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糸数健先生、源河圭一郎先生、宮城信雄先生、おめでとうございます
−糸数健先生、宮城信雄先生日本医師会最高優功賞受賞・
  源河圭一郎先生瑞宝中綬章受章祝賀会−

安里哲好

常任理事 安里 哲好

左より源河圭一郎先生と正子夫人、糸数健先生と瑠美子夫人、宮城信雄先生と昌子夫人

左より源河圭一郎先生と正子夫人、糸数健先生と瑠美子夫人、宮城信雄先生と昌子夫人

糸数健先生、源河圭一郎先生、宮城信雄先生 の栄えある受賞・受章、心よりお祝い申し上げ ます。祝賀会は平成23 年12 月5 日ザ・ナハテ ラスにて行われ、会揚は溢れんばかりの多くの 方々が出席され、受賞・受章を祝い、喜びを共 にされました。

糸数健先生は、時代に先駆けて一歩も二歩も 前を歩み、常に大きな目標を掲げ桃戦し、そし てそれを実現化すると同時に、若き人たちを強 いリーダーシップで導いてきました。今尚、頭 脳明晰で青年のような情熱と気概を抱き、そし てこれまた素晴らしい壮健な肉体とを三位一体 の如く保持し、発言し行動し続ける我々の輝け る星です。次回は米寿の県医師会長賞と米寿で の県医師会ゴルフコンペの優勝をめざして頂き たいと心より願っています。

源河圭一郎先生は、医療人としての多くの期 間(50 年)を国立大学病院・国立病院で医療 に従事され、約5,000 例を数える膨大な肺がん の手術や病理分析をされ、県内外に発表し多く の業績を残されました。また、手術療法・化学 療法・放射線療法も含め医療行為そのものでは 救えず、医療現場で亡くなって行かれる多くの 方々に付き添い、そして看取ったのでしょう。 その後、尊厳死と言う大きなテーマを胸に抱き、 実社会の中で県民と共に歩んでおられます。健 康に留意され、更なるご活曜を念願いたします。

宮城信雄先生は、2 期4 年間の南部地区医師 会長をなされた後、平成14 年4 月より2 期4 年 県医師会副会長を、平成18 年4 月より3 期6 年間医師会長をされ、平成22 年4 月より1 期2 年 日本医師会理事等の重責を担ってこられまし た。「地域に開かれた医師会づくり」を大きく 掲げ邁進され、県医師会会館作りを始め多くの 業績を築かれています。また、沖縄県仲井眞弘 多知事の後援会長として、県行政と県・地区医 師会、大学、県立病院との強靭なパイプ役を担 いつつ、「オール・オキナワ」としての医療を 推進し、未来展望をも提言しています。今後と も、沖縄県の保健・医療・福祉にご尽力下さい ますと共に、益々ご健勝であられんことを心よ り念願いたします。

挨 拶

玉城信光沖縄県医師会副会長
玉城信光

本日ここに、糸数健 先生、宮城信雄先生日 本医師会最高優功賞受 賞・源河圭一郎先生瑞 宝中綬章受章祝賀会を 開催いたしましたとこ ろ、多数の皆様にご出 席頂き、厚くお礼申し上げます。

先生方のご業績は後程詳しくご披露されます が、糸数先生は長年に亘り本県の産婦人科医療 体制の整備並びに、地区医師会役員として地域 医療活動にご尽力されたご功績により、また、宮 城先生は沖縄県医師会長として6 年に亘り、日 本医師会と各都道府県医師会との連携強化に努 められたご功績により、源河先生は、元国立療 養所沖縄病院長として、本県における地域医療 の発展と医療技術の向上に尽力されたご功績に より、この度栄誉ある章を受章されております。

本県の医療・保健・福祉の歴史を振り返って 見たとき、先生方がこれまで果たしてきた役割 はいかに大きなものであったかを改めて認識す るものであり、ここに、先生方の永年のご労苦 に対し沖縄県医師会を代表して深甚なる敬意と 謝意を表する次第であります。

