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アメリカ Deep South での4年間

大橋容子

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター産婦人科
大橋 容子

このたびご指名を頂きましたので、私が沖縄 に移住する前に住んでいたアメリカ南部での4 年間のことを書かせていただきます。

沖縄にはアメリカでレジデントやフェローを 経験された医師が多いと思いますが、NY やカ リフォルニアへ行かれた方が多いのではないで しょうか。私はアメリカの南部、その中でも Deep South、Old South と呼ばれる地域に住 んでいました。おそらく、その他のアメリカと は異質な歴史と文化をもつ地域だと思います。 今回はその経験を書かせていただきます。

矢印がサウスカロライナ州です。「風とともに去りぬ」に出 てくるアトランタとチャールストンの間に、私のいた州都の コロンビアがあります。南北戦争で徹底的に破壊された町だ けど、まだ勝負はつかず今は休戦してるだけ、と言っている 夫はここの出身です。

私が働いていた病院はアメリカのサウスカロ ライナ州にある州立病院でした。州立病院なの でアメリカ社会の最下層の人が来ますが、南部 なので黒人が多く、患者の80 %はMedicaid の 黒人で、残りの20 %はメキシコからの不法移 民でした。とても大きな病院で、現在私が働い ている南部医療センター・こども医療センター 程の建物が10 棟以上、広大な敷地にありまし た。ED(Emergency Department)は、子供 用、外傷用、精神疾患用、というふうに部屋が 10 室くらいに分かれていました。なのでER 担 当医から呼ばれる時は「患者は6Pod の15Bed だよ」と言われて、それを覚えておかないと迷 子になりました。その広い敷地中でも、ED は 治安の悪い地区に面していました。一般的に治 安の悪い地域で働く救急専門医は腕がいいと言 われます。有名な「ER」のモデル病院はシカ ゴのCook County Hospital ですが、私もレジ デントの面接を受けるために同病院の前まで行 ったことがありました。しかし、あまりに雰囲 気が悪そうだと夫(生まれも育ちもアメリカ南 部)が猛反対して、結局面接をキャンセルし、 かわりにシカゴのフィールド博物館を観光して 帰ってきました。ただ、Cook County Hospital 程ではないですが、サウスカロライナ 州立病院もいわゆる公立の病院でした。なぜ私 がそこへ就職したかというと、夫の職場が近く だったことと、今までそこの産婦人科で研究留 学しながらも臨床もけっこう参加させてもらっ ていたからです。私は当時、日本で産婦人科専 門医も取得していましたが、AIDs の妊婦やド ラッグ中毒や囚人の妊婦など、毎日新しい経験 ばかりでした。

ある日のこと、やけに頻脈の妊婦が来て、胎 児も頻脈で、頻脈なのに血圧も高く、体温は正 常で、一体なんだろうと考えていると、上級医 がすぐにコカインと見抜きました。慣れてくる と、攻撃的な態度や鼻をすすったりするしぐさ でわかるそうです。ちなみにうちの夫とデパー トへ買いものに行った時、あるブティックの店 員がトイレへ出たり入ったりしている様子を夫 が見ていました。そして夫がレジで小声で彼女 に指摘すると、値引きしてくれました(筆者は この理由をあとで知りました)。

囚人も入院していましたが、部屋に銃を持っ た警官が24 時間付きっきりでした。病院自体が あまり治安のよくない地区にあり、朝は5 時か ら出勤していましたが真っ暗でした。エスコートシステムがあって、呼べばセキュリティ・ガ ードが来て駐車場から病院まで一緒に歩いてく れるのですが、うちの夫が毎朝車で病院の前ま で送ってくれました。アメリカへ来た当初、研 究室の教授に、ペッパー・スプレーを持って歩 けと言われたのですが、夫には、そんなもの私 が使おうとしたって相手に取られて自分がスプ レーされるだけだと一笑されました。それより、 どうしても緊急で夜道など歩かなければならな い時は、携帯電話で夫や友人に電話をかけなが ら歩くようにと言われました。そうすればもし 何かあった場合でも手がかりがつかめるかもし れないし、相手も警戒して避けるかもしれない という理由です。ところで、医学生向けの産婦 人科のレクチャーに、レイプされて後膣円蓋か ら腸が脱出しているのをどうやって再建するか、 という講義がありました。よくもこんなに多く の写真が...(絶句)。ちなみに講師は、セント ルイスから来た(美人でかっこいい)女性の産 婦人科医で法律にも詳しかったです。その後犯 人がどうなったかも把握されていました。

メキシコからの不法移民はスペイン語しか話 せないので、病院が通訳を雇っていました。最 初は通訳を火曜日だけ雇っていたので、火曜日 にメキシコ人を集めていました。そうしたら人種 隔離だ、と患者からクレームが来て、結局毎日 通訳を雇うことになっていました。通訳のお金 はもちろん病院もちなので、主任教授はうんざ りしていました。ちなみに、妊婦たちは分娩予 定日近くなると国境を越えてやって来ました。 そしてアメリカで出産して、子供が成人して市 民権をとるのを待ち、その子供にスポンサーに なってもらい永住権をとるそうです。なので、無 事出産した若いメキシコ人のカップルは本当に 嬉しそうでした。そして、どこからともなく大家 族が面会に来ていました。

人種に関することは、南部なので非常にピリ ピリしていて、誰も表立ってそのことを口にしま せんでした。けれど、働きもせず福祉だけで生活 している患者があまりに多いので、ひとごとなが ら心配でした。そういう人ほどまた子供を多く 産みます。その子供もまた福祉だけで生きてい くのでしょう。そのためなのかはわかりません が、Medicaid は避妊手術もカバーしていました。 少子化の日本では考えられないことですが、州 立病院のレジデントはしょっちゅう避妊手術を していました。一方、キリスト教色の強いとこ ろで、中絶は一件も経験しませんでした。たと え胎児に先天的な異常があっても、養子にもら いたいという人もいました。キリスト教のそのよ うなところはすばらしいと思いますが、生まれた ての男の子に割礼手術をするのだけはとても苦 痛でした。たしかに衛生的にいいことだとは思 いますが、泣き叫ぶ子をくくりつけて割礼する のは私には耐えられなかったです。が、それは産 婦人科レジデントのルーチンでしたので、私は、 どんなに重症患者が来てもいいから男の子だけ は生まれないでくれー、といつも願っていまし た。ちなみに、割礼はエジプト発祥だそうで、イ スラムやユダヤ教圏でもされています。

その後私はレジデントを中退して日本に帰っ てきました。できれば日本の妊婦のために働き たいと思いました。その際アメリカ人の夫が、 行くなら沖縄との条件だったので、私達は生ま れて初めて沖縄に来ました。何かを期待して来 たわけではなく、日本語が通じるだけでもスト レスが減るだろう...と思って来たのですが、 以来6 年の歳月がたちました。周産期医療は日 本の方がいいとかアメリカがいいとかの比較の 問題ではなく、その土地の自然や習慣に根付い たものが最良であると思っています。先祖を大 事にして家族のつながりの強い沖縄では、沖縄 の風土にあった周産期医療があるのだと思いま す。効率を重視するアメリカや内地の医療から 少し距離を置いて、地元の患者さんやその家族 と交流しながら、沖縄にあったやり方を考えて 行きたいと思っています。これからはずっとこ こでがんばりたいと思います。宜しくお願い致 します。