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の思想」―も
―未曾有の大震災を経験して―

喜久村徳清

三原内科クリニック 喜久村 徳清

、スピリッツは大切なことと考えている。 医療の分野で普及し、看護のテキスト(参考 1))も出版された。これまで、本誌に「の思 想」−を、「気・の思想」−こそを寄稿してきた (沖縄医報、2008 年8 月号、2009 年8 月号) ので、その続きとして執筆を考えているうち に、今年3 月11 日、日本に未曾有の天災が襲 い、世界が一夜にして変貌した。それに触れる が、その前に考えること、哲学について書く。

☆☆

今年4 月は、ドイツの哲学者ニーチェの「ツ ァラトゥストラ」をNKH − TV、100 分de 名 著を見て、目からうろこの思いがした。

若き哲学者西研によれば、ニーチェの言うル サンチマン(ressentiment,うらみ、ねたみ、そ ねみ)は「無力からする意志の歯ぎしり」、「も し〜だったら」という「たら・れば」という感 情であり、その根っこにあるものは自分の苦し みをどうすることもできない無力感であって、 その無力感を何かに復襲することで紛らわそう とする心の動きであるという。それが問題にな るのは、「悦びを求め、悦びに向って生きてい く力を弱め」、「自分の人生をこう生きよう」と いう「主体的な生きる力を失わせる」からだと している。

時にギターを片手に弾き語りながらさらに、 「超人へのプロセス:幼子のように無心に」、 「永遠回帰」、「仕方ないから欲したへ」、「悦び を吸み取るゲーム」等、解説していった。

ハーバード大学、マイケル・サンデル教授による“白熱教室”が今年の正月、連続6 時間、 2 日間にわたって放映された。「殺人に正義はあ るか、命に値段はつけられるか、富は誰のも の、お金で買えるもの買えないもの、動機と結 果どちらが大切?、嘘をつかない練習、愛国心 と正義どちらが大切?、善き生の追及」等のテ ーマで、具体的実例として「殺人と人肉食」、 「クリントン大統領のモニカ・ルインスキー事 件」、「プロゴルファーのゴルフ・カート使用問 題」等面白く、講義を受ける学生から意見を聞 き、解釈、解説し、哲学的議論に導き、概念を 極限までおし進めていく。この対話型講義は演 劇を見ている様な趣があり、ドイツの哲学者カ ントの言う「純粋理性」なるものが、明らかに 実在することをまざまざと納得させられる程の 迫力があった。

第二次世界大戦後、世界は「不安な時代」で あって、サルトルの実存哲学は世界の文化、社 会に多大な影響を与えた。『現実存在が本質に 先立ち、アンガジュマン(engagement、社会 参加、投企)、未来があなたを決定する、アプ リオリ(先験的)に自由、実存的決断、私は私 になる』等のキーワードは難解な思想概念であ り、理解し難く、受け入れられず、対立的な思 想さえもあった。それが50 年を経た後の現代 社会においては自由、第三の性は至極当り前の コトとなり、「自由の刑に処せられている」コ トも普通に実感する。宇宙時代を謳歌している 我々現代人は、自然科学の分野でニュートン力 学、アインシュタインの相対性理論を過去のも のとしたように、サルトルをもまた、過去のも のとしている。

第一次、第二次世界大戦を経験した世界は、 近代(モダン)な時代を経てポスト・モダンの 時代に入り、「大きな物語」は死んだ。日本では 第二次世界大戦後、高度成長期を謳歌し、 Japan as No1 と賞賛された時代も過ぎ去り、不 況、失われた10 年といわれ世紀末の混沌とした 時代に入る。自然科学の熱力学から生まれた 「複雑系」という現象、考え方は、経済や歴史にも当てはまり、哲学思想の一つでもある。その 混沌とした複雑な二十世紀末、思想、哲学、文 学も自信を失くし停滞していた時期があり、か の有名な大江健三郎は一時、筆を置くことを考 えていた。ところが、当時24 才の史上最年少の 芥川賞学生作家平野啓一郎が「日蝕」で華々し くデビュー、大江はその後、「宙返り」で復活、 復帰し文学界も活気づく。最近は10 代の女性芥 川賞作家も続出して賑やかである。今年、第 144 回芥川賞は朝吹真理子の「きことわ」。

ニーチェはルサンチマンこそが神を生み出し たとして神を否定した。『神が死んだ』後はニ ヒリズムの時代となり、「末人」(憧れを持た ず、安楽を唯一の価値とする人)がはびこり、 ひょっとするとそういう人間が人類の歴史が生 み出す最後の人間(=末人、まつじん)なのか もしれない(参考2))と西研は解説する。私の 学生時代は絶望の哲学、“虚無主義のニヒリズ ム”は難解、異端の哲学と位置付けられてい た。“ニヒリズム。価値、意味、目的を喪失し 夢や理想の無い時代は今、まさに現代のことで はないのか” (参考2)、4))との認識があり、 ポストモダンの時代をニーチェが最初に予言し たとの指摘(参考5))もある。