さて、政府・民主党が社会保障と税の一体改 革として進めようとしております「受診時定額 負担」につきましては、会員の先生方や沖縄県 医療推進協議会の各団体に反対の署名活動をお 願い致しましたところ、5 万3 千人余の多くの 署名が集まりました。ここに衷心より感謝申し 上げる次第であります。マスコミ報道によりま すと、政府・民主党は「受診時定額負担」導入 を見送ることを固めたと伝えていますが、厚生 労働省はまだ旗を降ろしていないとの意向を示 しております。我々県医師会執行部としても、 患者負担増を伴わない持続可能な社会保障体制 の確立と国民皆保険制度堅持のために、引き続 き「受診時定額負担」の導入を阻止するべく全 力で取り組んで参る所存でありますので、会員 各位におかれましても、引き続き、ご支援・ご 協力をお願い申しあげる次第であります。

現在、我々を取り巻く医療環境は非常に厳しい 状況にありますが、糸数先生、源河先生、宮城先 生におかれましては、なにとぞ今後ともその卓越 したご見識によるご指導、ご助言を賜り、県民が 希求する安心・安全な医療の構築にお力添え下さ いますようお願い申し上げる次第であります。

終わりに臨み、永年に亘って先生方を支えて こられたご家族の皆様に深甚なる敬意を表する と共に、皆さまの今後益々のご健勝とご多幸を 祈念して私の挨拶とさせて頂きます。

業績紹介

真栄田篤彦那覇市医師会長
真栄田篤彦

この度の糸数健先生、 日本医師会最高優功賞 受賞に際し、輝かしい 数々のご功績の中から、 主なものを簡単にご紹 介させていただきます。

糸数先生は、那覇市 医師会理事、副会長、会長を合計21 年間務め られました。特に平成6 年4 月から平成8 年3 月までは、会長として陣頭指揮をとり会務の遂 行と那覇市の医療保健福祉行政との補完業務 (各種事業)の発展に大きく貢献されました。

又、日本産婦人科医会沖縄県支部(旧日母) の理事、副支部長、支部長を合計37 年間務め られると共に、日本産婦人科学会沖縄県地方部 会理事を昭和45 年以来、41 年余の永きにわた って務め、本県における母体管理及び女性の健康増進に尽力されました。

那覇市医師会においては、糸数先生は常に強力 なオピニオンリーダーとして活躍され、先生の判 断と行動は常に正確迅速でした。各種検診事業、 学校保健、予防接種、救急医療、健康教育、臨 床検査センター事業、看護学校運営などあらゆる 医師会事業の向上発展に大きく貢献されました。

昭和41 年から日本産婦人科医会沖縄県支部 (旧日母)と那覇市医師会と新聞社が連携して 実施している子宮ガン集団検診と県民への啓発 活動では、糸数先生は常に中心になって活躍し ています。

また、先生は日本臨床細胞学会沖縄支部の設 立に尽力され、昭和59 年設立後は支部長を務 めると共に、学術研修会や症例検討会を開催し て検査技師の指導育成に尽力されました。現 在、これらの研修を受けた多くの検査技師が資 格を得て、細胞診検査士となって、全県下で活 躍しています。

更に、糸数先生は全国比で最悪であった沖縄 県の乳幼児死亡率、新生児死亡率の改善にも尽 力されました。平成8 年にスタートした南部地 区周産期ネットワーク協議会、現在は沖縄県周 産期ネットワーク協議会となっていますが、糸 数先生はこの協議会の設立のために尽力されま した。本協議会は未熟児を受け入れる県内6 つ の国公立病院の新生児空床情報を毎日那覇市医 師会で集計し、地域の産科診療所からの新生児 搬送をスムーズにするシステムであります。こ のシステムは沖縄県の新生児死亡率の改善に大 きく寄与しており、日本医師会や厚労省からも 高く評価されています。

