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新米クリニック経営者のドバイ診療記
−「ハラハラ・ドキドキ」から「ワクワク・ドキドキ」への転換点−

新城憲(あらしろ けん)

医療法人こころ満足会 形成外科KC
新城 憲(あらしろ けん)

20 年余りの公務員医師生活に別れを告げ、 2007 年6 月にクリニックをオープンしました。

開業後は、クリニック経営者として10 余名 の職員をまとめて一つの方向に導くことの難し さに、経験したことのない落胆とストレスを感 じました。

そんな中、開業時の資金繰りからスタッフ養 成まで一手にこなしたクリニックのマネジャー でもある妻は、2008 年8 月に中東、アラブ首 長国連邦(UAE)のドバイに足を運んでいま した。ちなみにUAE は7 つの首長国からなり、 ドバイはその中の一つの首長国です。リーマン・ ショック前のドバイは、飛ぶ鳥を落とす勢いで、 日系企業の進出も盛んでした。妻は、その時に 企業進出を仲介する経営コンサルタントである A 氏に現地で会い、なんと私がドバイで診療す るための情報収集を行っていたのです。帰国後、 A 氏との出会いと妻のビジョンを耳にして、新 米経営者がハラハラ・ドキドキの毎日を送って いるのに、経営的にも厳しい状態なのに、どう して“ドバイ” なのと正直思いました。

ただ、妻の先見の明に一目も二目も置く私 は、まずはその話に乗ってみようと思い、A 氏 の指示に従いドバイの医師免許取得に向けて 準備を始めました。A 氏によれば、その時点で は日本人で実際にドバイで医師として活動し た人はいないとのことでした。日本の医師免許 を有するものは、当地の医師免許証を得るため の学力試験は免除されますが、その代わり膨大 で煩雑な申請手続きと現地での面接試験が必 要でした。申請書類は、履歴書、職務経歴書、 推薦状、卒業証明書、医師免許証、医師会所属証明書などをすべて英文でそろえ、さらに各種 証明書は日本の外務省とUAE 在日大使館の認 証を要します。

紆余曲折を経て、2009 年7 月に初めてドバ イを訪れ、面接試験に臨みました。面接官は UAE 厚生省が指定した公立病院の形成外科医 で英語でのやりとりで、私の形成外科医として の経歴と技量を問うものでしたが、あらかじめ 用意した症例写真を見せながらスムースに終えました。

一ヶ月後には無事合格したとの連絡を受けた ものの、その際に得られた医師免許は、UAE 全域の公立病院のみで有効であることが判明し ました。公立病院だけとなれば、私が考えてい た構想にはそぐわないため、今度はドバイ首長 国の厚生省に申請書を出して面接を受けること になりました。

その後も幾多の課題をクリアして、2010 年 5 月に今度はドバイ厚生省が指定した国立病院 の形成外科医の面接を受け無事合格し、ドバイ 全域(医療特区を除く)のあらゆる病院での勤 務が可能になりました。その時に、事前にイン ターネットで調べて、面会の約束をとったドバ イ在の美容外科クリニックを3 軒訪問しまし た。幸運にもドバイで二つのクリニックを経営 するB 医師に出会い、彼が日本から来た、見 ず知らずの私にドバイで診療する手順を具体的 に提案してくれました。

ドバイで仕事をするための就労ビザを取得す るためには、後見人となる雇用主の証明が必要 ですが、B 医師が快くその役目を引き受けてく れました。そして2011 年4 月に、晴れて医師 免許証と就労ビザを得ることができたのです。

ここまでドバイで仕事を始めるまでの経過 を紹介しましたが、なぜこれほど苦労してドバ イなのか、について述べます。この計画を考え た当初は、オイルマネーで潤う中東のドバイで 好きな手術を手がけてクリニックの経営にも 貢献できればと、正直考えていました。しかし、 現実がそれほど甘くないことは程なくわかり ました。

途中、挫折しかけた意思を支えたのは、ドバ イで苦労して今の地位を築いたA 氏が放った 「やってみないとわからない」の一言であり、 いろんな夢を持った人々を引きつけるドバイと いう土地にいるときの「ワクワク・ドキドキ」 感でした。

この砂漠の地に、世界一のビル・ショッピン グモール・港湾・人工島・噴水・人工スキー場 などを創造し、さらに金融・流通・交通・観 光・医療のハブとなって安定成長する国を創ろ うとする人間の叡智と努力に訪問するたびに感 動し、生きる力をもらいます。

「ハラハラ・ドキドキ」の新米経営者だった 私が、「ワクワク・ドキドキ」の形成・美容外 科医へと変わっていき、いつしかクリニックの 経営もスタッフとの関係も良好な状態に向っ て行きました。その転換点が、ここドバイの地 に降り立ったことであったのは間違いありません。

今、診療としては3 回目、通算9 回目のドバ イ滞在中に、この文章を書きながら、その思い を強くしています。2012 年3 月20 日記

(なお、詳細については私のブログ、「http://kcblog.ti-da.net/」をご笑覧ください。)