日本の若手哲学者が危機感を抱き、二十一世 紀の哲学はどうあるべきか地道に議論し、「倫 理」をキーワードに存続すべきであろうとの結 論を得て、その後、シリーズ<人間論21 世紀的 課題>が編集、出版(参考5))された。最初に 私が手にした当時は、編者自身が「反時代的と も言いうるこのような書物の出版」とあとがき で述べているように、その時代に説得力、現実 感がなく、違和感さえ感じたことを覚えている。

☆☆☆

2011 年3 月11 日、三陸沖を震源とする地震 が発生した。沖縄県医師会は津波が沖縄に到達 する時刻と万一の対応の緊急依頼文を即刻、各 施設長に送付した。映像で見る震災は、どす黒 い津波が無気味に恐ろしく地面を這い、建造物、車、あらゆる物を押し流し、見る者を恐怖 に落とし入れる。全世界に配信された映像は、 まさしく2001 年9 月11 日の世界貿易センター ビル爆破事件、崩壊の映像の恐怖と相似て、一 夜にして世界を変えてしまった。

津波が押し寄せ、そして引いていった境界線 の一歩向こうには、何事も無かったかのように、 全く何も変わらぬ家並みや自然の風景があり、 生死を分け、次元を異にしたその境界は何であ るのか、何でもないのか。被災地は正断層多発、 地盤沈下、地殻変動で、日本国土の地形をも変 えている。地球誕生後、45 億年の時を跨ぎ、地 震は自然現象としてはさほど珍しいことでもな いマグマ活動であろうし、これまで数百万回も くり返されて現在の地形になっていることでも ある。そこに人類が住みついて、震災後2 カ月 半が経った今も8 千人余の行方不明者があり、 ボランティア活動者が予期せず不意に不幸を目 にするという現実を知らされる時、発する言葉 もない。(衷心よりお悔やみを申し上げます。)

被災地救援の参加報告をした講師が少年時代 に過ごした海岸べりの震災前後の写真と、4 月に なって荒涼とした殺伐な廃墟に一本の桜の花が 満開に咲いた写真を見せられるその時、自然の 途方もない強烈な頑健さ、無常を感ぜざるを得 ず、それは息をつまらせる程の涙を催う。観て る私って何?、私はなぜ生きて、観ているの? と、かえってそれは心の内奥に問いかけてくる。

☆☆☆☆

震災は震災のみにとどまらない。

石原東京都知事は震災発生30 分前に150 % ありえないと広言していた四選出馬を、妻の 「あなたの仏道、天命」の一言で撤回、都議会 で出馬表明をした。芥川賞選者の一人でもある 石原慎太郎は、余生を文学に、長編小説を七つ も細部まで構想していたと言う。さらに千年に 一度の大震災で選挙運動どころではなかった が、災害対策に取組む姿勢が評価され四期目を 任せられることになる。

天与の才を授かった世界の競泳者、北島康介はオリンピック出場の選考を兼ねた競泳会でス タート直後に左太もも付け根付近に肉離れ。9 割がた棄権を考えながら変則的に泳ぎきったら 選考基準を達成した。インタビューではこれま で言ったことのない「俺が世界の頂点に立つ」 と初めて口にした。何が彼にそう言わしめたの か。畏れるように「何かが俺を後押ししてい る。それは震災の体験」―と。

一億総写真家の現代社会において、時代を反 映する写真を撮り続けてきた篠山紀信は、山口 百恵、松田聖子、AKB48 を撮り、アイドル写 真集を数多く出版し、ニーチェ的悦びの哲学を 実存的にactive に実践しているが、「これから 震災を撮る。震災後、自分の中に何かが起こっ ている。それは日本人なら誰でも感じているこ とでしょう」―と。

震災発生当日、首都圏は停電、交通マヒ。帰 宅困難者が600 万人、M7 以上の余震に「死ぬ のではないか」という死の恐怖を暗い東京の夜 に経験した者も多い。余震、誘発震はこれまで 6 千回も数え、NHK は「震災で変わった女の 生き方」「命の大切さ、寄り添える人がほしい」 を紹介した(5 月30 日)。「仕事すごくしたけ ど、それが何」、震災が後押しし、「結婚する人 が増え」、「離婚を思い止まる人が増えた」。「い つ何が起こるか分からないから、素直に話せる ようになった」、「家族バラバラ、どうしよう か」、絆、「計画停電で家族とトランプをする大 学生」、「責任あること、意味あること、考え方 が重くなった」、「人に何かしてあげたい」、「近 所づきあい、隣に住んでる人にアイサツするよ うになった」、「自治会活動も前向きに考えるよ うになった」。

