南部徳洲会病院 赤崎 満
音楽に関しては大きなトラウマがある。
一つは小学校低学年の頃の話。当時、テレビ のローカル番組で素人のど自慢をやっていた。 某製薬会社の提供で、その社のロゴマークの5 つの輪が点数表になっていた。輪がいくつ点灯 するかで5 段階評価し、すべて点灯すると最高 点であった。近所に住んでいた大学生のお兄さ んが出演して、自慢の森進一のものまねを披露 したが、輪は2 つしか点かなかった。本人とし てはうまく真似たつもりだが、審査員の評は、 もっと自分らしく歌いなさい、だった。ものま ね部門ということで応募したのに何でだよ、と くやしがっていた。僕と同い年くらいの男の子 が童謡を歌って4 つ点灯したので、またくやし がっていた。これが事の始まりだった。その番 組を見ていた僕の心に何かが点灯したらしく、 突然母に、僕も出る、と言い出した。母は出た いとしつこく言う僕に根負けして、テレビ局に 電話をかけてくれた。選考会がありますとのこ とで、指定された日時に、母親と2 人ででかけ た。同じく出演希望の人達が子供から大人まで 10 人前後、テレビ局の小さい部屋にいた。そ の部屋の中で担当者を前にして、一人ずつ持ち 歌を歌った。全員歌い終わったあと、本番の日 時が告げられ、遅れないようにと注意が出て解 散となった。帰り際に、僕ら親子は呼び止めら れた。3 人だけになった部屋で、担当者が母に、 お子さんはもう少し大きくなってからの方が良 いかと思います、と話しだした。僕ひとり選考 で落ちたことがわかった。僕の音楽的才能にお そらく気付いていた母は、それを客観的に指摘 され、僕以上に落胆したに違いない。帰り道で、 他の歌にすればよかったかもね、と無理やり慰めを言ってくれた。そういう問題ではないこと を知りながら。結局、僕は輪ひとつ、もらえな かった。これが、自分の才能に疑問を持った最 初の出来事だったように思う。
二つ目の事件は、中学3 年の時に起きた。ク ラス対抗合唱コンクールがあり、それぞれのク ラスで、歌の練習が行われた。課題曲はモルダ ウ。ピアノ伴奏者はすんなり決まったが、問題 は指揮者だった。誰もやりたがらず、級長だか ら、と僕が指名された。誰もやる人がいないか らしょうがないか、歌うよりましかも知れない し、と引き受けたまではよかった。最初に指揮 の振り方を習った。はい、いち、に、さん・・ これを繰り返すだけだから簡単でしょ、と言っ て先生はいなくなった。本番まで2 回ほど全 員で歌合せをした。そしてコンクール当日。校 舎をバックに運動場に仮設の舞台が作られ、そ の上にあがって各クラスが順々に合唱を披露し た。他のクラスの指揮者はだいたい何かの楽器 をやっていて、その音楽的才能を自負している やつばかりであった。僕らのクラスの番になっ た。全員勢ぞろいし、その前の指揮台に僕が立 った。周りが静かになり、軽い緊張感の中、最 初の構えから静かに腕を振り下ろし、合唱が始 まった。突然、審査員席の最前列に座っていた 音楽の先生が飛び出してきた。あろうことか、 後ろから僕の両腕をしっかとつかまえ、強引に 誘導しだした。僕は、カラオケの歌いだしを間 違えるようなことを、指揮でやってしまったら しい。先生は数回拍子を合わせてくれたあとで、 手を離した。合唱と伴奏が合っていて、指揮だ けが合っていないということがあるのか?僕は 曲に翻弄され溺れた。発表が終わり疲労感を覚えながら、次のクラスの合唱をぼんやりと見て いた。指揮者は、エレクトーン演奏で県内一位 になったこともあるやつで、すらっと長身で、 その繊細に動く指先からは滔々たるモルダウの 流れが生み出されていた。豊かな流れよ、モル ダウの・・・僕はまた溺れそうになった。
コンクールの順位は忘れた。高校は書道クラスに入った。
思い起こせば、幼稚園や小学校の頃、合奏の ときに、僕に渡されるのはカスタネットか、い いとこトライアングルであった。右手の棒でト ライアングルをチーンと鳴らしたら、左手の紐 をきゅっと握り締めるのよ、いーい、きゅっと よ、としつこく教えられた。
小さなトラウマなら数え切れない。知ってい る曲を皆で歌っていると、隣の同級生の女の子 が、はじめて歌うの?と真面目な顔で訊いてき たこともあった。歌に合わせて手拍子をしてい ると、いつの間にか自分だけ周りと拍子がずれ ているということは、今もよく経験する。カラ オケを歌い、先輩からだめだしされたことは何 度あったことか。
それでも音楽が好きなのである。高校後半か ら聞き出したクラシックは特に好きである。そ の頃には、さすがに、自分には音楽的才能が無 いことをはっきり自覚していた。神に愛された モーツアルトの天賦の才能が、自分には与えられなかったことに対して、サリエリが神をうら み、モーツアルトに嫉妬する気持ちが、僕には よく分かる。いっしょにされたサリエリは迷惑 だろうが、歌は歌えずとも、楽器は弾けずとも、 音楽を聴いて美しいと感じることは、僕にもで きる。僕が音楽を好きで何が悪いか。トラウマ を持つ人間はすぐ開き直るんだぞ。
そんな時に出会ったのが、山根銀二著「音 楽美入門」(岩波新書)であった。初版は1950 年12 月。僕の手元にあるのは1976 年発行の 第38 刷版である。35 年前、大学1 年の時、音 楽入門ではなく音楽美入門というタイトルにひ かれ、書店で手に取った。少々内容が硬く、著 者が伝えたい事の半分も理解できていないのだ ろうが、音楽を知らない僕に、その素晴らしさ を語ってくれた。今では、紙は茶色にくすみ、 背表紙も剥がれ落ちて、新書が古書になってい るが、僕の大切な本の一つである。
本の紹介をするつもりが、書きだしがよろし くなく過去の告白みたいになってしまった。タ イトルと内容にギャップがあるのはそのせいである。
この原稿を読んだ妻は、さもありなんという 顔をして、あなたの歌がヘタクソなのはみんな が知っているから大丈夫よ、とのたまった。
小さなトラウマがまたひとつ増えた。