この度の糸数健先生のこれまでの長年に亘る ご功績が認められ、日本医師会最高優功賞受賞 の栄に浴されております。糸数先生のこれまで の御苦労に対し、改めて深甚なる敬意と感謝の 意を表すると共に、今後とも御健勝でご活躍さ れん事を祈念いたしまして、簡単ではございま すが、業績紹介を終わります。この度の受賞、 誠におめでとうございます。

石川清司国療沖縄公務員医師会長
石川清司

糸数先生、宮城先生、 源河先生おめでとうご ざいます。ご家族の皆 様にもお慶びを申し上 げます。

源河圭一郎先生のこ の度の瑞宝中綬章の受 章に至りました輝かしい数々のご功績の中から 主なものを紹介させていただきます。

源河先生は昭和36 年3 月京都大学医学部を ご卒業後、同年大学院医学研究科に進学され、 肺結核の外科療法、肺癌の臨床病理学の研究に 多大なる成果を残されました。その業績によ り、昭和43 年11 月、医学博士の学位が授与さ れました。

昭和42 年4 月、極端な医師不足、劣悪な医 療環境に悩む沖縄に戻られ、琉球政府厚生局那 覇病院に赴任され、沖縄県における肺結核の外 科療法、肺癌の外科療法の先駆的役割を果たさ れました。

その間、昭和45 年6 月〜 8 月の期間WHO 研 修により大韓民国、中華民国、香港、シンガポ ールの医療事情を視察され、沖縄における肺結 核をはじめ感染症対策等のあり方について指針 を示されました。

昭和47 年5 月、琉球大学保健学部の開設に 伴い外科学講師として赴任、肺癌の集学的治療 に携わるとともに学生に対して肺結核、呼吸器 外科学に関する教育を担当されました。

昭和48 年3 月〜 7 月の期間にWHO 在外研 修医師としてデンマーク王国の医療事情を視察 され、帰国後、呼吸器部門を中心に地域医療の 充実発展に貢献されました。

昭和52 年1 月からの2 年間、国立がんセン ター研究所疫学部、沖縄県医師会医学会、沖縄 県環境保健部と協力して行った「沖縄県におけ る悪性新生物実態調査」の肺癌部門を担当さ れ、沖縄県の肺癌の特性を明らかにされ、その 情報を全国に発信されました。

昭和55 年沖縄病院外科医長、昭和58 年5 月 同・副院長に就任され、昭和59 年10 月、沖縄 県成人病管理指導協議会肺癌部会会長、沖縄県医師会代議員、国療公務員医師会会長を務め られ沖縄県福祉保健部、沖縄県医師会、地区医 師会との良好な連携を維持するとともに、地域 医療における国立医療の果たすべき役割を明確 にしました。

平成6 年4 月、国立療養所沖縄病院院長に就 任と同時に、沖縄県医療審議会委員として地域 医療のありかたについても指導的役割を果たされました。

平成9 年には日本気管支学会九州支部総会 を沖縄の地において開催し、会長を務められました。

平成10 年、沖縄病院に神経難病病棟を開設 し、沖縄県における難病対策を強化に加えて放 射線診断・治療部門を充実させ、結核療養所か ら国の政策医療を担う専門病院への転換を図る ためにご尽力されました。

源河先生は、病院運営に指導力を発揮された ことに止まらず、対外的にも県内保健所の運営 委員会委員、沖縄県医師会代議員、沖縄県国民 健康保険診療報酬審査委員会委員、京都大学 および琉球大学医学部非常勤講師、沖縄県成人 病検診管理指導協議会委員、沖縄県保健医療 協議会、沖縄県医療審議会委員、那覇地方裁判 所民事調停委員等の幅広い多方面に亘るご活躍 は、限られた時間ではご紹介できない多大な物 がございます。

