島尻キンザー前クリニック 島尻 佳典
4 年前渡久山博美先生から手伝ってくれない かという電話がありました。一人での切り盛り が大変だったと思います。その後パタパタと状 況が変化し、リタイアしたいと言う話になりま した。地域に根ざして25 年間親しまれた整形 外科を閉じてバトンタッチすると言います。郷 土の先輩医師、親戚の誇り、と言うだけでなく 同じ医師を生業とする者として今まで活躍して きた分、悠々自適な生活を送って欲しいと思い 話を進めました。今、時々顔を合わす博美先生 は元気に過ごしています。
箱物がありましたのでいわゆるテナント開業 です。内装工事のため借金もしました。なかば 引き継ぎなので職員の確保には苦戦しませんで した。小規模なためスタッフが一丸となりやす く、小回りも利き、患者さんを身近に感じてい ます。思っていたより経営は厳しいのですが、 専門性を前面に出しましたのでお蔭さまで患者 数は徐々に伸びてきています。逆に「インフル エンザは診れますか?」とか「風邪なので今日 の診察はお休みにします。」と連絡して来る患 者さんもいて苦笑しています。
開業する噂が流れると業者がアプローチし てきます。業務の合間にやり取りをしたり、慣 れないコンピュータの話を聞かなければなり ません。私は幸いなことにコンピュータが得意 な者を事務長に擁立することができましたの で全部一任しました。彼も仕事をしていました ので大変だったと思います。よくやってくれて 電子カルテもクリニックに見合ったものを選 ぶことができました。端末の数、データの整理・ アウトプットのやり易さ、レセコン一体型など に照準を合わせて選択しました。これからは医事課業務やデータ管理など全てがIT 化ですの で、できればコンピュータに詳しい方を最初か ら置いておくことで医師の負担は軽減される と思います。
とは言えオープンまでの1 カ月は電子カルテ パニックに陥りました。そのまま使えるものと 高をくくっていたからです。マスターメンテと 言うものをしなければなりません。私には初め て聞く言葉でした。院内で使用する注射・点滴、 薬の名前とミリ数・用法などを一から入力して 行く作業です。病院ではシステムの人がやって いるようです。業者に泣きついた甲斐あって内 服薬の9 割近く入力してもらいました。しかし、 注射、処置などはクリニックの運用の関係もあ るので自分で入力しなければなりません。イン スリンと血糖測定付属器の名称、用法などの入 力は複雑です。専門であるがゆえに気を使いま した。どんな種類を置こうか、職員は理解して 進行できるか、検査に不備はないか、などなど 他にも気が抜けない日々が続きイライラしました。
初日の2010 年9 月1 日は折しも暴風雨でし た。国道58 号線沿いは風が猛烈に強く、嵐の 出港に不安がよぎりました。業者さん待機のも と、シミュレーションも何度かやったので現 場はスムーズでした。患者の殆どは父方母方門 中という沖縄らしい外来で、最初の患者総数は 11 名の幕開けでした。
開業で自慢できるのは職場を提供している点 でしょうか。病院が存続できる第一の条件は医 師が存在することですから勤務医でも同じだと 思いますが、開業はまた趣が異なります。起業 家(Entrepreneur)としてクリニックという「事業」を経営しなければなりません。新鮮かつ魅 力的な分野であると同時にプレッシャーもあり ます。「お金なんて、商売なんて」と思う時も ありますが、やはり謙虚に利益を考え、財務表 に目を凝らしている日々です。ただ普通の商売 よりは明らかに優遇されています。日本はアメ リカと比べると医療に関しては社会主義的な構 造を持った国です。国民皆保険は医者を守る仕 組みでもあるからです。この仕組みがあるから こそ日本の医療の質は世界に冠たるものとして 発達して来れたと同時に、医師が比較的裕福な 生活ができる理由だと思います。
クリニックの名前についてはいろいろ悩みま した。島尻医院は与那原にありましたし、島尻 内科、島尻内科クリニック、、、浦添にあるのに 島尻地方にあると間違われても嫌です。それに 何だかパッとしないような気がしました。東京 にある先輩のクリニックが「駅前つのだクリニ ック」と言い、場所と医師の名前を瞬時に判断 できます。パクっても良いか尋ねると快く承諾 してくれました。しかし目の前に駅はありませ ん。浦添市の地図を広げると、勢理客から牧港 まではキャンプキンザーが横たわっています。 浦添は実は基地の街でした。政治的な問題から 少しのためらいはあるものの既に返還も決まっているらしく、本土の友人にも基地のある街で 開業していることを知ってもらいたい、また基 地と隣り合わせに住んでいる浦添の皆さんに親 しめるクリニックにしたいと思ってこの名前に しました。
行きあたりばったりに進めてきた、と言うの が本音の私の開業顛末です。ただ人生の一大転 換期ではありました。そんな物事が大きく変わ っていくなかで精神的に参考にしていた本の話 で締めくくりたいと思います1)。今年の干支の 龍の話です。龍は地中に潜み、ある日飛び立ち 天に昇り、雨雲を従え恵みの雨を降らせると言 います。陰徳を持ちできるだけながく飛び続け ること、そのためには何かに頭を隠す必要があ ると言います。自分が属する職場や地域に埋没 し、我を通すことなく自分を発揮することがで きれば、すなわち組織と一体化することができ れば、ながく飛ぶことができると私は解釈して います。学問を愛し、今まで育てていただいた 先生方の師恩に報いたいという気持ちで日々過 ごしています。
参考文献
1)竹村亞希子著、リーダーの易経、PHP 研究所、2005 年9 月5 日発行
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