでもなく、自 然発生的に始まったのです。ある程度時間が取 れるようになり、経済的にもゆとりが出てきた ことと時期が一致します。最初は不妊治療で有 名な産婦人科医の根津先生(沖縄に足を向けて 寝ないというほどの沖縄びいき)が幹事になっ て、長野県諏訪で行われましたが全員参加だっ たと記憶しています。次の神戸同期会は元加古 川市立病院院長の鎮西先生が主催。3期生の元 那覇市立病院の理事長の与儀美津夫先生も奥さ ん一緒に参加するようになり次第に賑わい示す ようになりました。彼はこんな同期会最高だと 一番喜んでいるようです。次の年は沖縄ブセナ で行いましたが、二期生のリーダー格の沖縄県 総合保険協会の比嘉先生、北谷病院の金城先生 が主催。4回目の同期会は下関で行われ、あの 有名な春帆楼にてふぐ料理を味わい、名門コー スでゴルフを楽しみました。其の時は多角的に 病院経営をやっている特定医療法人茜会会長の 吉水卓見先生が主催しました。5 回目は、去っ た 10 月4日から8日まで、米国ワシントン州の シアトルで開催。小児科医で米国に永住してい る仲原先生主催でしたが、今までになく盛り上 がりいい思い出に成りました。今回、中部徳洲 会の堀川義文先生、小児科医の知念正夫先生は 欠席。県内から 10 名、平安山英達先生、金城 進先生、与那嶺毅先生(中部医師会)与儀先生 各々御夫妻。比嘉先生と私は淋しく独りで参加。 以前我々皆米国留学の経験はあるが、なにせは るか昔のことで英語に自信がなく揃って沖縄を 発ちました。本土からの 5 名と成田で落ち合い、 一緒にシアトルに向け出発、年甲斐もなくわい わいがやがや、10時間余の飛行機の旅も全然 苦になりませんでした。シアトルは水と針葉樹 の街といわれるだけあってきれいで、天気もこ の季節にしては 4日間晴天でした。デイリカム ビレジでのサーモンの美味しかったこと、アメ リカ全土のフットボール場が全て入るボーイン グ社の工場の大きさなどにびっくりしたことが 記憶に残ります。何よりも仲原先生御夫妻の心 温まる歓迎に感動しました。同期会だけでシア トルまで行くとはなんと贅沢なという人もいた が、もう二度と訪れることがないだけに価値が あります。今後毎年一度、ひとりも欠けること なく同期会が継続することを期待して、私の自 慢話を締めます。沖縄県医師会、会員の皆様の 更なる発展を祈念します。