数多くのご業績もさることながら、源河先生 の温厚なお人柄が、ごく自然に周囲の方々に融 和と親しみ、信頼関係を生み出したところに、 この度の瑞宝中綬章の栄誉に浴されたものと思 います。

源河先生の思い出話の中に「飛ぶ鳥をも落と すゴルフの話」があります。先生は、元来スポ ーツは得意な方ではなかったのですが、ゴルフ を始められた当時、スタートのティーショット が空中を飛ぶスズメにあたった場面がありま す。会場の医師会会員の先生方におかれまして も、ゴルフの話題では、ホールインワン等の多 くのエピソードがおありのことと思いますが、 源河先生のゴルフは飛ぶ鳥を落としたのであり ます。先生の随想集にもこの話題が記されてお ります。

源河先生は臨床家であり、研究者でもありま す。個々の肺癌症例のデータがこと細かく記載 され、ファイルされてあり、源河先生が飛ぶ鳥 を落とす勢いで診療された肺癌症例は、現在約 5,000 例、沖縄の肺癌としてデータを集積して おります。順次、その解析をすすめております。

源河先生は現在、沖縄病院の名誉院長として 後進の指導に当たる傍ら、特定医療法人葦の会 介護老人保健施設オリブ園の施設長として活躍 されております。先生のこれまでのご功績・ご 苦労に対し、改めて敬意と感謝の意を表すると ともに、今後益々のご健勝・ご活躍を祈念いた しまして、ご業績の一端ではありますが紹介さ せて頂きました。この度の受章、誠におめでと うございます。

小渡敬沖縄県医師会副会長
小渡敬

この度の宮城信雄会 長の日本医師会最高優 功賞受賞に際し、輝か しい数々のご業績の中 から主なものを簡単に ご紹介させて戴きます。

宮城会長は、平成14 年から稲冨執行部において沖縄県医師会副会長 を4 年間務めた後、平成18 年4 月より会長に 就任されております。

以来、稲冨洋明前会長が掲げた「信頼される 医師会」を発展させる形で、自らは「地域に根 ざした活力ある医師会」を目指し、諸課題の対 策に取り組んでおられます。各地区医師会は、 日常診療、予防接種、学校保健、健康相談等を 通して地域住民や自治体と密接な関係を築いて いることから、県医師会として地区医師会と連 携を保ちながら、地域医療や地域での医師会活 動がよりスムーズに展開できるよう努めており ます。

また、県立病院のあり方をはじめ、沖縄の医 療のあり方について、医師会が中心となって琉 大や公的病院を含め問題解決のため県行政や関 係機関への提言を行っております。

さらに、県知事選挙においては、仲井眞知事候補の後援会長としてその手腕を遺憾なく発揮され、見事2 期目の当選に導いております。

その功績が高く評価され、医療アドバイザー 的専門官の配置が認められ、玉城信光政策参与 の誕生が実現いたしました。これによって、沖 縄県が抱える離島・へき地の医師不足、産婦人 科医不足、また、県立病院事業の対応、助産 師・看護師不足対策、更には長寿県復活の為の 県民の生活習慣改善対策等の問題解決について 知事へ直接提言できるようになりました。

このことは、沖縄県の新しい医療提供体制を構築する上で画期的な出来事であります。

また、平成20 年11 月には、長年の懸案事項 であった「沖縄県医師会館」を竣工させ、学術 医療をはじめ地域医療の拠点として活動が活発 に行われており宮城会長のモットーである「地 域に根ざした活力ある医師会」の更なる推進を 図っております。

この度、平成18 年から沖縄県医師会長を務 め、3 期6 年の間、県医師会長として沖縄県の 保健・医療・福祉の向上ならびに日本医師会・ 各都道府県医師会との連携強化に努められた功 績が認められ、日本医師会最高優功賞受賞の栄 に浴されております。

宮城会長のこれまでのご労苦に対し、改めて深甚なる敬意と感謝の意を表する次第であります。

宮城会長におかれましては、今後も益々ご健 勝でご活躍されんことを祈念いたしまして、簡 単ではございますが業績紹介を終わります。こ の度の受賞、誠におめでとうございます。