震災は生き残っている人の意識、行動パター ンに確実に影響を与えている。人と人との絆を 強くし、共感を伴い、外国からも予想だにせぬ 応援、援助が続き、国家を越えて人類は一つ、 生きてる感情は同一ではないかと考え(させら れ)る。中国も、昨年9 月尖閣諸島沖で中国漁 船衝突事件を起して対日感情を悪化させていた が、震災への対応で日本人が“秩序正しく、冷 静で、忍耐強い”と好意的な態度(読売新聞5 月10 日朝刊)と報じた。

復興、再生に向けて日本国民が前向きに、ひ たむきに努力している。時間が経ち、生き残っ た被災者が我に返ると改めて身近な死者への後 ろめたい後悔、サイバー・ギルドの問題が起き ている。余震やテレビ映像が、傷つきやすい子 供の心を襲っているとの報道もあり、医療人の 果たす役割は今後も続く。

原発事故は人災も併せ加わって放射能汚染問 題を拡散させている。電力不足から派生する計 画停電は、東日本に限らず、全国民の意識改革 を進めている。電力消費ピーク時の対策から勤 務時間、勤務形態、サマータイム、消費電力軽 減器具の開発等、多岐にわたる。期せずして対 応しなければならなくなった自然エネルギーの 問題、科学技術の進歩やその意味、価値を考え るということ、それは、哲学の問題である(参 考5))という。

自発的に集まった募金額は予想以上であった が、その9 割以上が被災者に渡っていないとい う。(行政も被災したという事実はあるが)、行 政も、国政も機能していない感を持つのは私一 人ではない。税金を納めたがらない国民性がも しこの国にあるとするならば、徴収する当事者 も善意の莫大な寄付金が集まったこの際、よく 考えてもらいたいといわざるをえない。個々の 政策立案、実行のみにとどまらず、永田町の国 民を不幸にする情報は政治家のバックボーンに 政治理念の必要性をも痛感させられ、サンデル の主張する政治哲学、コミュニタリアニズム (コミュニティを重視するサンデルの哲学的立 場、参考4))が、今後大切な役割を果たすと思 えてなりません。

これまでも20 世紀末に「ソフィーの世界」 が出版、放映され、哲学ブームは幾度となく繰 り返されてきた。そして今年5 月2 0 日に は、< 14 歳からのプチ哲学シリーズ>が創刊された。サンデルの「白熱教室」は、日本人の 魂の奥深いところに潜在していたものに火をつ け、そして自分で考えることを促している(参 考4))という。それは昨年来の放映、出版であ るが、震災が後押しして、広まっているのは間 違いないと思える。

人類の歴史の中で先駆者が世界を切り拓いて いく中で、思想、哲学は常に先導的な役割を果 たしてきた(レーニンのロシア革命は哲学者マ クルスの唯物史観の実践であり、それはデカル トの身心二分論の系譜に由来する)。日常では 意識しないこの哲学の問題は、自然界で起こる べくして起こった震災を契機に、新たな地平の 展望を予兆させる。絆、つながれ、想い、元 気、がんばれ日本、さらには連日放映された日 本公共放送機構のコマーシャルは“倫理的”そ のものであって、世界に伝播した大災害の影響 は、日本の若き哲学者らが現代の社会に問題意 識として提示し続けてきた“倫理的パラダイ ムを復権させる時代(世紀)でなければならな い”(参考5))を、現実の問題として認知、支 持され、そして広がって、これからの世界を切 り拓いていくものであろうと、今、ひしひしと 感じているところです。

参考
1)E.J.テイラー 江本愛子、江本新監訳:スピリチュ アルケア 看護のための理論・研究・実践 医学書院
2)西研:ツァラトゥストラ・ニーチェ 100 分de 名著NHK テレビテキスト2011 年4 月創刊号
3)J.P.サルトル 伊吹武彦訳:実存主義とは何か 人文書院
4)小林正弥:サンデルの政治哲学<正義>とは何か  平凡社新書
5)石崎嘉彦、紀平知樹、丸田健、森田美芽、吉永和加:ポストモダン時代の倫理、シリーズ<人間論の21 世紀的課題> 序 ナカニシヤ出版

(2011 年5 月末までの情報をもとに書きました。6月24日記。)

(本稿、脱稿後、ニーチェの「ツァラトゥスト ラ」100 分de 名著、NHK 放送が好評につき8 月も再放送されることを知りました。また、 「マイケル・サンデル大震災特別講義」がNHK 出版より緊急出版(¥552+ 税)されました。 8 月1 日 追記。)