祝 辞

宮里達也沖縄県福祉保健部長
(代読:国吉広典保健衛生統括監)
宮里達也

糸数健先生、宮城信 雄先生の日本医師会最 高優功賞受賞、源河圭 一郎先生の瑞宝中綬章 の受章祝賀会が開催さ れるにあたり、ごあい さつを申し上げます。

栄えある各賞を受賞されました皆様に、心からお祝いを申し上げます。

糸数先生におかれましては、産婦人科医とし て「がん撲滅」のための取組み等の功績が認めら れ、また、宮城先生におかれましては、県医師会 長を3 期務めるなど医師会の発展に資する多大な 貢献が認められ今回の受賞となっております。

源河先生におかれましては、長年の医療技術の向上への貢献から、今回の受章となっております。

これらの輝かしいご功績は、皆様の不断の御 努力と御精進のたまものであり、その御労苦に 対し、心から敬意を表するとともに重ねてお祝 いを申し上げます。

沖縄県におきましても、県民の健康を守り続 ける立場から、引き続き関係機関と連携を密に し、地域医療の質の向上と保健医療体制の確立 に努めていきたいと考えております。

沖縄県医師会の皆様には、宮城会長をはじめとして、なお一層の御支援、御協力をよろしくお願い申し上げます。

結びに、糸数先生、源河先生、宮城先生の今 後ますますの御健勝と御活躍並びに会場の皆様 の御健勝と沖縄県医師会の御発展を祈念申し上 げまして、お祝いの言葉といたします。

謝 辞

糸数健先生
糸数健

本日は私どものため に、ご多忙の中大勢の 方に、ご出席頂き感謝 申し上げます。今回推 薦していただいた沖縄 県医師会長はじめ、関 係者の皆様に心より感 謝申し上げます。先ほど、私の業績紹介をして 下さった真栄田那覇市医師会長、過分な紹介、 有り難うございました。

今回の表彰は、紹介にもありましたが、周産 期医療体制の整備と子宮がん検診事業について でした。周産期医療体制の整備は南部医療セン タ―こども医療センタの小児科部長宮城雅也先 生はじめ周産期センターの新生児科の先生方、 産婦人科医会の会員のご尽力によるものです。

18 年前に、当時の県立那覇病院を中心に南部周産期ネットワーク協議会が発足しました。 その後、事情が変わり、同協議会は全県をカバ ーする沖縄県周産期ネットワーク協議会に名称 変更し、受け入れ側として2 つの総合周産期セ ンターと3 の地域周産期センター、それに搬送 元の民間の施設(開業医)で構成されていま す。この事業が着実に、今日まで継続できた原 動力は、周産期センターの皆様の日夜を問わな い献身的な努力は言うまでもありませんが、ボ ランティアで空床情報の把握をやってくれてい る那覇市医師会の職員の影の力も見逃せませ ん。この場を借りてお礼申し上げます。

同協議会は、宮城会長を中心に、定期的に幹 事会を開催し、症例検討会などを通じ、会員の 資質向上にも努めています。多くの赤ちゃん、 お母さんが助かっていますが、この戦、まだま だ終焉の兆しは見えてきません。皆様のご指導 ご支援を更にお願いします。

子宮がん検診事業についても産婦人科医会会 員、臨床細胞診学会会員それに医師会の全面的 な支援なければ成しえなかった事業です。関係 者の方々に厚くお礼を申し上げます。

本日は誠に有り難うございました。

源河圭一郎先生
源河圭一郎

本日は、立派な祝賀 会を開いて頂き、また お忙しい中をお集まり いただきまして有り難 うございます。

私は先程、石川院長 からのご紹介にありま したように国立病院勤務が長く、医師人生の大 半を公務員として過ごしてまいりました。公務 員退職後は中部地区医師会に在籍し、現在は那 覇市医飾会に所属しています。このような立派 な祝賀会を開いていただきました沖縄県医師会 の皆様に深く感謝いたします。

今回の受章は私と共に苦楽を共にしていただ きました先輩、同僚、後輩の皆様の全面的な御 協力・御指導のお蔭であることは言うまでもありません。

今年は偶然ですが、私が医学部を卒業して丁 度50 年、公務員医師を定年退職して丁度10 年 という節目の年に当たります。沖縄病院在職中 の私は、胸部外科、その中でも呼吸器外科を中 心とする分野で仕事をさせていただき、患者さ んの病気を治し、健康を取り戻すことが医療の 目的であると考えていました。しかし高齢化社 会の真っ只中で定年を迎え、人生の終末期や尊 厳死の問題に関わるようになって、医療に対す る私の考えが変わりました。寝たきりで回復の 見込みがない患者さんに対する延命治療の是 非、その方達を介護している家族に想いを馳せ ることも医療の役割で、特に高齢者医療におい ては、それが最も大切なことであることを気付 いたのです。

現在は外科医の仕事を離れて、高齢者の介護 保険施設で献身的な職員の協力を得ながら働い ています。少子高齢社会の厳しい現実を見なが ら、毎日が新しい発見の連続で、勉強させても らっています。

先日、厚生労働省で行われた勲記・勲章の伝 達式、それに続く皇居での拝謁について偶然お 会いした大学時代の先輩から、「あれは老人式 だよ」と言われてしまいました。確かにその通 りで、言いえて妙であると思います。その理由 は、若者が二十歳になった時の成人式で「これ から大人であることを自覚して、世のため・人 のために尽くします」という成人の誓いの言葉 を述べますが、老人式では「これからは年齢を 自覚して世のため・人のために迷惑をかけない ようにします」と誓いの言葉を述べることにな るのでは…と思ったからです。

なお、私が公務員医師時代に何を行い、定年 後は何を考えているのかに就いて、折りに触れて書いた雑文の中から一部を抜き出して小冊子 にまとめてみました。お帰りの際にお荷物にな らなければ、お持ち帰りいただいて、パラパラ とページをめくっていただければ幸いです。

最後になりましたが、御出席の皆様方の今後 の御活躍をお祈りいたしますと共に厚く御礼申 し上げます。なお、家に帰って二人きりになる と私は何も言えなくなりますので、家庭にあっ てこれまで私を支えてくれた隣の我妻に感謝し たいと思います。

それでは皆様、本日は有り難うございます。

宮城信雄先生
宮城信雄

本日は、私たち3 名 のために、盛大な祝賀 会を開催して頂き、誠 に有難うございます。 心よりお礼申し上げた いと思います。

先ほど功績紹介があ りましたように、糸数先生、源河先生につきま しては、その専門の道で非常に立派なご業績を 上げられ、受賞に当然値すると思っております が、私においてはというと、医師会長を6 年務 めたということで賞を頂けるということになり ました。

実は昨年受賞規定が変わりまして、それまで は都道府県医師会長を10 年以上務めなければ 日本医師会最高優功賞は頂けないことになって おりましたが、規定の変更により6 年経てばも らえることになりました。

私は、会長職はまだ6 年経ってはおりませ ん。ただ、規定によりますと5 年と1 日を過ぎ ますと受賞対象になるとのことで、このような ことになりました。

これは、私を会長に選んで頂きました会員の皆様のお陰であると思っております。

非常にまだまだ未熟なものでありますので、 今後ともご指導・ご鞭撻の程宜しくお願い申し 上げるとともに、今日お集まりいただきました 皆様に心より御礼を申し上げます。有難うござ いました。


会場風景

会場風景


左から照屋先生ご夫妻、糸数先生、宮城先生

左から照屋先生ご夫妻、糸数先生、宮城先生


左から源河先生ご夫妻と中村先生

左から源河先生ご夫妻と中村先生